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買収されない企業と侵略されにくい国の類似点

 企業買収に関わる新聞記事などを眺めながら、ぼんやりしていたら、「買収されない企業」と「侵略されにくい国」に似たところがあると気付いた。先日、東京は神田神保町にある我が社のオフィスを訪れた某出版社の青年が「ハト派市場主義宣言」というコンセプトはどうですか、などと、と提案して帰ったからかも知れない。
 あらかじめ言って置くが、以下の説明を以て、非武装中立が可能であることの必要十分条件だと主張する積もりは、今のところない。ただ、ある種の社会のあり方が、防衛を代替する効果がある、ということは言えるのではないかと感じている。

 三角合併その他、企業買収を話題にするときに、内外の企業の時価総額の比較がよく出てくる。たとえば、日本の花王と米国のプロクター・アンド・ギャンブル社(P&G)を比較すると、後者が前者の数倍の時価総額を持っている。だから、P&Gがその気になったら、あの優良企業である(ということになっている)花王が、簡単に買われてしまう、大変ではないか、という話になるのだが、それでは、どうして、P&Gは花王を買おうとしないのか。
 実は、これから買おうとしているという可能性がホンの少しないわけではないが、買おうとはしていないという前提の下に合理的な理由を推理すると、花王の株価が高いから、これを買っても、P&Gにとってプラスにならないことが理由だろう。
 通貨も金利も違う株価を直接PERで較べるのは正しくない。P&Gの立場では、通貨をドルベースに揃えて今後の状況を考えなければならないが、例えば、花王のPERが25倍、P&GのPERが15倍だとすれば、P&Gは、花王を買うことで、高い金を出したのに、思った程利益が伸びないという意味で、経営内容を悪化させる可能性が大きい。花王のPER25倍は、将来利益の成長性や安定性が高く評価されたものだと考えられる。これをP&G流に経営すると、かえって能率が下がってしまう公算が大きい。
 まして、花王を本当に買うとすると、3割が相場と言われるコントロール・プレミアムを払わなければならないし(根拠はよく分からないが、そう言う人が多い。「勝者の呪い」の大きな原因だ)、経営統合の各種コストを払わねばならないから、花王の将来利益をPER25倍で買い切ることは難しいだろう。加えて、花王は、株価純資産倍率が、なかなか高い。
 こうした場合に、P&Gが花王を買収し、支配しても、投資額に見合うメリットはない。
 また、別の例を考えると、たとえばコンサルティング会社やソフトの開発会社のような会社を買収する場合、買収後に生産性の高いコンサルタントや開発者が会社を辞めてしまうと会社の価値が下がるし、メンバーの退職やチームのマネジメントスタイルの変更で、ビジネス・ユニットとしての生産性が大いに低下する可能性がある。
 もちろん、こうした場合も、買収前にその会社のビジネスが改善のしようがないくらい効率が良くて、高い株価が付いていなければならないが、効率よく経営されていて、高い成果と評価を得ている組織は、買収して支配しても儲からない。
 株価評価の高い会社の経営者が、よく、「我が社を高く買ってくれるところがあるなら、どうぞ、買収してくださって結構です」とか、「経営効率を高めて高株価を維持することこそが買収の防衛につながるのであり、我が社には(セコイ)買収防衛策など必要ない」というようなことを言うが、他人が支配して経営効率の改善が出来ず、かつ高い評価の会社は、時価総額が小さくても買収されないのだ。
 もちろん、時価総額が大きな会社や、大資金を持ったファンドなどが、小さな会社を買収しようと思った場合、これは十分可能だが、買っても得をしないということになれば、買収は行われない。買収防衛策は、株価の低迷にもつながるし、弁護士を儲けさせる必要もないし、不必要である。

 国にも同様のことが、言えると思う。
 A国がB国に武力で侵略することを考えよう。A国が武力的にB国よりも強国である場合でも、侵略から占領にあたっては、自国側でもある程度の損害と、多大な経済的コストを覚悟しなければならないだろう。B国に侵略して、このコストは回収できるか。
 それまでB国は、経済社会的に上手くマネージされていて、生産効率が高いとしよう。これを無理矢理A国の社会システムに変えたとして、果たして、維持できるだろうか。言語を二種類使わせることをはじめとして、B国の経済の能率は落ちるだろうし、たとえば企業から強制的に富を収奪し、高い税金を課するならば、企業活動は低下して、生産力は、落ちる。
 それでは、国旗と政治家だけを取り替えて、もとのままの社会運営と企業活動を許して貰えるなら、どうか。
 この場合、一般的なB国民としては、別段大きな不利益もない。これに対して、銃を取ってまだ、戦う意味は乏しい。株式会社で言えば、株主が変わって、社名が変わるだけだ。

