風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

インディアンの森

2017年05月26日 | 「新エッセイ集2017」

本棚に積んだままにしてあった古い本を整理しているうちに、懐かしい本が次々に出てくるので、ついページを繰りながら飛ばし読みをしたり、おもわず読みふけったりしてしまつた。
かび臭い匂いと埃に包まれていると、それだけの年月を越えて、過ぎ去ったものの中へ帰ってゆくようだ。

ヘミングウェイというアメリカの作家の名前が、いつのまにか古くて懐かしい名前になっている。
文体も懐かしい。
「彼(ニック)は父を二つのことでほんとうにありがたく思っていた。魚釣りと射撃である」。
魚釣りと射撃、それはヘミングウェイも得意とするところだった。
そして父親は、「性のことではあやふやであった」という。
だが、それについては、
「持つべきあらゆる知識は準備されていて、それについて知らねばならないすべてのことは、はたからおしえなくてもそれぞれに習ってゆくものである」と。
『父と子』という短編は、父親が教えられなかった、そのあやふやなことに触れている小説だ。

「幼かったころのことの中で、ニック自身が受けた教育は、インディアン部落の奥の栂の木の森の中で受けたものだった」。
彼はインディアンの姉弟と3人で、その森の中にいる。
「あんた、今、何かしたいんでしょ? あたし、今、いい気持なの」
と、インディアンの少女が誘ってくる。そこでニックは、邪魔な彼女の弟に銃を持たせて森の奥へ追いやってしまう。
「赤ちゃんができると思う?」
「そんなことないよ」
「たくさん赤ちゃん作ったってかまわないわ」……

時は過ぎる。
父親となった彼は、いまハイウェイを車を走らせながら、魚釣りと射撃を教えてくれた父親のことを回想している。
父は神経質でセンチメンタルで不運だったと思う。いろいろな人に裏切られて死んだ。そんな父親を愛しながらも、彼の匂いをどうしても好きになれなかった少年時代。その感覚を「猟犬には都合よくても、人間には役立たずだった」と悔いている。
とつぜん、横の席にいる息子が、インディアンと狩をしていた子どもの頃のことを質問してくる。
「どんな連中だったか話してよ」
「とてもいいやつらだった」
「でも、いっしょにいると、どんなふうだった?」
「それは口では言いにくいな」とニックは答える。

「彼女が、はじめて、だれもこんなにうまくやってくれなかったことをやってくれたなどとは言えなかった。ふくよかな褐色の脚。平たいお腹、固い小さな胸、しっかりだきしめる腕、すばやくさぐり求める舌、見ひらいた目、口のおいしい味、それから、身も世もなく、きつくしめつけて、甘く、しっとりと、愛らしく、しっかり抱きしめて、うずくように、まるごと、とうとう最後に、果てしもなく、終わることなく、終わらせることもなく、そして突如として終わり、森の中には日中しかいないのに、たそがれのふくろうのように大きな鳥が飛び、栂のとげがお腹につきささる、そんなことを、どうして口に出して言えよう」。

インディアンの匂いのこともだめだ。彼らの最後のこともだめだ。
ニックは他の事を考えようとする。
飛んでいる鳥を一羽撃ち落としたら、飛んでいる鳥を全部撃ち落としたことになるんだぞ、と教えられた父親に、今は感謝したい気分になっている。
そして息子に言う。
「お前はインディアンが好きじゃないかも知れんな」「でも、そのうちに好きになるさ」。

父から子へと、伝えられるものもあるが、伝えられないものもある。
インディアンの森に迷い込んだおかげで、ぼくの本はとうとう片付かなかった。


    (ヘミングウェイ『われらの時代』松元 寛訳 角川文庫 
               昭和50年1月30日発行 定価260円 安い!)


