山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

台風一過

2014-07-10 16:02:04 | 劇団☆創立35年
台風8号が九州を過ぎて日本列島東に向かっている。
昨日からシェルターと名付けた我が家(昭和レトロのアパート)に座長と二人で籠ってパーティー(35周年)の事務作業をしていた。
座長はDVDの「透明人間」コピーがうまくいかず、今日、タロー君をシェルターまで来てもらう。わかっている作業は早い。
明々後日、大詰めである。
福岡、東京、北海道帯広市からの欠席者からのメッセージがメールで送られてきた。「悪口OK」と思っていたのだが、有難いことに応援メッセージだった。
ところで、パーティー当日の劇団による余興は公演では見られない面白さが現れる。主催者でありながら楽しみだ。
現役の劇団員たちと旧劇団員たち、夢桟敷をサポートしてくれた方々、ファン、これからもお世話になるゲストさんたちとの乱交を楽しむパーティーになります。

台風一過、東の皆様、命大切、命どぅ宝。・・・事なきをお祈り致します。

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2 コメント

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祝35周年 (上村源太)
2014-07-12 17:48:51
言葉が今より遥かに力を持って噴出していた季節がありました。血が立ったまま眠ったり、書を捨てて街に出てしまったり、倦怠が汗をかいたり、連帯を求めて孤立を恐れなかっりと。創立当時を振り返ると、そんな時代の興奮が冷めきる予感に狼狽し、夢桟敷が旗揚げされたような気がします。

治安維持法が制定されて、コミュニストが党に関係したという理由だけで一晩で1600人も検束され、多喜二が虐殺された1920年代から30年代。もう誰も戦争反対を口にできなくなって、後は、経済的疲弊に翻弄された青年たちを駆り立てて、侵略まっしぐら。

あれっ、秘密保護法に、戦争権の確立が果たされ、未来に希望を託すのが難しい今って、
80年前の日本の焼き写し? だったら、 今の沈黙は、将来の深い後悔ってことですか。

80越えてもなお、山田洋次監督は「小さいおうち」で抵抗しています。青くなって、尻込みして、逃げて隠れる前に、金曜日に岸信介の孫の大きいおうちの行ってみようっと。昔憧れた落合恵子に会えるかもしれないし。

夢桟敷の35年目はこんなややこしい年であります。今の劇団員の方々のご奮闘をお祈りいたします。

上村源太
上村源太! (山南)
2014-07-23 00:51:07
メッセージ、ありがとうございました。
又、お酒3本まで頂き、感謝感激。
お礼に、記念品3点セットを送らせて頂きます。
今年は12月に東京公演を行います。
見に来て下さい。

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