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書籍「ライブドアに物申す!!」

出版社から「ライブドアに物申す!!」という本が届いた。

44人の筆者が参加しており、私も数ページの原稿を書いている。

ライブドア社、ライブドア事件、堀江貴文氏についてそれぞれどう思うか、というアンケートに答えて寄稿したもので、もともと例の事件後に、ライブドア社のホームページで行われた企画がベースだ。このアンケートに、私は答えなかったのだが、その後、本を作る時に、筆者を何人か加える時に、加わったのだった。

編集者によると、筆者の一人が〆切から逃げて、出版が遅れたらしいが、堀江貴文被告の公判に間に合ったから、まあまあのタイミングだろうか。

ライブドアが巻き起こした話題や幹部の逮捕に発展した事件に関しては、あれほど話題になったが、急速に記憶が風化しつつあるように思われる。忘れても構わない事件だという意見もあるだろうし、そうせよ、と書いておられる筆者もいるが、公判が始まることでもあり、ポイントを思い出して、あれば何らかの教訓を覚えておくことは無駄ではないように思う。私は、どちらかと言えば、「ライブドア」と「ホリエモン」は覚えておく価値のあるケースだと思っている。

ポイントとして重要だと思うのは、
(1)ライブドアが急拡大できたビジネスの仕組みは何だったか、
(2)ニッポン放送を巡る攻防の意味、
(3)「国策捜査」としてのライブドア事件の捜査方法の当否、
の三点であり、敢えて付け加えると、
(4)「ホリエモン」という存在の社会的意味、
だろうか。
投資家として知っておくべきは(2)と(1)であり、特に(2)だと思うが、今後の公判の行方を見ると、最も重要なポイントとして(3)が浮上する可能性もある。

私の原稿は、楽天証券のホームページに載せた「ホリエモン論序説」を改筆したもので、主に(4)に興味を持つ視点から、(1)、(2)、(3)について書いたものだ。元原稿と、本に載せた原稿では、「堀江容疑者」が「堀江被告」になるような時間の経過による変化の外に、(2)で一点確認できたことがあったのと、(3)の視点が(弱いながらも)加わったことだろうか。

原稿をまとめながら、私の場合、事件について、検察からの情報が流される中で、これにコメントし続けてきたので、自分の立場をどこに置くかが難しかった。TVなどのコメントでは、どうしても検察サイド寄りのコメントになるし、それはそれでそう内容的に誤っていたつもりはないのだが、ライブドア事件が所謂「国策捜査」かも知れない、という視点も加えて事件を見直した場合、「粉飾は悪いとしても、50億円の粉飾で、6000億円以上の時価総額を吹っ飛ばして、投資家に大損させたあの捜査はどのくらい適切だったのか?」という疑問は消えない。この点は、公判を見ながら(幸い短期間で終わるらしいし)、改めて考えてみたい。

仮定の話で恐縮だが、ライブドアの事件がパッとしない場合、さらに村上ファンド事件も冴えない展開になる場合、東京地検特捜部はどうするのだろうか。別の事件に手を広げようとするのか、或いは、しばらくこの種のものは手掛けないのか。

村上ファンドの事件は、村上被告が裁判でどう供述するかをいわば質に取った形になっているように見える。「あまり追い込むようなら、裁判で供述をひっくり返して徹底的に争うよ」という交渉材料を彼は、検察に対して持っている。地検の個々人は基本的にこのような大きなリスクを取りたくはないのではなかろうか。「裁判ではおとなしく認めるから、彼個人や会社を徹底的には追いつめないように」という落とし所を村上被告側は作れるのではなかろうか。

村上ファンド事件でこうした展開が予想されるとした場合、地検は、ライブドアを「手柄」に出来るかどうかが問題になるが、なかなか上手く行かないかも知れない。「粉飾50億円だけ」というだけで、堀江被告を世間的にもどの程度悪者に仕立てきることが出来るかが問題になるが、堀江被告が「違法を認識しつつ、粉飾を指示した」という点がどの程度立証できるだろうか。「世間の空気」というものは移り気だから、堀江被告に対する同情論・待望論的な空気が出てくるかも知れないし、その場合、検察に批判の矛先が向かうリスクが検察側にはある。

こうした状況下で、検察は、更に手を広げるのか、それとも、この種の事件から撤退するのか。或いは、裁判と世論形成の両方で成功を納めるのか。他の事案にも影響するかも知れないし、この種の権力が、どのような考え方を持って行動するものなのかも含めて、向こう数ヶ月の動きに注目したい。
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