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ナオキの相対性理論

2017年05月20日 | 「新エッセイ集2017」

ナオキという、小学4年生の孫がいる。
学校でのあれこれを、よく母親に話すという。その話をまた母親から聞く。なかなか面白い。
先日、相対性理論のことを口にしたら、クラスの誰も知らなかったと言う。
え? 相対性理論? ぼくは耳を疑った。そんなことを知っている小学生がいたら、このじじが教えてもらいたいものだ。もしかして、きみは天才か秀才か。なんでそんな言葉を知っているのかと、驚いた。
光速? 重力? そんな言葉を耳にするだけで、ぼくはアレルギーを起こしてしまう人間なんだよ。そんな難問をこちらにふられてはかなわないと、とてもびびった。

話の続きを聞いていると、どうやら彼は相対性理論という言葉を知っているだけのようだった。それも漫画の本で知ったという。相対性理論という言葉の格好よさにショックを受け、しっかり言葉だけを自分のものにしてしまったようだ。
なにかしら格好いいものが道に落ちていた。それを拾ってポケットに入れた。それの使い道までは考えなかった。そんなところだろうか。
そんな淡白さは、やはり遺伝かもしれない。もう一歩さらに踏み込む探究心があれば、すこしはノーベル賞にも近づけるのではないか。まあ仕方ないけど。
おかげで相対性理論の追及の矛先が、こちらに向いてくることがなくて助かった。ぼくは早速、その漫画の本を探してみようかと考えている。

また別のときには、ぼくらはなんで生きてるんやろ、というのが話題になったという。
ああ、またまた難問。それが小学4年生の話題かい? じじにも答えられそうにない。じじはこれまで生きてきたのではなく、ただ生かされてきたのだ。のんべんだらりと生きてしまったのだ。そんな質問、頼むからこっちに振ったりしないでくれよ。パス、パス。スリーパス。
だが、彼らには簡単に結論が出たらしい。
いちばん誰もが納得した答えは、死なないために生きている、ということだったという。なあ〜んだ。

そうか、なるほどな。みんな動物のようにしっかり生きてるわけだ。
何のために生きているかなどと考えるときは、きっと生きることが嫌になっているときなんだ。死なないために生きるという、ただ単純に、生きる力が弱くなっているということなんだろう。
そういえば大人だって、サプリやビタミン剤を飲みながら、死なないように必死で走りながら生きてるじゃないか。生きることは死ぬことよりも難しい、とも言うけれどね。

また話は変わる。
ナオキには特に親しい友達がふたりいるという。色が黒くて体格のいいハーフのタロー君と、普通の子のヒロ君。
10年後、3人はやーやーと手を振りながら再会するという、3人だけの未来の筋書きができているらしい。そのとき、タロー君はプロ野球選手、ヒロ君はリストラされたサラリーマン、ナオキは世界的なテニスプレーヤー(えっ、まじ?)。
タロー君は足も速いし体力も群を抜いているから、プロのアスリートも夢ではないという。
だが、ナオキの場合は本人も信じがたいミスキャスト。徒競走はびり、スイミングスクールの進級も超スロー。ただ、両親のテニスに付き合わされ、ときどきラケットだけは振り回している。そんな実績だけで、タロー君に世界的と認められてしまったようだ。

可哀相なのはリストラされるヒロ君。父親は郵便局員で、超安泰なサラリーマン家庭に育っている。いじめられっ子でも虚弱な子でもないらしい。なぜ彼がリストラされるのか不思議だが、そこは少年たちの世界。
この3人の間には、ボケとツッコミではないけれど、なにかお笑い的な設定でもあるのかもしれない。お笑いや漫画の世界では、負け組もまたヒーローであったりするのだ。筋書きの先には、どんでん返しも仕組まれていたりして。

人生は筋書きのないドラマ、とも言われる。
少年たちよ、10年はあっという間だよ。少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず、なのだ。じじはつくづく軽んじたことを後悔している。
光陰矢の如し、ともいうが、光と同じ速さで光を見ようとしたアインシュタインは、矢のような光陰をどうやって捉えたんだろうね。


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ニセアカシアの花が咲くころ

2017年05月16日 | 「新エッセイ集2017」

アカシアの雨にうたれて~♪
満開のニセアカシアの花の下に立つと、そんな古い歌が聞こえてきそうだ。高い樹の上で白い花をたわわにつけて、強くて甘い香りをふりまいてくる。
歌にうたわれているアカシアも、このニセアカシアらしい。いつのまにどうして、ニセなどという名称が付けられてしまったのか。花にニセモノやホンモノがあるのだろうか。
手持ちの樹木ポケット図鑑をみたら、ハリエンジュという別名も出ていた。
小さなポケット図鑑だから、詳しい説明はない。エンジュというのが日本名だとしたら、炎樹とでも表記するのだろうか。空に燃え上がるように咲いている姿は、まさに炎樹という名前がふさわしい。
その派手はでしさは、日本古来の樹というよりは外来樹ではないかとも思われる。

