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串カツ子の旅日記

美しい国、日本。まだまだ見たい所がいっぱい。
温泉、宿屋、食べ物、紅葉、桜、街並み・・・興味の対象は尽きません。

日出城跡の桜

2013年05月02日 | 旅-九州・沖縄

3月30日 河内貯水池を見た後、大分県の日出(ひじ)へ。

城下公園の桜が見頃を迎えていた。 

静かできれいな街並みだなぁ。

二階堂酒造が収集した美術品を公開している二階堂美術館もあるが、今回は花見だけ。

満開の桜に誘われ海の方へ。

別府湾越に高崎山を望み実に気持ちの良い眺めだ。

この前浜で採れるのが、有名な城下カレイ。

城の下の海中に清水が湧く所があり、そこでカレイは繁殖し、5月~7月頃が食べ頃らしい。

関アジ、関サバ、城下カレイ・・・海は宝庫だわ。

 

 

 

 

 

 

桜満開の土曜日、家族連れで賑わっていたが温雑もなく、海岸で桜を眺めるには
絶好の穴場かもしれない。 

いいもの見せていただきました。 


河内貯水池

2013年05月01日 | 旅-九州・沖縄

 3月30日、湯田温泉を後にして九州へ向かう。

関門橋を渡って九州入りをする前に壇之浦PAに寄らなくちゃ。

いましたいました。

しかし見かけたのは1匹だけ。

以前は数匹いたのに

車に轢かれたんだろうか?

PA内の売店は歩きにくいほどの大混雑。

なのに誰もワタシに餌をくれない。

かく言う私も餌を持ってくるのを忘れた。

ここに寄ってニャンを見るのが九州旅行の楽しみの一つでもあるのに。

「餌をやらないで」という貼紙はアチコチにしてあるし、やってはいけないんだろうが
生きていかなくちゃいけない。

でも随分たくましくなったような気もする。

次は忘れず持参してくるから、元気でいてね。


 

福岡県にかねてより行きたい所「河内貯水池」があった。

近代製鉄発祥の官営八幡製鉄所の工業用水確保のために、大正8年着工昭和2年に完成。

今も新日鉄が管理する民間企業の所有のダムで、土木遺産に認定されている。

コンクリート製だが表面は石張り仕上げ。

 見事な石張り。

 

 

 

ところどころ石がはがれているが、細かい石をびっしり貼り付けた労力に感心してしまう。

今ではそんな手間のかかる仕事は出来ないだろう。

美しい・・・。

付近は桜の名所。

貯水池には何本かの橋がかかっているが、これは石橋の「中河内橋」。

今も現役で車の通行も可。

今は歩行者と自転車専用になってしまっている南河内橋(めがね橋)。

上部部分に遊び心いっぱいの飾り。

昭和初期までの土木構造物や建築にはステキなデザインが多い。

 なんて美しいデザインなんだろう。

1スパン66m、全長133m、幅3.6m。

専門用語では「レンティキュラートラス」が2連連なった橋で、日本には3例しかないが
現存しているのは、唯一この橋だけという。

北九州の工業地帯にありながら戦災の被害にも遭わず、よくぞ残ってくれたものだ。

河内貯水池の周りにはサイクリングロードが巡り、よく整備された環境の中、ハイキングを
楽しむ人も多く見かけた。

確か自転車を貸し出す所があったと思うが、これは未確認。

紅葉はきれいなんだろうか?

ゆっくり自転車で回ってみたいと思った。

ちなみに近所にある九州民芸村は閉鎖されていた。


初めての沖縄-帰途に

2013年02月22日 | 旅-九州・沖縄

昼食を浜辺の茶屋で頂く。

この辺り一帯「草原(さちばる)の庭」という施設で、施設内に浜辺の茶屋や、
野菜たっぷりの自然食を味わえる山の茶屋があった。

山の茶屋で食事をして、浜辺の茶屋でコーヒーを頂く・・・、これが良かったかな。

 

海が見える窓際の席で海を眺めながらのランチ。 

旅の終わりになって初めてゆっくりした気分になった。

どうせならアチコチ見て回りたいという貧乏性のせわしない旅。

 引き潮だった。

「田芋の唐揚げ」を注文。

田イモは小芋と同じ種類なのかな?

