風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

めだかの学校

2016年08月26日 | 「新詩集2016」

  作文教室

あさおきて、かおをあらって、ごはんをたべて、それからがっこうへいきました……
そこでもう、ただ鉛筆を舐めている。その先へは進めない。
楽しかったことや、辛かったことも書いたらいい、と先生。
やすみじかんに、こうていで、やきゅうをしました……
それは楽しかったことだ。しかし文章にしてみると、すこしも楽しくなかった。

一日のあったことを、ありのままに書いたらいい、と先生。
ありのままに書くとは、どう書くことなんだろう。楽しかったことを、楽しかったこととして書くとは、どう書くことなんだろう。
そもそも、なぜ文章など書かなければならないのだろうか。
ぼくは書くことが苦手だった。というか、文章というものが書けなかった。

ありのままを言葉にする。あると思えるものを言葉にする。
でも言葉は、ありのままやあると思えるものに寄りそってはくれない。
あの小学生のときの疑問は、いまも解決されないままで、悔しい思いはつづく。
かくてこの夏も、言葉はセミのように迷走する。クソ暑いので寝っ転がって、読み古した新潮文庫を読む。

『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』。
作文の秘訣を一言でいえば、
「自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけなんですね」
吉里吉里小学校の井上先生は、やさしい言葉で難しいことを教えてくれる。
だが夏休みの宿題は、いつまでも終わらない。

*

  オカメインコのパタパタ

こないだ雪がふった日に
オカメインコのパタパタが死んだ
ぼくの手のひらで
羽をいっぱいにひろげて
それっきり

飛びたかったのかな
もういちど
それともポーズだったのかな
グッバイって

キューチャン キューキューシャ パタパタ
あの声ももう聞けない
大きなケヤキの樹の下に
小さなパタパタを小さく埋めた
いつか土になって水になるんだって
木になって枝になって葉っぱになって
冬がくるまえに
いっぱい飛びたつ

*

  運動会

ヨーイ ドン
校長先生のピストルで
ランナーはみんな死んでしまった

スタートしたのはぼくだけ
急にグラウンドが広くなったみたい
走っても走っても
ゴールのテープが見えない
しかたがないので
母のお使いの
油揚げを買いに行くことにした

おいしい匂いがする
台所で母が
いなり寿司をつくっている
そうか
運動会は明日だったんだ

イメージトレーニングする
スタートばかり繰り返してしまう
校長先生はきらいだ
ピストルが似合いすぎる
ヨーイ ドン
みんな元気に走っているのに
ぼくだけ倒れてる

*

  メダカ

サチ子先生は
理科室でメダカを飼っている
先生の白くて細い指が水槽に触れると
メダカはパッと散って泳ぐ

メダカはなんびきいるのだろう
いっぴきずつに名前をつけたいの
クラスのみんなの
と先生は言う

サチ子先生には
メダカの顔がわかるのだろうか
ぼくはあまり手をあげないし声も小さい
きっとメダカよりも目立たない

メダカの川で
メダカと泳いでる夢をみた
みんなぼくよりも体がでかい
胸に名札をつけている
ぼくだけ名札がない

先生がいないとき
そっとメダカの水槽をのぞく
メダカは水を引っかくように泳いでいる
小さいくせに目ばかり大きい
どれもこれも
サチ子先生に似ている





あはれ魚になる季節

2016年08月18日 | 「新詩集2016」


  夏の魚となって

醒めきらないままの
コップのなかに残された朝と
水を分けあう
ゆっくり水際を泳いでゆこうとする
小さな魚がみえる
夏のはじまり

草となり
ただ草となる
それだけの夏があることを
魚は知らない
水となり
ただ水となった魚は
水上の雲を砕かんとして
空へはじける
一瞬の夏を残して

*

  秋の魚あはれ

朱色の葉っぱを頭にのせて
セコと呼ばれる河童が
川から山へと帰っていく季節だった
その道を
山から川へと帰っていく人もいた
その人は一枚の葉っぱが
魚に変身するのを見たという
美しい魚だった

