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風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ソーダ水

2010年04月20日 | 「特選詩集」
Wave


細かい気泡がおどる
緑色のグラスがはじける
マリさんの大正ロマン


いのち短かし恋せよおとめ…
白い大正デモクラシー
ナース服の背筋が伸びていた
横浜のモガ(モダンガール)
声が少女のようにハイだった


ソーダ水は不二家が日本最初だよ
中華街か浜っ子か
マリさんが言うとソーダハンテンに聞こえた
おばかだね、白いおしゃれな喫茶店なのさ
ああ、ソーダ・ファウンテンだったのか
店の名を知ったのは
マリさんが死んだずっとあとだった
カウンターもテーブルも白い大理石なのさ
コーヒーカップも白
ボーイさんも白のコート
憧れだったんだな
マリさんの白いナースキャップ


マリさんに恋なんてあったかな
バカだね、このでくのぼうの包茎ちゃん
さっさと青い尻だしな
いのち短かし恋せよおとめさ
そんなおとめは遠いはなしだろ
そうさ戦争がかっぱらっていったさ
マリさんの戦争って西南戦争か
バカだね、このもてないさいごうっ屁やろう
いつまでも臭い尻だしてるんじゃないよ


平塚らいてうも知らないだろ
いまの女は自分の光で輝くこともできない
あんたみたいな青っちょろい顔をした
夜の月だって言ったんだ
昔の女は太陽だったってね
ソーダハンテンのソーダ水だよ
みんな元気になったね
スカッとしたね
与謝野晶子に松井須磨子
新しい女に新しい時代
コカコーラだってあったのさ


レモン、オレンジ、ストロベリー
バニラ、ラズベリー、ルートビア
噴き出すソーダ水
ピカピカの銅製のレバーはメイド・イン・シカゴさ
ブルーストッキング(青鞜)の横浜
バスガール、エアガール、マリンガール


心のほのお消えぬ間に…
あ~あ
あれもバブルだったんかねえ
ソーダ水の泡つぶみたいなもんさね
泡が消えたらただの甘い水なのさ


今日はふたたび来ぬものを…
ストローのさきで舌が麻痺している
喪失の泡がかけのぼってゆく
白衣のマリさんが
爽やかに真空になる


(2004)


ミルフイユ(mille-feuille)

2010年04月20日 | 「特選詩集」
Card


曖昧な時間のなかへ
軽くフォークをたてる
乾いてあやうい手ごたえ
フィユタージュの薄いすきまから
あやしげに覗く
クレーム・パティシェールの甘い微笑み
私はもう逃げだせないのです


木々の記憶が散る
千枚の葉っぱ(mille-feuille)
アントナン・カレームの
悪のささやき
乾いた手にみちびかれ
葉脈の流れの先まで
深くおぼれてしまいそうです


アルハンブラ宮殿の赤の
苺のようにつぶしてください
あまい蜜がしたたる壁の
イスラムの千の祈り
千人の唇と指がしびれて
グラナダが陥ちる


空しさへ満たされることの
冷たい喪失のふちで
ミルフイユの層なす夢のあとは
フォークのように蒼ざめているのです
やがて首のない彷徨のとき
ルイ王朝の深い眠りに
ふたりは落ちる


(2004)


ぼくらのオリンピック

2010年04月20日 | 「特選詩集」
Manyo


あの川の向こう岸はアテネだった


大岩のスタート台を蹴って
抜き手で瀬をわたる
空には虹のような五輪の雲
つかめそうでつかめない
すべてが美しく
すべてが遠かった


川上の瀬をスタートして
川下の浅瀬がゴール
クロールに背泳ぎに平泳ぎ
ときには犬かき


さお竹の棒高跳び
つけもの石の砲丸なげ
レスリングに相撲
毎日がオリンピック
水をける砂をける空をける
ホップにステップにジャンプ
砂の記録はいくども書きかえられ
風とともに消え失せる


勝者も敗者も
砂のベッドで息たえる
ただ流れる雲を追っている
どこの果てへ行きつくのかもわからない
ときには空の切れまに落ちそうになる
いつしか
浮遊する雲のひとつになっている


ぼくらの夏にメダルはない
オリンポスの太陽に焼かれるだけ
砂の栄光にまみれるだけ
ぼくらは何ひとつ残さない
ぼくらは夏も残さない


あの夏は
どこへ行ってしまったのだろう
川岸にはスーパーマーケットができ
ぼくらのアテネは道路になった
車が走りぬけるこの道は
あのローマに通じているのだろうか
もうすぐマラソンランナーたちがゴールする
アテネはどこにあるのだろう


(2004)


なまず

2010年04月20日 | 「特選詩集」
Touki


ええにおいやなあ
ええにおいやなあ
庭のぶどう棚の日陰で
おばあちゃんがなまずを焼いている
かんてき(七輪)の炭がこげている
なまずの蒲焼はおばあちゃんしかできない


なんでそんなに
ええにおいなんやろ
なまずは憎らしい顔をしている
大きな頭に小さな目
長いひげとぬるぬるの尾びれ
生きているのか死んでいるのか
ふてぶてしさが憎らしい


あの人が釣ったなまずだから
よけいに憎らしい
自分は食べないくせに
のんべんだらりの大なまずばかり釣って
ほかには何もできない


なまずを焼くおばあちゃんの
背中の丸みがかなしい
私はからだをぜんぶあずけたくなって
おばあちゃんの後ろから抱きついてしまう


ああ チエ子や
かんにん かんにん
おまえいきなり何すんねや
うまいこと焼かれへんやないか


あのなあ おばあちゃん
あとの言葉が出てこない
涙でおばあちゃんの背中を濡らしている
ええにおいやなあ
ええにおいやなあ
なんでこんな言葉ばかり
もう私の声じゃない


チエ子や おまえ
ややこ(赤子)でもでけたんとちゃうか
おばあちゃんの声がおなかに響く
涙がとまらない


(2004)


トンボの空

2010年04月20日 | 「特選詩集」
Sora9


水よりもにがい
トンボの翅のにがさ
少年の夏は
喉のずっと奥にのこる


空よりも透きとおって
その澄んだ銀色の翅は
ときにカッターナイフの俊敏さで
川面に空をひきよせた


トンボの空に憧れた
ぼくの手が
トンボの翅を半分に切る
空を失ったトンボの
それはちょうど
ぼくの手がとどく空間


トンボが空を失うと
ぼくも空を失う
空はあまりにも透明だから
もうぼくの手はどこにもとどかない
空はどこだ
トンボにたずねても
トンボもこたえない


翅を失ったトンボは
もはやトンボではなかった
そうしてぼくも
たくさんの夏を失った


   *


トンボよトンボ
少年のまぼろし
おまえはいつから空高く
そんなに飛べるようになったのか
青い空と白い雲のはざまに
ぼくは今でも
その透明な翅を見失ってしまう


(2004)