風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

木の都を、織田作之助とあるく

2019年11月25日 | 「新エッセイ集2019」
小春日和の一日、落葉のように、ひらひらとさ迷ってみたくなる。
それも、田舎道や林の中の道はさみしい。都会のにぎやかな道がいい。さまざまな形のビルがあり、マンションがある。まっすぐな広い道路があり、たえまなく人が交錯し、あわただしく信号が変わり車が疾駆する。
いまの季節は、寒そうだったり暑そうだったりして、人々のさまざまな服装がおもしろい。新しい車や古い車の、型やスタイルを目で追いかけるのも楽しい。

ぼくはただ歩いている。
超高層ビルの、あべのハルカスの地下から地上に出る。天王寺の古い商店街を抜けて、夕陽ヶ丘から谷町へと、大阪の台地をあるく。
車道の喧騒に疲れたら裏道にはいる。お寺や墓地、坂道などもあって急に静かになる。
このあたりの坂道には、地蔵坂、源聖寺坂、愛染坂、口縄(くちなわ)坂などと由緒ありそうな名前がついていて、つい立ち寄ってみたくなる。
「坂の名を誌(しる)すだけでも私の想いはなつかしさにしびれる」と、織田作之助(1913~1947年)が書き残している坂道だ。

彼の『木の都』という短編には、このあたりは木が多いところだったと書かれている。だがいまは、建物ばかりが多い。
この短編には、織田作が口縄坂を懐かしむ思いが、そのまま青春の淡い恋心と重なっていて、薄暗い石段の坂道を下りていくと、いまも彼の若い想いが漂っているように感じられる。
「下駄屋の隣に薬屋があった。薬屋の隣に風呂屋があった。風呂屋の隣に床屋があった。床屋の隣に仏壇屋があった。仏壇屋の隣に桶屋があった。桶屋の隣に標札屋があった……」

さらに標札屋の隣に……と、
これが彼が慣れ親しんだ町並みだった。
そして、標札屋の隣にあったはずの本屋がなくなって、矢野名曲堂というレコード店に変わっている。
一家は、もとは船乗りだったという主人と、その娘と息子の3人家族。レコードを介して、この店と奇しき縁ができて通ううちに、すこしずつ家族の風景がみえてくる。
中学受験を失敗して名古屋に働きに出された息子が、家を恋しがってしばしば戻ってくる。そんな、あかんたれな息子を憐れんで、生活を共にするため一家で名古屋へ引っ越してしまう。
「なんといっても子や弟いうもんは可愛いもんやさかいな」と標札屋の老人が語る。
仏壇屋があり標札屋があったという、古い町の匂いまで漂ってくる。こころ温まるが、さみしい話でもある。

落葉になって、ひらひらと歩きたいという思いもいつのまにか失せて、疲れきった足は枯木の棒になってしまった。
やっと生国魂(いくたま)神社にたどり着く。
静かな境内を抜けて神社の森に入ると、ここでまた織田作と出会う。33歳で夭折した彼は、生誕100年の年に銅像に生まれ変わった。
帽子をかぶり、マントを羽織った姿で手にはタバコ、ブーツを履いた足は今にも歩き出そうとしている。
上町台地の住民が「下へ行く」というのは、坂を西に降りていくことだったという。そこには船場や千日前などの賑わいの街があった。
そして、もっともっと古い時代には、そこは海だった。海に沈む夕日があり、台地から夕日を拝む人たちがいた。古い景色は緑の木々に覆われている。







散りゆく落葉は美しいか

2019年11月20日 | 「新エッセイ集2019」
ある人の葬儀の礼状に、一枚の小さな栞が添えられてあった。
清め塩ではなくて、「清め塩枝折り(しおり)」というものだった。それには次のような文章が記されていた。
「仏教の教えでは、生と死は紙の裏と表のような、はがせない一つのものです。愛するものとも必ず別れがある。この真実を自己のこととして受けとめ、生命の大切さ尊さを見つめていく事が教えです。従って死を穢れと考えないので、塩で清めることはありません」と。