エノキの葉っぱが魚になったので
エノハと名付けられた

川瀬の激しい落ち込みに
大きく竿を振って瀬虫を放りこむ
手元にぐぐっとくる動きを引き上げる
痺れたように身をふるわせて
あはれ銀色の魚体が
宙をおよぐ

一瞬の秋が落ちた
そのとき
釣り人の手に残されたのは
色あざやかな
一枚の葉っぱだった

*

  ゆうがたの魚

ゆうがた
ひとびとの背がかなしい
ひとびとの背を超えてゆく
魚がかなしい

幻の水をしなやかに
幻の魚がおよぐ
ひろがってゆく無数の波紋
空と水を分けて
とつじょ失踪する魚の群れ

そのとき
満ちてくるものの
魚が超えるかなしみの深さへ
いそぎ帰るひとびとの
背中の水がかなしい

*

  魚になる季節

魚になろうって
きみが言ったから
ふたりは全裸になって
水になった
魚になった

重たい水を押しひらく
きみの顔が泡つぶだらけで
いぼのある恐い魚にみえた
きみはわたしの足をつかんだまま
なかなか離してくれない
わたしは水を飲んで死にそうで
いくども息がつまった

弱った魚になって
ふたりは岸にあがり風を吸った
きみのおちんちんは小さくてまっすぐ
わたしは固くなった乳首がくすぐったい
きみはオスでわたしはメス
魚のような青いひらめきをした

膨らみかけたわたしの胸をみて
きみの目は泳いでいた
その時からきみは
魚になろうなんて言わなくなった
弱虫のきみは川をすて
わたしはたぶん
きみよりも強くなった
わたしは今でも
その川のそばで暮らしている

あれからいちどだけ
わたしは魚になったことがある
わたしのまわりのすべて
草のいろも花のいろも失われ
苦しくて苦しくて
わたしの小さな魚たちが
あぶくになって散っていくのを
ただじっと見つめていた





風の国から

2016年08月10日 | 「新詩集2016」

  風のことば

西へと
みじかい眠りを繋ぎながら
渦潮の海をわたって
風のくにへ

古い記憶をなぞるように
活火山はゆたかな放物線で
懐かしい風の声を
伝えてくる

空は雲のためにあった
夏の一日をかけて
雲はひたすら膨らみつづけ
やがて空になった

ぼくは夏草の中へ
草はそよいで
ぼくの中で風になった
風には言葉がなかった

洞窟のキリシタンのように
とつとつと言葉を風におくる
ゼウスのように
風も姿がなかった

風のくにでは
生者よりも死者のほうが多い
明るすぎる山の尾根で
みんな石になって眠っていた

迎え火を焚いて
家の中が賑やかになった
古いひとびとは
古い言葉をつかった

声が遠いと母がぼやく
耳の中に豆粒が入っていると
同じことばかり言うので
子供らも耳の中に豆粒を入れた

ひぐらしの声で一日が明けて
ひぐらしの声で一日が暮れた
翅は青く透きとおり
せみの腹は空っぽだった

送り火を焚くと
ひとつずつ夏が終る
耳の中の豆粒を取り出すと
母の読経が聞こえた

きょうは目が痛いと母が言う
きのうは眩暈がし
おとといは便秘じゃった
薬が多すぎて配分がわからない

母の目薬は探せないまま
いくつもトンネルをくぐり抜けて
ぼくはまた船に乗る
とうとう風の言葉は聞けなかった

*


  隠れキリシタン

ペトロ・パウロ・ナバロさま
フランシスコ・ボリドリノさま
異国の方のお顔とお名前の見分けが
いまだワタクシには出来ませぬ
アイタタタアイタタタ アーメン
ワタクシの病んだ骨はどうなりますじゃろ
骨と骨がこすれあうと
老いた骨は悲鳴をあげまする
アイタタタアイタタタとは
この国では骨が泣く言葉でござりまする

母なるマリアよ
いや骨粗しょう症の母さまよ
かつては5人の子供らのために
そして夫とその愛人のために
いまは自分自身が生きるために
アナタの骨は痛みマスル
アイタタタアイタタタと骨を砕く母さまよ
アナタの痛みは
殉教者たちの慰めとなりマスル
ヨハネ・ヒョーヱモン(兵右衛門)
ドミニコ・ナンガノ・ヨイチ(永野與一)
パウロ・ジャソダジョー(八十太夫)
トマス・ウスイ・フィコサンブロ(臼井彦三郎)
アドリヤン・スンガ・サンザキ(須賀三吉)
パウロ・レオエイ・モッタリ(服部了永)
ドミニコ・シェヱモン(清右衛門)
彼らの声はとっくに神の国に届いておりマスル

南無末法下種の大導師
高祖日蓮大菩薩御報恩謝徳
南無妙法蓮華経
アイタタタアイタタタ チーン
信徒アナン(阿南)もコーノ(河野)も
いまだセクト・ホッケ(法華宗)にござりまする