 日本をB国として考える場合、場合によっては、非正規労働者に対する扱いがもっと良くなるかも知れないし、年金制度など、もっと合理的なものにリセットできるかも知れない。日本に当てはめるなら、他国に統治される方が、若者の暮らし向きは改善するかも知れないとさえ思う(年寄りの財産のために、銃を取るのはツマラナイ。特に、失うものの乏しい人は、もっと鷹揚に構えよう。大金持ちこそ、自分の財産を守るために、銃を取るべきなのかも知れない)。
 占領されて気分のいいものではないが、日本語で運営されていて、且つそれなりに高度な物質的・経済的生産性を持っている日本の社会を、統治して更に、メリットを取る、というのは、占領国にとってなかなか難しい課題ではないか。A国として、中国、南北統合された後の朝鮮、ロシア、など何れの国を考えるにせよ、日本の社会を自分達のシステムに取り込んで、効率よく搾取し続けるのは、難しいのではなかろうか。
 結局、自主的に運営させておいて、政治的なトップ層だけ取り込んで、経済の枠組みの中で物的生産を長期的に担わせたり、マーケットとして活用したり、時に、無理めな協力をさせる、という、丁度、これまで及び現在、アメリカが日本に対してやってきたことくらいが関の山ではなかろうか。
 乱暴な言い方をすると、悪くても、今くらいなのだ。防衛に力を入れて、一体何を守るというのだろうか。
 日本の場合、人が関わった上での生産性が経済的な価値を生んでいる。これが、たとえば、人口の少ない、ほとんど人間が働かない、しかし、石油なり稀少金属なりの、豊かな鉱物資源があるといった国なら、そうは行かない。丁度、キャッシュや不動産を抱えていて、まともに経営されていない会社のようなものだから、今度は、俄然、占領するメリットが出てきてしまう。働かなくても喰えるような、楽な国には、別の苦労があるということか。
 もちろん、ある程度のコントロール・プレミアムに相当する防衛力はあってもいいが(現在の自衛隊は過剰なくらい豪華ではなかろうか)、攻めてくる国に勝てるほどのものは必要ない。
 国民大衆レベルでは、占領されてから、占領国のお手並みを拝見する、というくらいの精神的余裕を持っていてもいいのではなかろうか。そこから、どうできるか(どうできるものでもない)、という占領国にとっての予測可能性こそが、日本社会のソフトな防衛力の核心だ。もちろん、個人としては、敢えて、余裕があれば、体制が変わっても順応できるような個人的スキル、いよいよ居心地が悪い場合に、他国でも暮らせるような能力とコネを養っておくといい。占領されなくたって、居心地の悪い国になる可能性はいくらでもある。

 ともかく、簡単に見える、企業の買収でさえ、そうやたらに起こるわけではないし、時価総額の小さい会社がどんどん買われていく、というものではない。国も、そう簡単に侵略されるものではないし、一口に、侵略・占領・併合などといっても、その内容は、いろいろであり、悪いことばかりと決めつける必要もない。武力による防衛力のみに安心を求めるというのは、あまり賢いやり方ではなさそうに思う。

 以下、余談である。
 ところで、防衛と言えば、先日、防衛省に詳しいある政治記者に聞いたところ、守屋次官の後任の、増田氏は、非常に優秀で現実的な人らしい。何れは当然次官に、ということで、省内が納得する人であるらしい。但し、守屋氏には、疎まれていたかも知れない、というし、もちろん、小池大臣が彼を選んだわけではない。小池氏は人選に失敗した、ということのようだが、結果的には、良い人事になったらしい(それにしても、西川氏は、何とも見苦しいことになってしまったものだ)。
 ご本人の確認を取ったわけではない伝聞だが、増田氏は、「別に、何でもアメリカの言うことを聞かなくても大丈夫ですよ」、「憲法9条という程度の不自由がある方が、かえって、いろいろと好都合です」と仰っているらしい。柔軟な方のようだ。ただ、目的を与えられると、そのために何が必要であるかを計算して、解く、ということが極めて得意らしく、何でもできてしまうタイプらしいので、誰が、彼にどんな目的を与えるか、ということが重要であるらしい。
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