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山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

目覚めた日

2014-02-05 18:13:40 | モノローグ【エトセトラ】
1971年の半年間だけワンダーフォーゲル部(大学のサークル)に所属して山登りに明け暮れたことがある。
阿蘇の山々、九重連邦など一週間に一回はテントや食糧を担いで歩いていた。
日頃のトレーニングはキスリングに30kgくらいの石や砂を詰め込んで校舎の階段を昇降していた。
無銭旅行を!その体力気力が欲しかった。
異国での孤独や冒険に人生の価値を夢見ていた。
若い時は世捨ての心境だった。
単なるウツだったのかも知れないが、ニヒリズムを美化していた。
ニヒルな先輩が周りにいて、それがカッコイイと思っていた。
「つまらん!」ニッポンから脱走を試みていたのである。
ところが、ある日、突然、考えが変わった。
それは山登りの先輩の投身自殺からだった。
遺書には「学生運動に疲れた。さようなら。」と書かれていた。
内ゲバに巻き込まれ学生同士が殺し合いをしていた時代だった。
きっと、何処にも居場所がなくなり逃げ場所さえも見失っていたのだろう。
私は自殺によるエンドマークを嫌悪した。自分には出来ないことだと思った。
党利党略、セクトから逃げろ!命大切。
もっと魅力的な世界はある。
先輩の自殺により山登りの興味は失せ、音楽や小説、映画、演劇に傾いた。
エセと言われようが文化に開眼する。
こちらの方がキチガイ染みて人間的なパワーを感じたのだった。
エロスと暴力を口から泡を飛ばし主張するようになった。
ノンセクトラジカルは死語になっているだろうが、アングラ劇とは繋がっているでしょう。

本家

2014-02-03 23:37:04 | モノローグ【エトセトラ】
2月2日(日)、私の母方の本家伯父(85才)が亡くなり下関市まで帰り、お痛夜に参列してきた。
「本家(ホンケ)」という言葉が自然に出る。この「自然に出る」が不思議に思える。
今、私の日常生活では忘れていた言葉である。使っていないから忘れていたのだろう。
ご先祖、家族・親戚・親兄弟姉妹・孫・甥姪・いとこ、までの関係は認識はできる。分数で割り切れる血筋というやつ。

昭和30年代の子供の頃、法事やお祭り、盆正月には親戚一同が本家に集まっていた。
大人男たちは年功序列で上座から下座にずらりと並び宴会をしていた。
女たちはカマドのある台所で井戸端会議をしながら料理作りをしていた。
子供たちも男女に分かれて集団を組み遊んでいた。
男の子たちはチャンバラ、相撲、野球、鬼ごっこ、そして意味もなくマラソンだった。女の子たちはままごと、トランプだった。
大人も子供も男と女は完全に分かれていた。

30年ぶりだった。
お通夜の席で伯父の長男に再会した。
対面すると、自分で言うのも可笑しくなるが、顔と体格、喋り方まで「似ている!」。
違うところは、彼は企業の大幹部になっていた。上から三番目と言っていたから常務なのだろうか。
ブルジョア階級ではないか。私はプロレタリアートからも落ちこぼれ、ヤクザにもなれないルンペンである。
その彼から「山南センセイ」と呼ばれたから、お痛夜の席ではあるが笑いが止まらなくなった。
伯父は賑やか好きだった。きっと喜んでくれているに違いない。
本家では子供の頃の思い出が一杯詰まっている。