山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

え?半壊だったの?

2016-06-26 00:06:28 | 熊本地震2016.4.震度7
要注意か半壊か?

住んでいた健軍のアパートの大家さんから「市役所に罹災証明を取りに行って下さい。」と言われた。

熊本地震による第一次外見調査では「要注意」の判定だった。「危険」判定であるならば、スッキリとアパートを引っ越すことにしたのだが、「要注意」だと中途半端な気持ちでモヤモヤしていたのだった。どう注意すれば良いのかもわからなかった。何か不都合なことがあれば自己責任だろうことは理解していた。
地震後の雨降りで雨漏りとカビの増殖で「こりゃたまらん!」と引っ越しを決意する。しかし出遅れた。物件がなかなか見つからないのである。
時間はかかったがなんとか見つかって今は一息である。

大家さんから言われた意味がやっとわかった。第二次調査で半壊と評価される可能性があるというのである。2週間くらい判定を待たなければならないが、その前に罹災証明をとっておかなければならないということがわかった。
賃貸契約者にも、いくらか知らないけれど、援助金か見舞金が出るらしい。
今のところ、それをあてにして良いのかどうか戸惑っているが、もらえるものだったらそれは助かる。

雨の日は

2016-06-12 22:46:07 | 熊本地震2016.4.震度7
引っ越し作業3日目!
ふー、筋肉痛。今日は雨で仕事にならず。雨読とします。
棚やタンスなどはカビやひび割れのアパートに置いたままだ。それが運べたら新居の道具整理としましょう。

夜、八代市で震度5弱?
川内原発はそのまんま稼働中。怒りが大きくなる。

引っ越し!

2016-06-10 05:32:40 | 熊本地震2016.4.震度7
6月9日(木)
この1年半、如何に運動不足だったかが身に染みた。
アパートの階段登り降りで左足ふくらはぎがつってしまったよ。
筋肉労働は休み休みやれ!
今日は明日からの引っ越しに備えて荷物を乗用車に積み込んでいる。販売機の冷たい缶コーヒーが美味しい。地べたに座って飲んでいると風景が変わって見える。人間も景色の一部なんだと思う。
体をいたわるとは野生を取り戻すこと也。ぐーたらしていると体が腐るね。それにしても気持ちイイ汗だ。
万国の筋肉労働者を尊敬します。

今夜の筋肉はこれにてオシマイ。
いよいよ明日10日より引っ越し作業だ。
汗を流しながら同時進行で劇の防空頭巾の人たちのことも進めていた。
おやすみなさい。午前2時です。

6月10日(金)
新しい朝が来た♪「ラジオ体操の歌」より。

結局、眠れずに朝を迎えた。今日から引っ越しで興奮している故か?希望の朝だ。
カビから逃亡!アパート修理の騒音から逃亡!もうひとつオマケに地震トラウマからの逃亡!
この町(熊本市東区南町、健軍地区)は相性が良かった。気取りがなくて情け深い人たちが多いです。すぐに慣れた町でもあった。
4年前に長く住んでいた北区清水より、この町に住み着いて白内障を患ったり、直腸癌とリンパ節への転移が発見され切腹した。もうひとつオマケに震度6強と7を経験したよ。
一生に何度もないことだろう。
苦しい時にこそ人の優しさを味わったよ。
次は東区保田窪本町!……引っ越し完了まで10日くらいかかるだろう。とりあえず食う寝るところは新居で今日からスタートである。

逃亡者

2016-06-03 15:37:49 | 熊本地震2016.4.震度7
アパートの修理、今日で3日目。騒音から逃亡するために座長の実家、熊本県上益城郡山都町に逃亡した。誰から追われると言う訳ではなく、逃亡者である。
段ボール3個分のVHSビデオテープ200本を超える劇団の公演記録やファミリー子どもの成長記録が残されている。いずれ、デジタルに変換するつもり。これを実家の倉庫に保存する。
座長は昼前から洗濯や買い物、銀行へと走り回りゆっくりはできないが、私は逃亡者のくせに、ここに来るとボヤーっとなる。反面、周辺に緑があふれている故か、視力が鮮明になり気分が良い。
残念ながら、この町の情報源である喫茶店ミッチェルは昼休み中につきコーヒーは飲めなかった。
一泊二日の田舎暮らし。贅沢を満喫したら、明日より再び、騒音の中で引っ越し準備の荷造りに取り掛かりましょう。