生と死は、紙の裏と表のようなものだという。
どちらが表でどちらが裏なのか、ぼくのような俗人の頭では、つねに表にあるのは生であって、死は、ときに紙が風にあおられて裏返るようにして、とつぜん現れるもの。そのように考えてしまう。
だが、たまたま死に直面したとき、ひとが死ぬとはどういうことなのか、姿を消してしまったものはどこへ行ってしまうのか、などと答えの見つからない自問の道に迷い込んでしまう。

そのようなときには生が裏返り、死が表になることもあるようだ。
秋は落ち葉の季節だ。葉っぱにも、よく見ると表と裏があるのだった。
秋の葉っぱは枯葉となって、表になったり裏になったりしながら落ちていく。
枝を離れた葉っぱの、めくるめく一瞬の生死の姿であるかもしれない。それは葉っぱの、生でもあるし死でもあるかのようにみえる。
木の葉が、風に舞い散る秋という季節は、中空で生と死が慌ただしく交錯する、そんなときなのかもしれない。
きょうは、舞い散る葉っぱが、無数の栞にも見えたりするのだった。





どんぐり

2019年11月15日 | 「新エッセイ集2019」
ここはどこ
いつのまに
こんなところまで
はるばると
嵐のどんぐりを拾ったのは
いつだったか

その丸い実に
小さな穴をあけて
ぴゅうぴゅうと鳴らした
山はとおい
海もとおい
呼びかけるひとも
遠かった

いつのまにか
こんなになってしまった
暮れていく秋には追いつけない
どんぐりの耳に
聞こえてくるのは
枯れた響き
ときに笛は歓喜し
ときに笛は悲嘆する






冬が来るまえに

2019年11月09日 | 「新エッセイ集2019」
朝顔の花が日毎に小さくなって、ついには小さい秋になってしまった。
ことし最後の、小さな朝顔の花が咲いている。おそらく最後だろう。
こんなに遅くまで咲かせてしまったことは、花にとっては辛いことだったかもしれない。
だが毎朝、花の数をかぞえることは、ささやかな楽しみではあった。だんだん少なくなっていく花の数だからこそ、その数を確かめることはささやかな朝の期待でもあり、花の最後を惜しむ小さな心の淋しさでもあった。

とっくに夏は終わっている。朝顔の季節も終わっている。
台風も豪雨もいくつもやってきては去り、川は氾濫し家々は泥水に襲われた。夏から秋へと、季節は決して優しくは推移しなかった。
それでも新しい朝はやってきて、朝顔の花は咲くことを忘れなかった。そのことに慰められもした。
最後の花を眺めながら、今では暑すぎた夏が恋しくもある。

いよいよ北風も吹き始めた。こんな日は、花も一日中開いたままだ。ずっと朝のままなのかもしれない。すでに季節の感覚を失っているのかもしれない。夏の花だから当然といえば当然だ。
朝顔は、もとは大陸から渡来した花らしい。七夕とも関係があり、牽牛(けんご)という渡来名だった。牽牛花とも呼ばれ、牽牛と織姫の連想から、国内では朝顔姫という雅な名前もついたという。

その朝顔姫がふたたび帰っていこうとしている天の川が、ことしの嵐で氾濫していなければいいのだが。
花いちもんめ。
小さな花に、弱いこころが揺さぶられている。




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どこかに

2019年11月04日 | 「新エッセイ集2019」
地球の朝が
いっぱいの落葉にまみれている
どんな嵐が
吹き抜けていったのか
あのひとも
どこからか来てどこかへと去ったが
夢のかけらのような
残されたものを
いまも探しつづけている

千々にくだけた朝は美しい
光のさきの
きっとどこかに
いい国はあるのだろう

落葉をあつめ
質素な暮らしをたのしむ
かたいパンとやわらかい水と
あまい果実と乳と
たどたどしい言葉を
小鳥のように口移しする
もうひとつの朝が
どこかに