須賀敦子の本を読んでいたら、イタリアの風景の中にもニセアカシアの名前が出てきた。この樹はむしろ、地中海の風と太陽に合っているかもしれない。
須賀敦子はイタリア人と結婚し、日本文学の翻訳などをしながら、長くミラノで暮らしたようだ。
小さな家と小さな庭、狭い生活の空間を家族が取り合ったり譲り合ったりして暮らしている。そんなイタリアの鉄道員やその家族の下層の生活が、愛情のこもった美しい文章で書かれている。

読んでいるうちに、失われた日本の古い生活なども思い出されて懐かしい。
雨のなかを濡れて走る男たちの話は、傘も買えないほど貧しいので、雨が降ると濡れるしかない、といった話。アカシアの雨にうたれて~、などと歌ってる場合ではない。
だが貧しさの中に、ちょっぴり恥じらいと思いやりがあったりする。それは須賀敦子という作家がもっている、貧しいイタリア人への熱い親近感と愛情だろう。彼女の控えめに抑えた文章をたどるうちに、自然にその世界に引き込まれて共感してしまう。

イタリアでも、いま頃はニセアカシアの花が咲いているのだろうか。
須賀敦子によって書かれた生活や風景も、現代のイタリアにはもうないのかもしれない。
豊かさの時代を経験したわれわれが、いま貧しさを懐かしく思うのは何故だろうか。人々が今よりもずっと近いところで、身を寄せ合って生きていたからだろうか。
それとも、貧しくて叶えられないことが沢山あったからだろうか。叶えられないということは、それだけ夢があったということではないだろうか。たぶん夢が沢山あったのだ。
アカシアの雨にうたれて~♪ その先が思い出せない。


     (須賀敦子著『トリエステの坂道』、『時のかけらたち』など)


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さわらび(早蕨)の道

2017年05月10日 | 「新エッセイ集2017」

宇治は茶の香り。爽やかな五月の風が吹きわたってくると、自然と香りのする風の方へ足が向いてしまう。
「おつめは?」「宇治の上林でございます」
そんな雅な風も耳をくすぐるが、まずは茶よりも腹を満たすことを考える。
駅前のコンビニでおにぎりを買い、宇治川の岸辺にすわって食べた。
宇治川は水量も多く、流れも速い。「恐ろしい水音を響かせて流れて行く」と、『源氏物語』宇治十帖の中でも書かれている。
美しい浮舟の姫君は、ふたりの男性からの求愛に悩んだすえ、この激流に身を投じようと決意する。

   からをだにうき世の中にとどめずばいづくをはかと君も恨みん

と、彼女は歌を残して消える。
せわしなく時を運ぶような川の流れは、浮き世とあの世との境界にもみえる。その川に架かる橋は、夢の浮橋か。

宇治十帖に登場する姫たちは、夢のように儚い。
大君・中君の美しい姉妹。姉の大君は都の公達から熱い思いを寄せられながらも、ひっそりと仏の道に生きようとする。恋と信仰との狭間で悩み、ついには病に倒れてしまう。
姉亡きあと、ひとり残されて淋しく暮らす妹の中君を気遣って、寺の阿闍梨から届けられるのが早春の蕨(わらび)だ。そんな物語の道をたどるように、いまは「さわらびの道」がつくられている。

宇治川を離れて、宇治神社、宇治上神社へとたどる木陰の道には、与謝野晶子の『源氏物語礼讃』の歌碑などもある。

   こころをば火の思ひもて焼かましと願ひき身をば煙にぞする

静かな小道の脇で、源氏物語に寄せる晶子の熱い思いが燃えている。
さわらびの道の行き着くところに、花に囲まれた源氏物語ミュージアムがある。映像展示室で、短編映画『浮舟』を観る。ホリヒロシの人形が時空を超えて、ひと以上にひとの情念を演じる。