信仰深い母さまよ
この西向きの洞窟に朝の陽は入りまセヌガ
竹林からもれてくる水晶の光は
光明と暗闇と歓喜と苦悩と
光と影のはざまに真理を宿した
Verbum Dei(神の言葉)のようにもみえマスル
この洞窟の壁はかつて
病んだ骨のようにもろく崩れマシタ
モンターニュ・ド・フー(火の山)の熔岩とヨナ(灰)は
この深い盆地を埋めつくしマシタ
大地は昼も夜も鳴動をやめマセズ
ミサ・イル(燃える岩)は鳥のように空を飛び交い
ときには洞窟の奥までも貫き通しマシタ
もはやゼウスもヤハウェもアッラーも
神の力は無力のように思えたのデシタ
ときに夜空を仰ぐと星の輝き
星宿というこの国の素敵な言葉を知りマシタ
星と星は糸のような韻律で連なり
古い象形文字の地図をひろげマスル
Viva(バンザイ)!海の塩よポルトガルの涙
波涛の夢は遥かなリスボン河口の港にたどり着きマスル
かつて海を渡った殉教者たちの航跡を
霜のごとく静かに星は記憶したでありマセウ
星の地図に刻まれた歳月を辿るうち
この国にある星霜という美しい言葉も知りマシタ

アイタタタアイタタタ
ワタクシには異国の言葉はわかりませぬが
シンガ(志賀)のトノ(殿)より薬を賜ってござりまする
ワタクシの貧しい食事よりも豊かな
薬研(やげん)のコンペイトウのような白い輝きは
デュウ(天主)よりも神々しくみえまする
いまやこの白いロザリオ(玉薬)なしには
いっときも命をつなぐことはできませぬ
リーゼ錠とやらは心の緊張や不安をやわらげ
酸化マグネシウムとやらは胃の酸を中和し便通をうながし
つくし散とやらは食欲不振や消化不良を改善し
パリエット錠とやらは胃・十二指腸潰瘍や逆流性食道炎を快癒し
ラニラピット錠とやらはうっ血性心不全や不整脈の症状をおさえ
ラシックス錠とやらは尿量を増やしてむくみをとり血圧を安定し
バイアスピリン錠とやらは血を固まりにくくして血液の流れをよくし
ニトロダームとやらは狭心症の症状を鎮めるベッタリ膏薬でござりまする
アイタタタアイタタタ
ワタクシめの骨の骨と肉の肉
この血の色はもはや穢れて白く濁ってはおりませぬか

ペトロ・パウロ・ナバロさま
フランシスコ・ボリドリノさま
アイタタタアイタタタという骨の言葉は
あなた方の神に届きまするか





家族のものがたり

2016年08月03日 | 「新詩集2016」


  絵本

雨が降ったあとに
小さな水たまりができました

大きなナマズが2ひきと
小さなナマズが2ひき
ナマズの家族が泳いでいました
泳いでも泳いでも
同じ場所をぐるぐる回るばかりです

こんなところは初めてだね
ここは一体どこかしら
海のなかの海
池のなかの池
涙のなかの涙
ああ目がまわる
どうやら生きる場所をまちがったようだ

お父さんは慌てて
絵本のページを閉じた

*

  かくれんぼ

むすめはきょう
幼稚園で泣いたらしい
でもどうして泣いたのか
言おうとしない

けど泣いたの
むすめは小さな幼稚園バッグの中を
なんべんもなんべんものぞく
おともだちの泣き虫が
どこかに隠れているかのように

むすめが眠ったあとで
幼稚園バッグの中を
わたしもそっとのぞいてみる
バッグの底には
両手で顔をかくして
小さくなったむすめがいて
もういいかいと小声で言う

まあだだよと応えて
それから
もういいよと言って
わたしも泣いた

*

  コスモス

ネットオークションで
小さな駅を買った
小さな駅には
小さな電車しか停まらなかった

小さな電車には
家族がいっしょに乗ることができない
いつのまにか一人ずつ
手ぶらで家を出ていった

せっせと駅のまわりに
コスモスを植える
秋になると満開になって
小さな駅は見えなくなった

風が吹くと
コスモスの花がくるくる回る
耳をすますと
電車の通過する音も聞こえる

*

  虫のこえ

妹が泣いていた
だいじなオルゴールの中に
嫌いな虫がいるという
ふたを開けると
キロロンと虫が鳴く

ふしぎな音のする
オルゴールのピンを
折ってしまったのは誰か
妹はそれを知らない

大切なものをいっぱい壊した
父の万年筆とカメラ
母のネックレスと日傘
おじの釣竿とバイク
みんな好きなものばかり

壊れるように
父は眠り
おじは消えた
母は歩行器がないと歩けない
この秋
母親になった妹は
庭で鳴く虫のこえを
はじめて聞いたという