もう6月か、未だ6月か。

2016-06-02 12:57:37 | 熊本地震2016.4.震度7
6月1日(水)
目処が立っていなかったアパートの修理が今日から始まりました。足場の組立作業がうるさいのなんのって、騒音から避難するためにマックに避難しました。不動産屋との交渉で6月分の家賃は無料になったが、引っ越しには時間とカネがかかるね。プロには頼めない。誰か手伝ってね。お礼は天草大王と馬刺とビール酵母菌にするよ。
ファミリーと劇団が頼りです。

6月2日(木)
昨日からアパートの修理が始まった。引き続きMacへ逃亡。
昨日は足場組立作業で鉄の音に悩まされたが、今日はパネルを屋根に打ち付ける音がガンガン鳴り響く。
最近、余震を感じるのが少なくなった。余震は心臓に悪い。慣れたとは言え、脳と内臓のバランスが崩れる。脳は「大丈夫!」と言っても心拍数は上がり、大腸はビール酵母菌を欲しがり「逃げろ!」と暴れ出す。
市役所では「罹災証明書」の発行が追いつかないと聞く。全壊半壊以上の家屋の人たちは今も避難所暮らしが続いており、仮説住宅の建設も追いつかないと言う。
それに比べれば!引っ越し先が決まっただけでも恵まれている。
このアパートの住民たち半分は慌てて引っ越してしまった。
さて、コーヒーを飲みながらMacが私の仕事場。iPadひとつで仕事をこなせるとは便利になったもんだ。午後からアパートに戻って荷造りでもするか!肉体労働の時は音は関係ない。

つづく

あれはどこさ?

2016-05-29 19:19:27 | 熊本地震2016.4.震度7
今の住まいは物置場のようになっている。片付けられない症候の人ではありません。6月10日からの引っ越しに向けて荷物整理を座長と取り掛かった。
私はモノ探しに時間がかかる。緊急に必要な写真のCD1枚が見つからない。一日中、宝探しをして遊んでいるように見えるかもしれないが、何が何処にあるのかサッパリわからなくなっているのだ。

熊本地震 3日間の記録

2016-05-17 17:46:04 | 熊本地震2016.4.震度7
まえがき

昨日(5月16日)夜の9時過ぎ頃、茨城県を震源とする震度5の地震があった。丁度、その頃、ブラジル公演2018年に向けての団結と計画の会議中だった。会議は途切れ、熊本地震のことが蘇った。うんざりする程、脳裏から離れない。今でも余震は続いており、いつになったら終息するのかわからない。トラウマになってしまった人々も多い。人間、自然現象の下ではそんなに強くはないものだと繰り返して思うようになった。
あれから1ヶ月が過ぎ、自分で勝手に命名した「引きづり地震」あるいは「ぬかるみの地震」が発生した3日間のことを振り返る。400年に一度と言われる震度6強と震度7を体験した個人的な体験談である。

4月14日(木)

明日の演劇ワークショップのテキストをまとめる作業で日中を過ごしていた。これが日常となっている。
いつもは気分転換で部屋から出て座長と夜の外食をするつもりだったのだが、その日は久しぶりに家でカレーライスを作って食べようということにした。テレビを見ながら「つまらん!」と思いながら笑っていた。食べ終わった夜の9時過ぎ、いきなりヤツがやって来た。顔面の縦じわが深くなった。
本やカセットテープ、CD、DVD、戸棚や机、タンスが流れ込んできたように思えた。大きく横揺れと縦揺れを感じる。私たちは鉄骨のアパートの2階に住んでいる。このまま落ちてしまうのではないかと恐怖に襲われた。階下には小学生の可愛い少年が住んでいる家族がいる。押し潰してしまうのではないか!無惨な光景を想像した。電気が切れた。早く外に出よう!と焦った。持って出るものは?座長はiフォンと現金、私はiPadを持ち出した。情報が欲しかった。まずはそれが先決だった。家族や友人たちの消息が知りたかった。
外に出ると夜空にヘリコプターが4機ほど旋回。救急車や消防車、パトカーのサイレンが鳴り響いていた。ご近所さんたちも続々と集まってきて、「大丈夫でしたか?」と挨拶を交し合った。
余震が切れ目なく続く中、「そうだ、食料と水を確保しよう。」と車を発進した。幸い、近くのコンビニは空いていた、店一面に落下した商品を片付けていた。売り物は菓子とジュースくらいしか並べていなかった。お客さんが殺到していた。
今夜は近くの小学校の体育館に避難しよう!と様子を見に行ったが、余震の揺れで照明器が落ちてきそうな予感と人々の悲鳴で、ここでは落ち着かない!と車中泊を決め込んだ。

