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風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

てっぽう

2010年04月20日 | 「特選詩集」



とっくにもう
枯野の向こうへ行っちまったけど
俺に初めてフグを食わせてくれたのは
おんじゃん(おじいちゃん)だった


唇がぴりぴりしたら言わなあかんで
フグの毒がまわったゆうことやさかいにな
ぴりぴりするフグの味なんか
俺にはちっともわからなかったよ


まるでフグみたいに
喋るまえに口をぱくぱくする
おんじゃんの言葉は蟇口といっしょで
腹巻のどんづまりからひっぱりだしてくる
言葉が出てくるか銭(ぜに)が出てくるか
俺は銭だけを待ってたけれど


俺たちは引きこもりだった
おんじゃんは入れ歯と腰ががたがたで
俺は前頭葉がばらばらだった
あさおきてかおをあろうてめしくうて
俺が五七調で口ずさむ
宗匠づらのおんじゃんがあらわれる
われはあほか
俳句には季語ゆうもんがあんのや
春には春の
秋には秋の
花ゆうもんが咲くやろが


春夏秋冬
俺にはただ
だらんとした暑い日と寒い日があるだけだった
だから花びらみたいな俳句なんか
お地蔵さんの腹巻へつっ返してやる
宗匠はフグの口になって
きんたまなんか掻いてやがる


五七五や
たったの十七文字や
われはそんなんもでけへんのか
かまぼこでも切るように
おんじゃんは言葉をきっちり揃えようとする
切って削って五七五にして
だんだん言葉が少なくなってゆくんだ
口ばかりぱくぱくやっても
言葉なんか泡ぶくみたいなもんだ
とうとう俳句ふたつぶんくらいしか喋べれなくなった
それがおんじゃんの一日だ
そして俺の一日も似たようなもんだった


唇がぴりぴりになったら
そのあと
どうなるんだろう


旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
おんじゃんの句もなかなかのもんだ
そう言って怒らしてしまった
われはほんまのあほや


そうだよ枯野をかけ廻っていたんだ
おんじゃんの夢も俺の夢も
それから四日後におんじゃんが死ぬなんて
あほな俺には考えられなかった


おんじゃんは
辞世の句も残さなかった
もちろん
フグの毒にあたったのでもなかった


     (大阪では、フグのことをてっぽうともいう)


(2004)


魚になる季節

2010年04月20日 | 「特選詩集」
Sikaku


魚になろうって
きみが言ったから
ふたりは裸になって
思いっきり水になって
魚になった


重たい水をおし開く
揺れているきみの顔が
泡つぶだらけで
ひげのある恐い魚にみえた


魚になったきみは
わたしの足をつかんだまま
なかなか離してくれない
わたしは水を飲んで死にそうで
いくども息がつまった


弱った魚になって
ふたりは岸にあがり風を吸った
きみのおちんちんは小さくてまっすぐ
わたしは固くなった乳首がくすぐったい
きみはオスでわたしはメス
魚のようなひらめきをした


膨らみかけたわたしの胸をみて
きみはとまどう
その時からきみは
魚になろうなんて言わなくなり
わたしはたぶん
きみよりも強くなった


弱虫のきみは川をすてた
わたしは今でも
川のそばで暮らしている


あれからいちどだけ
わたしは魚になった
わたしのまわりのすべて
草のいろも花のいろも失われ
苦しくて苦しくて
わたしの小さな魚たちが
あぶくになって空へとのぼった


(2004)


ヘロイン

2010年04月19日 | 「特選詩集」
Senro2


とつぜん夜中におなかを痛くする
私はそんな子供だった
そのたびに
父の大きな手が
私のおなかを温めてくれた


ときには私の頬をぶった
太い血管がうきでた手
ぶ厚いふとんよりもしっかりと
私の痛みを押さえてくれた


今でも私は
夜中におなかを痛くすることがある
そんなときは
おなかに自分の手を当てたまま
しばらく痛みに耐えている
私の体には
ときどき毒がたまるのだろう


もう温かい父の手はない
私の手は
きょう娘の頬をぶった手だ
マーマ ごめんなさい
マーマ ごめんなさい
私の手はまだ濡れたままで


痛むおなかの上に
自分の手をのせていると
あたたまった毒が
じわじわと体じゅうに溶けて
私はまた
おさない夢の始めにおちてゆく


(2004)