田イモを揚げて、甘い蜜をからめてあり、まるで小芋版大学イモというような感じ。

しっかりと味がからみおいしい。

家に戻ってから小芋でやってみたが、ここで食べた味とは違うなぁ。

海ぶどうのグリーンサラダも一緒に。 

田イモの唐揚げにも、海ぶどうをトッピングした大根サラダが。

おいしかったし、雰囲気も良くて大満足。

ここは、又訪れたい。

最後にひめゆりの塔を見て初めての沖縄旅を締めくくる。

日本一早い桜を見るのが一番の目的だったが、災害で花が少なかったり、
既に終了、あるいはこれから・・・と、自然相手の桜、時期を合わすのは難しい。 

琉球石灰岩で作られた石畳や石垣は、美しく歴史を刻んでいた。

何人か話した人達も穏やかで優しい。

そんな人達が一番被害に遭った太平洋戦争の戦跡も見ていない。

首里城も見ていないし、那覇市内も歩いていない。

とうてい2泊3日ぐらいでは歩ききれない。

私には「言葉が通じる異国」に感じた沖縄、何度か足を運ぼう。


初めての沖縄-斎場御嶽

2013年02月21日 | 旅-九州・沖縄

 2013.1.30 斎場御嶽(せーふぁうたき)へ。

沖縄の言葉は方言らしいが、読み方も違うし、まるで外国語のように感じてしまう。

御嶽とは南西諸島に広く分布している聖地の総称で、斎場は、その最高位を示すものらしい。

大阪では斎場といえば葬儀場を言うのだが・・・。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として世界遺産になっている。

 

 石畳の参道を歩き神域へ。

大庫理。

大広間や一番座という意味を持っていて、前に祈りの場がある。

寄満(ユインチ)といい、台所を意味している。

貿易の盛んであった当時の琉球では、世界中から交易品の集まる
「豊穣の満ち満ちた所」と解釈されています。 ・・・南城市のサイトから

斎場御嶽の紹介で必ず使われている「 三庫理(サングーイ)」。

ここを抜けると遥拝所に出て、海の向こうに久高島が望める。

初めての沖縄、不思議に思った事がたくさんある。

お墓が凄く立派。

ノロと呼ばれる祝女。
神職は男性が多いのに、沖縄ではほとんど女性?

こういう疑問に答えてもらうには、定期観光バスに乗るのもいいんじゃないかと思う。


初めての沖縄-垣花樋川

2013年02月19日 | 旅-九州・沖縄

 BSプレミアムの番組「日本縦断 こころ旅」で、火野正平さんが訪れていた垣花樋川
(かきのはなひーじゃー)。

タイミングよく、この旅の少し前に放送があり、それを見て是非行こうと決めていた。

テレビで見た同じ場所からアクセスする。

傾いた看板が目印。 

車が3台ほど停められる空き地があり、そこへ駐車したが、果たしてここに停めていいのかどうか?

石畳の道を下って行く。

かつて、女性達は水を汲んで、この坂道を歩いて上った。

途中、中休み石なるものがあり、ここで一息ついたのだろう。

伊豆見の石庭あたりでも見かけた小花がここにも咲いていて、目を楽しませてくれる。

突然、道の先に海が広がった。

緑に覆われた台地へ出た。

これだぁ・・・。

沖縄で唯一環境庁の「全国名水百選」に選ばれている。

 

他のサイトを見ていると、この龍がなく、パイプから流れ出ている写真を見る。

この龍は最近取り付けられたものなのだろうか?

飲んでみるが、冷たさはない。

味・・・?う~ん、味オンチですぅ。

 

流れ出た水はクレソン畑へ。

 沖縄の海が広がる。

 また、呼ばれているのかな?