4月15日(金)

いつまでも眠れない。iPadでこの地震の情報を収集していた。座長はメールでみんなの無事を確かめていた。電話が繋がらないのだ。家の中に帰ろうとする者はいない。夜中の道路は近所の人たちの溜まり場になっていた。
震源地は隣の益城町だということがわかった。震度7?個人的なLINEでも様子を探っていると、「動物園から虎が脱走した。」「水源に毒を入れた。」など、馬鹿げた情報が拡散されていた。
若い消防団の人が法被姿で近所の様子を見回っていた。「閉じ込められていませんか?」「ガスの元栓を閉めましたか?」「電気のブレーカーを落として下さい。」「独居老人の方、知っていたら教えて下さい。」「怪我をされた方はいませんか?」一生懸命に呼びかけていた。ありがたいことだ。自分の家のことや家族の心配なこともあろうに走り回っていた。目頭が熱くなった。滲んだ目で川内原発を止めたのだろうか?と調べていたが、一向に止めたという情報は入らなかった。涙は乾いた。縦じわが更に深くなった。
眠れないまま朝を迎えた。部屋の様子を見に行ったら、ガラスの破片が散乱していた。
劇団員タロー君が部屋の片付けを手伝いに来てくれた。スペースが確保できたところで「美味しいものでも食べに行こう!」ということになり、空いている食事処を探しに座長と3人で車で移動した。その時!信号待ちでブレーキをかけようとスピードを緩めている最中、猛烈な音が襲いかかった。痛い!ブレーキを強く踏みしめた。再び、猛烈に追突された。こんな時になんてこった。追突してきた老人は益城町で家を全壊された人だった。気が動転したまま、ブレーキとアクセルを踏み間違えたと言う。すぐに警察を呼び、ムチウチが心配だったから病院に向かった。立て続けの災難だった。
この夜は空いたスペースで家の中で寝ることにした。コンビニも食事処も閉店している。とにかく眠りたかった。

4月16日(土)

夜中の1時過ぎだった。ガシャーン!メリメリ!14日の揺れよりも大きなものを感じて飛び起きた。長い!揺れが止まらない。座長と手と手を取り合って揺れが止まるのを待った。まっすぐ歩けない。もう、いい加減にしてくれ!と地面を叩いた。アスファルトにヒビが入っていることが見られた。余震が更に大きく感じられた。道路に集まってきた住人たちも余震があるたびに立っていられず座り込んでいた。
川内原発が止まっていないことを知っていた。止めなかればならない!これが常識だと思うのだが、九州電力や行政、お国のオエライ人たちは「止めないこと。」を常識と思っているのだろうか。苛立ちは治らない。
瓦が落下していた。近くの公園や駐車場も人集りになっていた。
電気 ガス 水道 は完全に切れていた。車中泊である。
若い消防団の方たちが走り回っていた。一見、ヤンキーそうな若者も混じっていた。こころの中で叫んだよ。
「ありがとう、ヤンキー!」
近所の若い住人たちである。余裕があったら「一杯、飲めや。」と言いたいところだ。
この日も眠ることができなかった。
バス、電車も運行停止。ヘリコプター、消防車、救急車のサイレンが鳴り響き、これは夢の中の出来事ではないと理解しつつ、景色がぼやけてしまう自分に呆れていた。

あとがき

3日のことだけを記憶や気持ちで振り返ってみた。
この3日間、怯えながらも、あの人この人、あの時この時、眠れない夜の中で思い浮かべていた。
妊婦の娘もこの恐怖を体験して、無事に出産してくれたことに明るいニュースとして何倍にも幸せを感じことができたよ。
まだまだ予断は許されないが、不意に襲いかかった震災の体験を通じて、5年前の東日本大震災は他人ごとではないことを痛感した。
昨日の茨城の地震のニュースで他人ごとではない!と改めて感じる。この島国は天変地異の歴史でもあり、だからこそ戦争や原子力なる人災という危険からは人智で防ぐことを求めようと思う。

