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「お疲れ様」という挨拶について

「お疲れ様です」という言葉が、頻繁に挨拶に使われるようになったのは、いつ頃からなのだろうか。ビジネスマナー的には、目上の人に言っても失礼でない、無難な挨拶とされているらしい。

しかし、人間は、いつも疲れているわけではない。顔を合わせるたびに「お疲れ様」という挨拶には、時々違和感を覚えることがある。

仕事が終わって、帰ろうかという時に、「お疲れ様」は構わない。一般のオフィスでも、テレビ局でも、まあ、自然な挨拶だ。しかし、たとえば、これから仕事をしようかという時に、「お疲れ様」、は無いような気がする。出鼻をくじかれる。「俺はそんなに草臥れて見えるか」、とまで拗ねなくとも、もっと前向きな挨拶はないかと思う。そして、メールなどの、顔を合わせないコミュニケーションの場合には、もっと調子が狂うことがある。

しかし、状況に合わせて一々挨拶を変えるということは面倒なことかも知れないから、挨拶はこれ一つでいい、と認め合うことが、現代的な「協調性」なのかも知れない、とも思う。相手は、自分の存在を認めて挨拶をしているのだから、それだけで十分と言えば十分だ。これ以上を求めるのは、贅沢というものかも知れない。

「お疲れ様」が、丁寧な挨拶であり、失礼ではない、という通念の背景には、たぶん、立派な人は常に疲れるくらい熱心に働いており、そのことを認めることが大切であると同時に、そのことに感謝の意を表したいというニュアンスが、この言葉にはあるのかも知れない。また、多くの人が、自分はいかに忙しいかを強調しがちだから、その前に、「忙しくて、お疲れ様」と認めてあげること、忙しさに話を向けてあげることは、親切なことなのかも知れない(私は、お節介だと思うことがしばしばあるが)。

しかし、疲れていなくても他人の役に立つことはある。また、これから、ということを考えると、疲れていない方が、気分もいいし、他人の役にも立つではないか。「お疲れ様」という挨拶には、何となく、相互に現状満足を確認し合うような、重苦しさがある。

では、「お疲れ様」を止めるとして、どう挨拶すればいいのか?

「こんにちは」、「さようなら」で十分ではなかろうか。これらの方が、お互いが対等な感覚でサッパリしている。特に、目上、目下が離れている場合には新鮮でいいと私は思う(私の感覚がヘンなのかもしれないが・・)。

もちろん、仕事の終わりの「お疲れ様」は、まあ悪くない(「ありがとうございました」とか「また、明日(今度)」という方がもっといいかも知れないが)。

しかし、何はともあれ、「こんにちは」の代わりの「お疲れ様」はよろしくないと思う。どうだろうか?

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