レンタカーを返すまでにまだ行きたい所があるので、そうゆっくりもしていられない。

近くには↑の樋川もあるようだ。

 

 


初めての沖縄-首里の石畳

2013年02月15日 | 旅-九州・沖縄

 1月30日 今日は大阪へ帰る日。

ホテルをチェックアウトし、近くの首里城へ。

琉球舞踊が披露されていた。

鮮やかな朱色、南国の色だなぁ。

ここへ来る多くの人は首里城へと歩を進めるが、私は首里城へは行かず、石畳道へ。

 琉球石灰岩で造られた石畳道は、真珠道(まだまみち)と呼ばれ、琉球王朝時代には
首里城から那覇港方面に通じる道路だった。

金城町周辺に300m程残っていて、「日本の道百選」にも指定されている。

 

 
道の両側には赤瓦や立派な石垣を備えた家が建ち、高級住宅街というような感じがする。

三叉路に設けられた石敢當。

市中を徘徊する魔物は真っ直ぐにしか進めないので、三叉路に設けられた石敢當に
ぶち当たって砕け散り、家には侵入しない・・・との事で、滞在中あちこちで見かけた。

 

こちらは鮮やかな色の石に刻まれた石敢當。

石・・・?プラかもしれない。

 マンゴーだろうか?

時々雨が降り、坂の石畳は滑りやすい。

途中で立ち止まり、シャッターを切りたくなる渋い光景が続く。

石畳の途中に金城大樋川という水場がある。

岩盤の奥の水脈から2つの樋で水を引いたもので、水が貴重だった時代、生活用水として、
又、石畳道を行き来する人馬の咽喉の渇きを癒したとか。

今でも水は流れて来るのだろうか?

訪れた時には貯水池に水は全然なかった。

斜面の下方に位置するので、土留めは特に重要だっただろう。

三方の石垣はしっかりと組まれ、特に背後は4段に分けてがっちり積まれている。

水を汲みに大勢の人が、斜めの石畳を上り下りしただろう。

感慨深げに眺めていると、上からお決まりの言葉がかかる。

「まだかぁ、いつまで撮ってるんや、もう行くでぇ・・・。」

石畳はまだ下へ続くようだが、ここで切り上げて元の道に戻る。

おぉ~、シーサーとツーショット。

このシーサー、なかなかいい。

素焼きより釉薬のかかった壷屋がいいなぁ。

にゃんも高貴そう。

 車を停めた場所へ戻るには坂を上がらなくてはいけないが、同じ道なのに
下った時とは又違う眺めに出会う。

石畳の途中にある「真珠茶屋」でコーヒーを。

琉球ガラスのコップも、涼やかでいいなぁ。 

黒糖プリン、出来上がったばかりのアツアツを頂く。

黒糖を使っているのだろう生地も色濃く、トロリかかった黒蜜とよくマッチしておいしい。

テラスからは海が見渡せる、なかなかお洒落なお休み処だった。

石畳を歩くのに車を停めた民間の有料駐車場、雨が降りかけていたが傘を持っていない
私達に傘を持って行きなさいと勧めてくれた。

地元の人とは何人かとしか話していないが、どの方も優しく、人良しの沖縄だと思う。

首里城、玉城、識名園・・・見ていない。

次に来る時に残しておこう。

近くにある山城まんじゅうで、那覇の三大まんじゅうの一つ山城まんじゅうを買って帰る。

月桃(げっとう)というショウガ科の植物の葉で包まれ、いい香りがする。

熊本のいきなり団子に似ているが、黒砂糖を使っているだろう中のアンコは凄く薄味で、
私にはちょっと物足りない。


初めての沖縄-今帰仁城(2)

2013年02月14日 | 旅-九州・沖縄

 七五三の階段を上がり、大庭という広場へ。

七五三形式の階段とあるが、これは???

