戸部良一ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究―』から学ぶ(2)
―政府のコロナ対策はなぜ失敗したのか―
明けましておめでとうございます。
昨年はコロナで明け、コロナで終わった1年でした。今年は、このうっとうしい気分が晴
れることを皆様と共に祈ります。
昨年の12月には、ずっとコロン禍のことを書いてきて、もう、この暗いテーマは止めた
いと思いながらも、日に日に深刻化する事態を目の前にして、やはり今回もこの問題から
目を背けることはできないので、『失敗の本質』(2)を書くことにしました。
その前に、現状を確認しておきます。2020年12月31日時点で、新型コロナ陽性確
認者は23万8999人、重症者は716人、死亡4541人、退院19万3714人で
す(いずれも累計)。
日本におけるコロナウイルの発生源である東京都では、12月31日時点の陽性者はつい
に1377人と、これまでの最多を記録しています。これには、さすがに国民も東京都民
も衝撃を受けました。
日本医師会と東京医師会の会長が、年末には強い危機感を表明したことも当然でした。と
いうのも、現場ではすでに「医療崩壊寸前」ではなく、事実上「医療崩壊」が起きている
からです。
この事態は誰が見ても、安倍政権と、9月にそれを引き継いだ菅政権のコロナ対策の失敗
に他なりません。
前回の記事で旧日本軍の問題点について、著者たちの区分に従って、1.戦略的失敗要因
と、2.組織上の失敗要因に分けて整理しておきました。
今回は、これらの多数に及ぶ旧日本軍の失敗の要因と、具体的な戦闘作戦を念頭に置きつ
つ、安倍=菅政権のコロナ対策がなぜ失敗したのかを検証してみたいと思います。
『失敗の本質』の著作の中で、著者たちが指摘した戦略的問題一つは、短期決戦・奇襲作
戦が中心で長期的戦略を持っていなかったことです。
ハワイの真珠湾攻撃で日本軍は成功をおさめ、米軍の艦船に多大な損害を与えました。
この緒戦における成功体験により日本軍には、科学的・合理的な分析をすることなく慢心
と、戦う相手の能力を過小評価する楽観論を抱くようになりました。
その一方で、もし、相手(米国)が本格的に反撃出て、長期戦になった場合、日本はどう
対応するのかの長期戦略はありませんでした。
では、昨年の日本のコロナ対策はどうであったかを見てみましょう。
2020年1月、日本でクルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号」において、中国の武
漢発とみられる新型ウイルスの集団感染が発生しました。しかし、船という隔離された空
間での発生ということで、一般社会からの隔離がしやすかった、という状況に助けられて、
3月初めに一応の収束をみました。
しかし、この時、本当は新型コロナに対する長期的な戦略を立てておくべきでしたが、そ
の後、今日に至るまで、政府は長期的な戦略をもっていません。
これはコロナとの戦いにおける端緒、いわば“真珠湾攻撃”の成功にたとえられるます。
しかし、この成功体験は、次の大きな失敗の下地を作ってしまいました。3月になって首
相官邸はコロナ封じに自信を深めつつありました。国民の間にも、この新型ウイルスは大
した問題にはならないとの空気がただよい、「気のゆるみ」が蔓延していました。
実際、3月中旬まで、1日当たりの国内感染者は10~60人程度で推移していました。
当時官邸では、千人単位で感染者が出る日が相次いでいたイタリアなどヨーロッパの深刻
な事態は「対岸の火事」に映っていました。
官邸内の会合では「欧州はクラスター(感染者集団)対策が不十分。一体、何をしている
のかね」と、ヨーロッパ諸国での対応を揶揄する軽口も出ていまいた。
学生の卒業旅行などを通じたウイルスの侵入に対する警戒感は薄かったのです。
ところが、このころすでに、後に感染が急増するヨーロッパ経由とみられる「変異種」の
ウイルスがヒタヒと国内に侵入しはじめていたのです。
政府の中枢の「慢心」は国民に伝わり、3月20日からの三連休で全国の花見の名所は人
々でにぎわいました。この光景は何度もテレビで放送されました。花見客はもちろんマス
クをしていませんでした。
事態を心配した安倍首相は「緩んでいる」と周囲につぶやいていましたが、 菅官房長官
(当時)は「屋外は問題ない。花見はいいでしょう」と意に介していませんでした。
