山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

「お岩幽霊」熊本☆終了

2010-07-09 23:55:48 | 企画2009~2015
朝10半、劇場入り。長い一日の始まり。
平日の公演、雨の天気予報もはずれ・・・客足を心配していましたが、なんとか埋まりました。
笑いあり、涙あり。お客さんがストレートな反応をしていた。

それにしても、この三日(流山児事務所が来熊して)、ストレスはピークに達するのではないかと、胃薬を持参していたのだが・・・。むしろ、体調は良くなる。
仲間意識が高まってきた。ここにも、すばらしい演劇のおバカさんたちがいる。
魔物にとりつかれたおバカさんたちはエネルギッシュである。・・・演劇は改めて集団の力だと感じる。

舞台には「生き様と死に様」が同居する。虚構であれ、しっかりとした「命」が鮮明に浮かび上がってくる場所が舞台にはある。
「お岩幽霊」を一言でいうと、「恨まない幽霊の悲しみ」。元気なセンチメンタルがここにはあった。

戦後の復興期、朝鮮戦争で特需景気に賑わう北九州のヤクザたちは、これまでの古い「義理人情」を捨て、闇の経済ヤクザとして勢力を拡大していった。ヤクザに限らず、日本市民たちも「お国のため!」を捨て、民主主義の豊かさを追い求めるようになっていた。
それが日本の戦後であり、新しい価値観になっていた。アメリカを恨むどころか、アジア侵略を反省するどころか、豊かさに邁進する。飢えの裏返しである。ここには、新しい闇も広がっていく。
それが「戦後の昭和」と思うようになったのは、歴史の教科書でもなければテレビや新聞などのNEWSや情報でもない。

映画や演劇である。・・・
私が今から40数年前の高校生時代に映画や演劇に関心を持ちはじめたのも、「暴力とエロス」をふんだんに表現されている映画や舞台に接することが多かった故もあるだろう。

「お岩幽霊」では、その「昭和」の「生き様、死に様」が集成されていた。幽霊たちの「欲望と愛」は「昭和」そのものだと言っても過言ではない。



この劇を裏側から関わることによって、わが劇団夢桟敷は流山児事務所に影響されつつも独自な世界を構築しつつあるという認識を持つようになった。
マイナーにはそれなりの生き方がある。・・・地方という特性の活かし方がある。
熊本の幽霊は怖い!恨むから怖い。そして、やさしい人が多い。私はそれを「美しい」と表現することにした。

流山児事務所の方々は夜10時には貸切バスで、次の公演地福岡へ!
熊本のスタッフは、終了後、直ちに劇場近くのファミレス集合。ささやかな打ち上げ。
駆け抜けて行った流山児事務所へのさみしさと、次へ向かっていく勇気が静かに持ち上がってきた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