あれから

2016-05-14 15:20:56 | 熊本地震2016.4.震度7
あれから1ヶ月か。今でも避難所暮らしの方々が一万人いるという。余震は1ヶ月で1400回を超えたらしい。
熊本地震を私なりに命名した。引きづり地震と申します。
地の神様よ、いつまでもネチネチグチグチやめて欲しい。川内原発とめんかい。フクシマの教訓が活かされていないことに憤慨する。
さて、引っ越しのスタートが遅れたが、やっと水前寺に物件を見つけ出し、今日、仮契約を済ませた。一戸建て二階。一階のリビングを劇団の事務所として使いましょう。
あれやこれやで、実際の引っ越しは6月に入る見込み。

うひは、へんてこりん。

2016-05-12 20:36:24 | 熊本地震2016.4.震度7
熊本-大分地震から4日目に「そろそろ被災者意識を辞めますね。」と言った。それは次に向かっていくために自身に喝を入れるためだった。又は、遠くへ居る友人知人、親戚の方々へ「心配されなくても大丈夫!」という信号のつもりだった。
逆効果だった。かえって別の意味で心配された。狂ったか?
強がれば強がるほど、遠くの周りの人たちから心配されてしまったのも事実。自分のバカを笑い者にされる努力が水の泡になったようにも思える。
あれから1ヶ月経とうとしている。あの揺れは劇的だった。
淡々としよう。自然体で振舞おう。思うばかりで、そうは問屋が卸してくれない。サガだ。演劇の性です。
明日は「少女都市からの呼び声」東京公演10月に向けて演劇ワークショップをする日。
拝啓 唐十郎さま!
陰ながら応援をしてくれた母の御前に花を添えてバカを通す。

午後から水道工事屋さんに来てもらった。
スパナーでタンクと便器を繋ぐパイプを締めただけで水が漏れなくなった。
餅屋は餅屋。プロに任せると簡単なことだった。
餅屋は餅屋、プロと言えば、演劇にとって大切なことは制作の仕事だ。
入場料を上回る経費がかかることもある。どう節約するか。難問を解決することがプロの業。どこからマイナスを埋め合わせるためにカネを回してもらうか。助成金?協賛金?寄付?
数字ばかりを追っかけていると東京公演は食肉用馬一頭分に相当することが判明した。馬=演劇公演か!

悲しいお知らせ。
蜷川幸雄さんが亡くなられた?
信じられません。
身体の調子が良くないことはメディアを通じて知っていましたが、「まさか!」と思いました。
大先輩を通り越して、遠い世界の方でした。商業演劇?世界のニナガワ?その時点で遠いと思っていました。
1980年代前半の頃、小劇場の入り口でお客さんの行列に並んで入場していたのを近い距離で目撃したこともあります。ただのお偉い人ではないと足が震えました。
合掌。

感謝そして、がんばる県。

2016-05-11 19:40:09 | 熊本地震2016.4.震度7
ブラジルから「頑張れ!」のメッセージが届きました。
ありがとうございます。
108年前、「一家をあげて南米へ!」日本政府号令の下、神戸港からサントス港へ出発した日本人たちの苦難とそれを乗り越えていった歴史があります。
移民とは何だったのか?そして、今も子孫が暮らす日系社会がブラジルにあります。
2018年、ブラジル移民110年、植民に成功したプロミッソン市百周年、熊本県人会60周年の記念すべき時に、私たちは演劇を持って海を渡ります。
熊本の元気をお届けしましょう。演劇の総力をあげて向かいます。

熊本市在住くるくるジジィの弱音と本音と強がり。
独り言 日記です。
1. 弱音
もう疲れた。何も考えたくない。自分の穴に閉じこもりたい。笑ってよ。
2. 本音
天草大王をかぶりつきたい。美味しい肉を!馬刺も喰らいたい。
3. 強がり
ここで倒れてたまるか。閉じこもることはできない。がんばる県クマモト。

今日は朝から山都町へ行き、孫の検診日だったので熊本市の産婦人科へ連れて帰った。バァバの座長は親の病院通いを助けている。夫婦なのにコミュニケーションはLINEと電話でやりとりしている。
午後から物件探し。白川のリバーサイドに一戸建てを物色した。猫が多くて楽しそうだった。
川向こうは熊本市の大都会である。こちらは下町風情。ボロ家のくせに家賃が高い。結論は明後日、座長の目で決めることにした。
今夜は酵母菌の効いたビールを飲んで抵抗力をつけよう。イシャからは許可をいただいているのです。

引っ越しを!