階段の横にはくわん草という、快眠効果もある沖縄伝統野菜が植えられている。

くわん草の事など私が知ってる訳がない。
ガイドさんが付いた観光客がいて、その周りをちょろちょろして盗み聞きしていた私。

ボランティアガイドさん2~3名おられて、無料でガイドをしてもらえるようだ。

お願いするべきだったなぁ。

 大庭という広場に出た。

火神の祠

仮設のような階段を下りながら目をみはる。

まるで万里の長城。

本物を見た事はないが・・・。

階段を下りた所から振り返ると・・・。

 

世界遺産の登録を目指して、地元の人を中心に、崩れていた石垣を一つ一つ石を積み上げて修復した・・・と、
いうガイドさんの話だった。

 

石垣越、眼下に海が広がる。

 

 

かつて女官部屋があった御内原から大隅を見る。

大隅からは馬の骨が大量に発掘され、武闘訓練の場だったらしい。

 大隅をパノラマ写真で。

さすがに沖縄屈指の名城といわれる今帰仁城、見ごたえがあった。

2000年に「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録された。

他には、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽と計9ケ所あるが、今回の旅では、今帰仁城と斎場御嶽の2ケ所しか見れなかった。

宿題、いっぱい、再訪必死。 

とうきびジュースを頂く。

自然なおさえめ甘さで爽やかな味だった。

 

屋我地島と橋で繋がる古宇利島へ急勾配の道を下る。

平成17年竣工の古宇利大橋は全長1960m。

無料で通行できる橋としては日本一長い。

屋我地島側に広い駐車場完備の観光スポットがあり、そこから眺める。

水と橋、ふっと北海道のタウシュベツ橋梁を思い出した。

干潮だったのか・・・。

橋を渡りきった所でビーチに出られる。

夏は海水浴客で賑わうだろうなぁ。

橋を往復しただけで屋我地島経由で本島に戻るが、屋我地島大橋を通る時も素晴らしい眺めだった。


初めての沖縄-今帰仁城(1)

2013年02月13日 | 旅-九州・沖縄

今帰仁・・・なきじんとは、なかなか読めない。

今帰仁城の駐車場は、桜が見頃とあって平日にもかかわらず満車。

なのに桜はほとんどなかった。

もう散ってしまったのか?これからなのか?

一番近い駐車場横のチケット売り場で入場券を買い、石垣目指して歩いて行く。

外郭と呼ばれる所で、現在も発掘調査が行われている。

丁度、発掘作業中のようだった。

こんな曲線の石垣を持った城、日本にあるだろうか?

一画に赤瓦の小さな建物があった。

古宇利殿といい、古宇利島の方角に向いて建っている神聖な祠で、古い写真から復元された。

 

 

 

大隅の城壁といい、古期石灰岩という岩石で幾重にも連なって築かれている。

張り出した部分は、城壁に迫って来る敵を横や斜めからの攻撃できるよう工夫されている。

日本の城ならこういう所に櫓が建っているのだが、ここにはそういう建物はあったんだろうか?

平郎門 

城としての機能を終えてから300年以上経った1900年初め頃には、
門は大きく崩壊していたが、1962年に現在の形に復元された。

この門のそばに入場券拝見所があり、ここから先が有料区間になる。

あの石垣など、外郭を見ただけでもよかったかなぁ・・・と、思ったが、中にはもっと凄い眺めが待っていた。

平郎門をくぐって中に入ると、両側に桜(寒緋桜)が連なっている。

戦前、地元民によって桜が植えられ整備された。

まだ、満開ではないのか?それとも終わりに近いのか、花は少ない。

どうやら、花の本番はこれからのようでした。

夜、テレビで夜桜の中継があった。

石段がライトアップされている。

 

 

カーザフという谷底になった所で、ここにも石積みがされている。

かつて沖縄には、北山、中山、南山と三つの国があり、この今帰仁城は北山の城だった。

1416年中山によって北山は滅ぼされ、以後は監守が置かれ、北部地域の管理にあたっていた。

1609年薩摩藩に攻められ、城は炎上してしまい、それ以後は、
御嶽として祭祀を行った場所が、この今帰仁城(世界遺産)らしい。


初めての沖縄-美ら海水族館

2013年02月11日 | 旅-九州・沖縄

沖縄の桜は北から開花するという。

本部半島の3ケ所で桜を見ようと思っていた。

名護城公園、八重岳、そして今帰仁城。

八重岳にやって来たが、北側からのアクセス道路や頂上付近はすでに終わっていた。

八重岳から桜の森公園へ下る道沿いの桜はきれいに咲いていた。

車を停めて見る事はしなかったが、桜の森公園は多くの人で賑わっていた。

沖縄の桜を楽しむには、この桜の森公園が本数も多くていいのじゃないかと思う。

そして美ら海水族館へ。

花で飾られた海の生き物が迎えてくれて、この前は絶好の写真スポットとなる。

さすが国営の海洋博公園、お金かかってるなぁ。

基地を押し付けている代償なのか?と、思ってしまう。

 