宇治の道は、さらに山に向かってつづく。古代の信仰の坂道をのぼると、西国観音霊場十番札所の三室戸寺がある。
山の斜面に広がる境内の五千坪の大庭園は、いま満開のツツジとシャクナゲで染まっている。花の原をかき分けるようにして花の道を進む。
重層入母屋造りの本堂の奥には、神仏習合の伝統だろうか、神社社殿もある。
お参りするための線香を買おうとして、その隣りにあった源氏物語恋おみくじの方へ、つい手が伸びてしまった。浮舟のせいかもしれない。

恋おみくじは吉だった。どうってこともない普通のおみくじだ。ただ、恋愛と縁談の項目だけが太字になっている。「素晴らしい縁がある。いつまでも幸せに過ごせる前兆あり」とのこと。あくまでも前兆にすぎない。恋の道だけは神様にも先が見えないものらしい。
源氏物語のなかの和歌が一首添えられてあった。おみくじの運と、どのような関わりがあるのかはよく解らない。

   手に摘みていつしかも見ん紫の根に通ひける野辺の若草


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書を捨てよ、野へ出よう

2017年05月05日 | 「新エッセイ集2017」

「ぼくは速さにあこがれる。ウサギは好きだがカメはきらいだ。」
これは、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』の書き出しの文章だ。
この本が出版されたのは、ちょうど50年前の1967年のこと。その頃から日本人はひたすら速さに憧れ、速さを追求してきたのではなかっただろうか。
そして、やがてシフトダウン。スローライフの勧めや、ゆとり教育などが提唱されるようになる。週休2日の制度や祝日の増加などで、すこしはゆっくりのんびりした生活リズムを取り戻しただろうか。

おりしも連休中だが、あわただしい町へ出るのはやめて、野へ出てみることにした。
近くの公園で、3家族でバーベキューをする。おとなが6人で子どもが4人。少子化、高齢化、いかにも現代の日本の世相を象徴するような野外パーティーの一日となった。
かつては、どこへ行っても子どもの方が多く、子どもが賑わいの中心だった。そんな子どもだった者たちが、今はせっせと火をおこしている。そして新しい子どもたちは、火のそばへ寄ってくることもない。火を燃やすということは、めったにない楽しい経験だと思うのだが、そんな原始的なものにはあまり興味が沸かないのか、子どもたちはクールに火の外にいる。
古代からヒトは、火のそばで暮らしてきたはずだが、どこかで生き方の習慣が、断絶してしまったのかもしれない。

それでも、肉が焼けていく匂いには引きつけられるようだ。みんな肉食獣の野生は残している。カルビ、ハラミ、ロース、セセリ、トントロ、カシワなど、やはり炭火で焼いて野外で食べる肉は、肉そのものの味がする。
タマネギ、ナスビ、シシトウなどの野菜類は、あまりお呼びではないようだ。どうも現代っ子は嗜好が偏っていて、まず食べてみるということをしない。飢えというものを知らず、食べなければ死ぬということも実感がないから、食べるということに貪欲にはなれないのだろうか。
肉食獣になって血がもえたところで、ボールを投げたり蹴ったりして、久しぶりの汗をかく。 そのあと疲れた大人たちは草の枕でひとときの夢をみ、若者たちはスマホで夢の続きを追いかけている。以上が昼の部だった。

夕方は、サザエ、ホタテ、イワシ、イカなどの海鮮を主体に焼く。
サザエは、はらわた部分を先っちょまで切れないよう、慎重に引っぱり出して食べる。
貝でも魚でも、はらわたがいちばん美味しいのだが、子どもらは気味が悪いとか、汚いとかで敬遠する。おかげで、こちらは旨いところを遠慮なく堪能できたが、子ども達よりも大人の方が貪欲だというのもさみしい。
子どもらは、まず飢えということを知るがいい。動物は飢えるから食べるのだ。生きるために必死で食べるものなのだ。
飽食の子どもらは飢えさせてから、ウサギの野に放つ。書はとっくに捨てられている。スマホも捨てよ、野に出よう、だ。


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