2016-05-09 00:59:49 | 熊本地震2016.4.震度7
今日は一日中、雨が降り続いていた。屋根にブルーシートを三回張り直して、ようやく雨漏りがしなくなった。それにしても天井 のカビが気になる。ジメジメを栄養にしてどんどん太りやがった。男おいどん、ジメジメとカビが大の苦手。息苦しくなる。
熊本市の職員が黄色の「要注意」と貼り付けた紙も強風で何処かへ飛んでしまった。
震災ゴミも片付いていない。熊本市や応援で駆けつけている他県の清掃車からもゴミの撤収をしてくれているのだが、ゴミは次から次へと積み上げられている。
高校生の当時、ネオマスクというバンドでドラムを叩いていた現 熊本市長の大西さんも「市民モラルの低下だ。」と頭を抱え込んでいる様子。ゴミは震災によるものばかりではないことに苛立っている。ゴミの分別もされていない。
民家の場所をゴミ置場にされている方の苦悩は計り知れない。まるでゴミ屋敷になっているではないか。
私たちは引っ越しを考えている。只今、物件を探しているのだがなかなか見つからない。一長一短の短で決められないのだ。とにかく探す。

要注意?

2016-05-06 09:57:42 | 熊本地震2016.4.震度7
ゴールデン二泊三日終わり。
九州山地どまん中の山都町より早朝6:40より熊本市に帰る。途中、御船町に入るところで通行止めがあり、迂回する。写真に見られるように大きな落石を目撃した。
落石注意とは?要注意とは?どう注意していいものか?
朝から強い雨である。地盤が緩んでおり、土砂崩れの危険も注意しなければならない。
余震は続いている。大きな地震から3週間経過したが、家の中の復旧には時間がかかりそうだ。未だにテレビは見れない。トイレは水漏れ。壁のひび割れ、天井からの雨漏りでカビも発生してきた。男おいどん、いくらなんでもカビは健康に良くない。
要注意のステッカーが貼られているが、安全策は引っ越すことと結論を出した。不動産屋に問い合わせたが、引っ越しが殺到しているという。
危険のステッカーだと立ち入り禁止でスッキリするのだが、要注意は中途半端である。
若い頃、中途半端は辞めて!とよく言われた。辞める。逃げよう。命を守るためだ。逃げろ。
さてさて、今日から劇団の活動を再開する。
午後7時より亀井公民館集合である。
同時進行でやることが増えた。気を引き締めてコツコツとやっていれば九天の空は晴れるだろう。気持ちは今からの梅雨入りも何のソノマリ!と掛け声を飛ばそう。

退院

2016-05-03 11:20:42 | 熊本地震2016.4.震度7
母子共に問題なく退院する。今日は一旦、新居に泊まり、明日より座長の実家 山都町で療養することになっている。九州山地どまん中、のんびりできるだろう。
座長は更に山都町との往復が頻繁になる。年老いた親と娘や孫が心配だから。
この際だから一気に山都町に引っ越す案もあるのだが、仕事や劇団の活動を考えるとそうもいかない。徐々にである。2年後のブラジル公演が終わるまでは!それまでには田舎暮らしの体制を整えていこう。
今日は雨。余震も続いている。根くらべだ。雨漏りがする。大家さんには言っているのだが、家の修繕には時間がかかりそう。昨夜は引っ越しのことで話し合った。劇団の倉庫のこともあるし、熊本市東区近辺で良い住み家を見つける方針が固まった。
5月連休明けの活動再開が迫っている。
ガマダス!クマモーロー。

がまだす 熊本-大分

2016-05-01 10:49:40 | 熊本地震2016.4.震度7
「ガマダス」(熊本弁)は「頑張る、頑張ろう」の意です。
熊本のことを英語の人たちは「クマモーロー」と発音します。