エメラルドビーチ

悠然と泳ぐ姿は見ていても飽きない。

ジンベイザメのツーショット。

以下、水槽の中を写した写真です。

 

 

 

 

 

昼食は、館内にあるレストランでタコライス。

ピリ辛がよく効き、湯がいたキャベツの千切りとトマトがトッピングされ結構おいしい。

沖縄名物タコライス、ちょっとはまってしまった。

ガジュマルの大木が林立する。

美ら海水族館は海洋博公園内の一施設にすぎない。

ウミガメ館もマナティ館も見ていない。

家に帰って来て、家人から聞きウミガメ館もある事を知った。

これはリベンジしなくちゃ。

しかし水族館も美術館も歩いて見て回るだけなのに、すぐ疲れてしまう。


初めての沖縄-伊豆味の石庭

2013年02月09日 | 旅-九州・沖縄

 2013.01.29 旅の2日目は、名護方面へ。

名護公園の桜を楽しみにやってきたが、昨年、何度か襲った台風のせいで
今年の桜はダメらしい。

風で枝や幹が折れた木もたくさんあるし、強い潮風が木を弱めたという。

今年初見の桜、しかも日本桜百選に選ばれている桜なのに、この咲き具合では悲しい。

名護城への階段、確かプロ野球のキャンプでしごかれている場面を見たが、これだったんだ。

蹴上は低いが、延々と続く階段。

ご親切な事に段数が書かれている。

階段を上がりきると、名護の街並み越しに海が広がる。

本部へ向かうべく県道84号線を走っていて上の看板発見。

行ってみよう!

喫茶「せせらぎ」の看板を目標に走って行く。

せせらぎの広い駐車場に車を停め、小川にかかる赤い橋を渡る。

 

入場料金が要るようだけど、どこで払うのかなぁ・・・と、石段を上がって行く。

ドラセナ・・・と、いう植物らしい。

ここだろう。

縁側にはお茶の用意がされている。

中におばぁさんがおられて、お茶を勧められる。

100円x2 を投入。

横で三毛が熱心に毛づくろい。

「あんた 誰・・・?」そう言っているんだろうか、なかなか美人のにゃん。

遊歩道に沿って歩いて行くが、ハブでも出て来ないだろうか?

恐る恐る歩く私。

あとでご主人に伺うと、もう何十年もハブは見ていないとの事で、ほっ。

石灰岩なんだ。

そして、遊歩道になっている所は、以前畑だったらしい。

 

石を取り込んで成長するガジュマルが何本もあった。

斜面いっぱいに咲く花。

なんて名だろう?これは大阪でもよく見かけるのだが・・・。

 

ドラセナの小道。

庭園内に卓球台発見、「卓球できます」という看板があり、ほほえましい。

おっほ~、家の形に剪定されたツゲ。

その上には桜。

沖縄の桜は寒緋桜で色は濃い。

庭仕事をしておられたおじいさん(ご主人)に、ここでも今年の桜は台風のせいで・・・と、聞かされる。

いいなぁ、このシーサー。

ちょっと唐三彩風。

さりげなく庭に置いておられるが、これ高いだろうなぁ。

シーサー買って帰りたかったが、思いのほか値段が高い。

もっとも、今までシーサーの値段など知らなかったのだが、これいいなぁ・・・と、
思う壺屋焼きのものなら3万円ほど出さなくてはいけない。

一人分の旅費とイコールか・・・。

お天気も良くて暖かい日差しの中、よく手入れされた庭、いかにも好々爺という感じのご主人・・・。

沖縄いいなぁ・・・。


初めての沖縄-万座毛

2013年02月05日 | 旅-九州・沖縄

 「万人も座する草原」から名づけられたという万座毛。

駐車場に車を停め、両側に並ぶ土産物屋の前を通り遊歩道へ。

 

