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大相撲、黄金の0.3秒!

 白鵬が優勝した、大相撲大春場所、特に優勝決定戦の決まり方(白鵬がはたき込みで朝青龍を0.3秒で破った)と、本割りで朝青龍が千代大海を破った相撲(こちらは0.7秒)が「変化」による決着だったことに対して、批判の声が上がっているが、これは、いかがなものか。
 お互いに勝ちたい相撲は当然真剣になるし、真剣になった場合に、「変わる」ことは当然選択肢にある。しかも、立ち会いに変わった場合、相手がこれに対応できた場合、優勝決定戦の白鵬でいうと、朝青龍にもろ差しに指されて、棒立ちのまま、無様に、寄り切られたであろう。白鵬は、大きなリスクを取って勝負して、それで、勝ったのだ。そもそも「変わる」ことが許されないなら、相撲は、ひたすら強く当たるだけのものになり、攻防とスリルを欠いて、著しくツマラナイだろう。
 本割り・結びの、朝青龍・千代大海戦も、観客にとっては幸いな、7勝7敗の千代大海が、事前の八百長を受ける筈もなく、これに対して、何としても勝ちたい朝青龍がリスクを背負って勝負した、真剣勝負の相撲であった。
 そもそも、「変わる」立ち会いは、相手が自分よりもはっきり弱い場合、自分がリスクを取るから、損な選択肢なのだ。普通に行って勝てそうな相手なら、様子を見ながら、もっとリスクの小さい取り方をするだろう。或いは、あらかじめ、シナリオが出来ている取り組みなら、それらしい攻防を演出した「力相撲」の後に、予定通りの勝負を決することが出来る。
 白鵬は、決定戦で勝ったときに、相撲取りには似合わないのだが、思わず、小さく「ガッツポーズ」をして、喜んだ。これは、この一番が、「注射」(=八百長)ではなく、「ガチンコ」(=真剣勝負)であったことの何よりの証明だろう。朝青龍も、白鵬に対して、余裕がないから突っ込んで行って、策に引っ掛かったのであり、あれは、最高のスリルを含んだ0.3秒だった。
 もちろん、「俺の方が強いのだから、大事に行く」とお互いが思い合っての最高レベルの大相撲を見たいものだとは思うが、そんなものは、一世紀に何度か、あるか、ないか、ではないか。何はともあれ、150kgの巨漢が、リスクを背負って、本当に勝ちたいと思って戦った勝負を鑑賞できたのだから、満足してもいいのではないか。
 この真剣勝負のスリルを十分鑑賞できずに、「力相撲を期待した」とか、「上を目指す者として残念な取り口だ」とか、「横綱が変わるとは」とか、ピントのずれた批判を口にする者は、相撲を語る資格がない、と私は思う。そんな輩(女性もいるかもしれないが)は、歌舞伎のように、台本がある見せ物(同族と男による芸能なので、芸術としては不純だと、私は思っているが)だけを、批評していればいいのだと思う。
 たとえば、解説者が、「大一番は、期待通りの、大相撲になるべきだ・・・」というようなことを述べるのは、テレビ的には無邪気な予定調和的コメントかも知れないが、「大一番風の八百長相撲」を称揚する共犯行為にもなりかねない。
 そもそも、大相撲には、「完全な真剣勝負ではない」という意味では、時に、八百長があることが、ほぼ明らかなのだ。スティーブン・D・レビット、スティーブン・J・ダブナー著「ヤバい経済学」(望月衛訳、東洋経済新報社)にもあるとおり、千秋楽に7勝7敗の力士と、8勝6敗の力士が対戦したときに、過去の成績から推定される前者の勝率は0.48なのに、実際には0.79強の確率で前者が勝っている、というデータ(十年以上の、サンプル数十分なデータだ)から見ても、少なくとも「手心」という程度の意味での八百長の存在は否定しがたいし、そのような行為が成立するインセンティブが十分に存在している。
 たとえば、朝青龍の場合、たぶん、彼は、殆どの力士よりも強いのだろうが、それは、絶対的なものではないとすると(たとえば、相手が「変化」した場合・・・)、朝青龍は「保険」が欲しいだろうし、相手も、もともと勝てる確率は小さいのだから、事前に約束された経済的な報酬に対して、「星を売る」という商談は、合理的に成立しやすい筈だ。そもそも、現在の相撲の取り組み自体が、幕内力士の平均体重が150kgになる時代に、デブとデブとが正面からぶつかり合って、しかも、絡み合って土俵下に落ちるようなゲームなのだから、真剣な者同士では、かなりの危険を伴っている。
 また、注目度の高い結びに相撲を取る朝青龍の取り組みには懸賞が多数掛かっており(多いときには40本以上。1本は、全額が直ちに手取りではないが6万円だという)、ここから、星を買う資金を出す、というのは、少なくとも朝青龍には可能で、ある種の経済合理性を持った、「ビジネス・モデル」であり得る。
 しかし、たとえば、「ヤバい経済学」でも、八百長が問題化した次の場所は、真剣勝負が増える傾向があると指摘されている。確かに、今場所の朝青龍には、せっぱ詰まった緊張感があったし、14日目の本割りの白鵬戦でも明らかだったように、真剣勝負ならではの、爆発的な運動神経の発現(私には、そう見えたが、あれが、八百長なら、兜を脱ぐ)が見られた。つまり、今場所は、面白かった。
 八百長というか、手心というか、完全なガチンコではない相撲があるのは残念なことだが、それでも、ガチンコの相撲は多数あるし、八百長が問題視されると、それは増える。「どれだけ真剣だったか」という観点も含めて、騙されないように、油断無く取り組みを見る、というのも、相撲の楽しみ方だろう。150kgのデブとデブが、カラダをぶつけ合うゲームは、やはり凄い!

(※当初のエントリー投稿時に、「白鵬」を誤って「白鳳」と表記していましたが、ご指摘を受けて、修正いたしました)
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