今回の4.14、4.16の2度に渡る震度6強、震度7の熊本地震で亡くなられた方々へ心よりお悔やみ申し上げます。
又、家の倒壊、半倒壊、危険と認定され家に立ち入れなくなった方々、今も尚、避難所生活、駐車場など空き地でテント生活、車中泊を余儀なくされている方々へお見舞い申し上げます。
私の住む町、熊本市東区健軍エリアは震源であった益城町に近かったため多くの被害が見られています。生活ライン(電気、ガス、水道)の再生は進んでいるものの、道路のヒビ、塀や瓦の落下、そして、整理されていない家の中で余震3や4に怯えながら生活しています。体に感じる地震もこの2週間を過ぎても続いています。1000回以上は歴史上類を見ないと言われています。
南阿蘇村の一部孤立化、大分への救援物資不足、災害ゴミの処理の遅れ、デマの流布もありますが、日常生活を取り戻すには時間がかかりそうです。
5年前の東日本大震災では大津波やフクシマの原発爆発などの日本の危機を経験しました。
熊本でもこれだけ多くの危険な断層があるものだと身をもって経験しております。いち早く、川内原発の稼働を止めて欲しい!原発に対する安全神話の崩壊という現実を認識学習することが問われています。
ゴールデンウィークに入り、ぞくぞくと全国各地より民間ボランティアの方々が熊本入りをしてくれ助けてもらっていることに感謝します。
この間、多くの友人知人や親戚からも心配や応援メッセージ、食べものなどのご支援を頂き感謝に絶えません。
熊本県民のシンボルでもある熊本城の再生には20年はかかると聞いています。私的には加藤清正の朝鮮出兵の拠点でもあった熊本城は国境を越えて朝鮮半島やアジア大陸との歴史を考えていく上でも友好に転じるお城でもあったと思います。
私たち同志の立ち位置は演劇です。この地震で活動が止まってしまいましたが、今年10月のスペース早稲田演劇フェスティバルと2年後の2018年ブラジル公演に向かいます。今後、その環境整備に追われます。
元気を届けたいとこころより思っています。癌に倒れてたまるか!術後の再発と転移がなきよう、公演の実現に向かって生きます。
信念の強さが問われると同時に、今後とも皆様のご声援とご協力をよろしくお願いします申し上げます。
ガマダス!クマモーロー!

ありがとうございます

2016-04-29 20:05:40 | 熊本地震2016.4.震度7
あれから2週間。あれとは震度7や6強のこと。
日頃、「大丈夫でしたか?」「大変でしたね。」が挨拶となっている。
友人知人、親戚から物資や食べ物などを送ってもらい、食い繋いでこれた。
住み家は余震で揺れる、雨漏りがする、トイレの便器から水が漏れる、屋根の瓦 落下注意!!問題はあるが、生きていることに感謝します。
そして応援して下さる皆さま、心配して下さる皆さま、こころの底よりありがとうございます。
熊本の仲間の皆さん、肩寄せ合っていきましょう。



出てこいや!
昨日から部屋中をひっくり返して、事務書類や資料、原稿などを探しているのだが出てこない。
一番困っているのはパソコンが立ち上がらない。落下の影響で壊れてしまったのだろうか?ここに重要なメモは入れているのだが、壊れているのだったらアジャパーである。
大袈裟に言うと過去の時間と労力がなかったことになる。そこまでパソコンに依存していたのか?失って哀れを感じる。
クスリも出てこない。整腸剤が見つからず、ヤクルトを飲んで切り抜けている。便秘になるとビールを飲む。これは効くね。
さて、産婦人科に行って孫の顔でも拝んで来るか。これが元気になるクスリだ。
5月の連休明けまでには日常生活と演劇作りを復活させたいものだ。



余震は続いている。今回の熊本地震は断層が熊本ー大分と複雑に影響しあって、今後も大きな地震があるかもしれないと言われる。
5年前に東北大震災から熊本に避難された方々はどんな思いでしょう。
この2週間で体に感じる地震は2000回を超えたという。これは異常だそうな。
生後3日の孫を見て、弱音を吐いている場合ではないと思う。
熊本弁で頑張ることをガマダスと言います。
ジジバカ日記はガマダスである。