コーライ芝の広い草原は立入禁止。

東シナ海に象の鼻のような断崖が突き出す。

「断崖の上の人が邪魔やなぁ・・・」と、いう声が回りから聞こえたが、大きさが分かって
いいじゃないかと思う。

 

北のほうへ歩けば海越しにANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾートが見える。

 

若い男女がこわごわ覗き込む場所があった。

行ってみた。

確かに足がすくむ。

ふっと背中を押されたら・・・。

象の鼻を見たポイント。

きっと向こうから、じゃまやな~って言われているだろう。

夕陽がきれいなスポットというので、時間を合わせて行ったが、曇っていてきれいな
夕陽には出会えなかった。

1日目の観光はこれで終了。

石川インターから沖縄自動車道に乗り那覇を目指す。


初めての沖縄-残波岬

2013年02月04日 | 旅-九州・沖縄

 米軍嘉手納基地の横にある「道の駅かでな」。

エレベーターで4階の展望フロアーに上がり、米軍基地から飛び立つ飛行機を見る事に。

日によって発着機の数に変動があるようで、私が居た20分程の間に1機だけ飛び立ちました。

大きな望遠レンズ装着し、離発着を待つカメラマンがズラリ。

撮りに来た・・・と、ばかりにデジイチを持って行くのが恥ずかしかったので、コンデジだけで
来たのですが、これならデジイチを持ってくれば良かった。

嘉手納基地・・・昭和20年4月沖縄を占領した米軍が滑走路を拡張し、ここから本土
攻略のB-29やB-26が飛び立って行ったという。

初めての沖縄、負の遺産はこの次の旅に回し、観光にいそしむ私。

残波岬へやって来ました。

目の前に広がる東シナ海に突き出した残波岬は、古くから海上交通の目標地点だった。

初めて目にした沖縄の海は荒々しいもので驚く。

 

何という鳥だろうか?

つがいのようで、こちらはメスだと連れが言うが、違い過ぎる。

続いて万座毛へ向かいます。

坂の上から見えた海、これだぁ!


初めての沖縄-やちむんの里

2013年02月03日 | 旅-九州・沖縄

2013.01.28 那覇空港でレンタカーを借り、まず向かうのは読谷村にある「やちむんの里」。

沖縄では焼き物の事を「やちむん」と言うのですね。

沖縄の焼き物といえば「壷屋焼」。

好きな作家さんがおられて、今までに数点買い求めています。

その作家さんの工房へ行くのが今回の旅の大きな目的でした。

 

屋根の真ん中にシーサーが鎮座。

この赤瓦に漆喰の屋根、いいですねぇ。

で、器ですが残念ながら欲しいと思うものが少なく、2点だけ選んで買い求めました。

作家さんにもお会いできましたが、先生曰く「作風が今までとは変わってきた」との事。

円熟味をおびてこられたのでしょうか?

私は以前の鋭い彫りと鮮やかな色合いが好きで、ちょっと残念な思いで工房を後にしました。

ぽつぽつと観光客も訪れ、各工房の直売所を見て回っています。

立派な毛並みですが、沖縄じゃ暑かろうに・・・。

これこれ、どこで爪をといでるの。

奥に進むと登り窯が見えてきました。

赤瓦いいですねぇ。

沖縄の色だと思います。

 

魔物が入って来ないよう丁字路や三叉路に「石敢當(いしかんどう)」という
魔よけの石碑が取り付けられている家屋をよく見かけました。

これは石に彫られたなかなか立派な石敢當。


九州初詣旅-今市宿

2013年01月27日 | 旅-九州・沖縄

豊後街道の一部、今市宿の石畳を見に。

熊本から大分県の鶴崎まで整備された豊後街道。 

熊本から内牧、久住、野津原を通り鶴崎まで続く豊後街道。

参勤交代が通り、勝海舟が坂本竜馬と連れ立って長崎往還したという。

その今市の宿場町に石畳の道が残されている。

何故か車が1台、石畳の真ん中に駐車。

石畳を傷めないよう徐行運転するようにと注意書きがあったが、本当は通って欲しくはないんだろうか?

