山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

映画ノンフィクション

2014-01-25 23:41:30 | モノローグ【エトセトラ】
午後3時半、TeamSoil第3回公演「アイの歌」を観劇する。
森川さん、おかまで登場。その姿で食事に誘いたかったのだが、笑。
桑路ススムさんも来ていた。彼のおかま姿も見てみたい!
12月に玉垣君(劇団みちくさ)の稽古場にて合同稽古した懐かしい面々が出演していた。
終演後、犬彦さん、仮面工房の賀久さん、関さんと食事。彼らのおかま姿を想像していた。
サンロード新市街・下通りを歩く。通りを歩く中に本物のおかまはいないかと目が落ち着かない。
まるで指名手配されれいる不審人物のように落ち着かなくなる。借金取りに追われている訳ではない。
岡田コーヒーで座長=夢現と合流して途方もない話で盛り上がる。
キャンピングカーで旅公演?金額にすると2000万円くらいの話になった。

午後7時半、記録映画「のさり~杉本栄子の遺言」試写上演会を見る。
(会場:法泉寺・本堂)NHKから取材されていた。
水俣から高平(コーヘー)さんも来られていた。彼は紙幣の顔になってもおかしくない歴史的貫録を感じる。
もう10年前にもなるか、水俣公演では大変お世話になった方だ。又、水俣に行きたくなった。鶴じい(フォークシンガー)、元気かなー?私にとって水俣はパワースポットである。
水俣の女漁師、杉本さん(水俣資料館では語り部もされていた方)が亡くなられて7年になる。彼女の語りを軸に記録された映画だった。
水俣ハイヤ踊りを小学生に教えている場面があった。
ふと思い出した!やっぱりお会いしたことがある方だった。
2000年の頃、熊本ユネスコで高校生国際ボランティア活動で水俣公害について語りに来られた方だった。
「のさり」とは大漁のこと。
豊かな海がチッソによって汚染され、奇病・伝染病のように扱われ、人々が分断・差別されていく様子が語られていた。
私が高校生(1969年)の頃、文化祭の劇で水俣公害の劇をしたいとある先生に言うと、新聞や本で勉強するのではなく現地に行ったらどうかと先生の私費で下関~水俣まで取材に連れて行ってもらったことがある。
写真家のスミスさんに病院や漁師の家庭を案内してもらった。
全国から学生たちが押し寄せ、市民たちとチッソに抗議するデモを見た。
漁師のある人は「機動隊はわれらの味方だと思っていたが、われらを逮捕してくる!」と訴えていた。
現実に立ち会って劇の台本が書けなくなったことを思い出す。
まだ、16才の少年だった。劇では少年の悩みだけを訴える小さなことしか表現できなかった。
上映会が終わって、西山正啓監督を囲んでの鍋パーティーになった。
団塊世代、健在成り!
水俣ー原発ー沖縄、ノンフィクションは繋がっている。映画は直球で入って来る。
この映画は全国で公開される。
この時代、大きな波紋となって広がるに違いない。

さて演劇は!・・・夢のドキュメンタリーとして綴ろう。つまりフィクションではある。
現実逃避はできないが、避難場所をこころの中に描くつもりだ。
生きる拠り所を探す。・・・会場は同場所に決まる。