 

石畳が始まる所に丸山神社があった。

加藤清正が参勤交代の長旅の安全を祈願して天満社を創立したのが、丸山神社の始まりとか。

苔むした石段を上がって行く。 

大分県には数少ないといわれる重厚な楼門をくぐる。 

見事な彫刻が楼門のあちらこちらに。

本堂の屋根は絵付の格天井。

吹きさらしの本堂、絵の傷みも激しい。

お参りする目に飛び込んできた ↑。

社務所らしき建物はあったが神社は無人。

今日は1月5日、私達の他には参詣に訪れる人はみかけなかったが、嬉しい心遣いに心が和む。

地方の神社ではこういう情景が見られるのかもしれないが、私の住む大阪では考えられない。

ありがたく一杯頂戴する。 

 その横にはお札、お守りが。

お札を一つ頂き、この先の旅の安全を願って車に乗せた。

今回の旅は、赤間神宮を皮切りに、阿蘇神社、宇佐八幡宮と巡る初詣旅だったが、
この丸山神社が一番有り難く感じた。

 全長660mの石畳は、途中で鉤形に折れている。

城郭建築によく見られるが、延焼を防ぐ防火の意味合いもあるようだ。

正直、走りづらい。

片側のタイヤは石畳の上で車体はガタガタ。

通りの家屋は整然と並び立ち、手入れされた庭には枝垂桜の木も見えた。

春、桜の頃にも美しいだろう。 

誰が来たのか?、とばかりに柴に見つめられる。

無駄泣きはしない賢そうなワンだった。


九州初詣旅-若宮井路

2013年01月26日 | 旅-九州・沖縄

ちょっとバタバタしてアップもままならない毎日です。

又、途中でほったらかしにしそうなので、簡単に写真を並べます。

黄牛の滝を見た後、竹田を通り越し、国道57号線沿いの水路橋を見に。

 竹田市狭田地区に2つの石造水路橋が架かっています。

こちらは鏡石拱(せっきょう)橋。

石拱橋とは石造のアーチ型の橋をさすらしい。

道路と川をまたいで架かっているが、アーチの幅は川側は広く、道路側は狭い。

アーチ中心の要石部分に明治42年4月竣工とありました。

100年以上経っているのですね。

 石が取れていたりしてかなり痛んでいるような感じを受けましたが、崩れたりしないのだろうか?

こちらは笹無田石拱橋(せっきょうきょう)。

先の鏡石拱橋と共に、稲葉川から取水した水を朝地地区に送る延長20キロにも及ぶ若宮井路の一部。

高さが60mもある笹無田川の谷に架かり、若宮井路の中では最大の難所だったという。

ほんとに随分高い所に架かっている。

 豊肥本線と平行しています。

 国道59号線の笹無田トンネルを出た所に車を停め、豊肥本線の線路脇から眺めると
直交しているように見えたのだが・・・。

 橋の奥の方で線路をまたいでいるのだろう。

国の登録有形文化財に指定されている。

大正5年に石橋が完成したが、わずか5日で崩壊したという。

どうして崩壊したのだろうか?

労力と大金をかけて造っただろうに・・・。

その時は大騒ぎだっただろう。責任者は・・・?

当時の様子を知りたいものだ。

そして、翌年の大正6年に現在の橋が完成し、今も現役で水を通している。

 こちらに建設時の珍しい写真があります。

ここに列車が来てくれれば、絵になるのだが・・・と、思いつつその場を離れ車に戻った時、列車が通過。

後10分、いや5分その場に居れば列車とツーショットの写真が撮れた。

連れの「もう、ええやろ、行くで・・・。」が、なんとも恨めしい。

 

水は変わりなく流れ、畑を潤す。