予想通り感染者は増え始めたため23日、小池東京都知事は「ロックダウン」(都市封鎖)
という言葉を発して注意を喚起しましたが、感染者は増え続けが末、3月27日には、1
日当たりの感染者は100人を超えるようになりました。
首相は緊急事態宣言の発令を考え始めましたが、菅官房長官と麻生副総理は、「人口から
すればたいしたことはない」と周囲に繰り返していました。「経済優先」を主張する政権
陣容の偏重が、裏目にでました。
ただし当時、政府にはまだ緊迫感はありませんでした。ある政府高官は、「4月直前まで
(緊急事態)宣言なんて考えてもみなかった。日本が世界で一番うまく対処していると思
っていた」と振り返ります(『東京新聞』2020年12月22日)。
しかし、感染は止まらず4月1日ころにピークに達する感染の「第一波」が首都圏を中心
に勃発しました。そこで政府はようやく4月7日、7都道府県に、そして16日には全国
に緊急事態を宣言しました。しかし、この時はすでに感染者は減少に転じていたのです。
そして、5月25日、この緊急事態宣言を終了させた日の夕方、安倍首相は記者会見で、
新型コロナウイルスについて「日本ならではのやり方で、わずか1カ月半で流行をほぼ収
束させることができた。日本モデルの力を示した」、と言い「すべての国民のご協力、こ
こまで根気よく辛抱してくださった皆さまに心より感謝申し上げます」と述べました。
安倍首相は自慢げに「日本モデルの力を示した」と世界に向かって宣言したのです。しか
し、この時、感染が減少した原因を徹底的に分析したわけではありませんし、「日本モデ
ル」とは何なのか、中身については言及しませんでした。
いずれにしても、この時の一時的「成功」が、第二の“真珠湾攻撃”の成功体験となって、
安倍首相にこのような言葉を言わせたのです。
ところがその後、有効なコロナ対策が講じられることなく、「第一波」から2か月後の7
月から8月にかけて「第二波」が、そして、11月後半からは「第三波」が燎原の火のよ
な勢いで全国に拡大しました。
この間、政府は感染抑制をしつつ「経済を回す」と言いつつ実際には感染抑制に対して何
ら有効な措置を講ずることなく、「経済を回す」ことに熱中し、Go To キャンペーンを年
末まで続行しました。
以上、今年の春からの状況を見てきましたが、ここまでの政府の対応策にはすでに、日本
軍の「失敗の本質」のかなりの部分が出そろっていいます。
まず、緒戦の真珠湾攻撃の成功体験が、軍部に相手の実力を過小評価させたように、第一
波の抑え込みの成功体験が、新型コロナの本当の怖さを過小評価させたことです。
日本軍が、真珠湾攻撃以降の大きな戦闘では全て負けたのに、同じ戦法で負けを繰り返し
ました。著者たちは、これは日本軍には長期的戦略がなく、失敗の反省や学習をせず、同
じパターンの戦闘を繰り返したからだと指摘しています。
この点では、安倍=菅政権でも同様で、長期的戦略がなく、一貫性を欠いた場当たり的な
政策を繰り返してきました。
日本軍で、攻撃に慎重論を唱える軍人を左遷し、積極派を重用したように、菅政権でも人
事面で、経済優先の政治家で閣僚を固め、異議を唱える官僚などは「飛ばす」「移動させ
る」と脅して、口を封じてきました。
また、『失敗の本質』は日本軍の本質的なの問題として、自分たちの過ちを認めること(
「自己否定」)をしないまま自己革新する能力を失っていたことを挙げています。
この点も安倍=菅政権は全く同じで、自らの過ちを認め、戦略的・組織的な革新を行うこ
となく今日に至っています。
その顕著な例は、コロナ感染を抑えつつ「経済を回す」という、ブレーキとアクセルを同
時に踏み、問題が発生すると小出しの政策でその場をしのごうとしている姿勢に顕著に表
れています。
これは、現実には無理であることは最初から分かっているのに、精神力で突破せよと号令
をかけて惨敗を続けた日本軍とよく似ています。
コロナ禍に対する政府の対応については、まだまだ書ききれない問題がたくさんあります
が、一旦ここで止めておきます。
―政府のコロナ対策はなぜ失敗したのか―
明けましておめでとうございます。
昨年はコロナで明け、コロナで終わった1年でした。今年は、このうっとうしい気分が晴
れることを皆様と共に祈ります。
昨年の12月には、ずっとコロン禍のことを書いてきて、もう、この暗いテーマは止めた
いと思いながらも、日に日に深刻化する事態を目の前にして、やはり今回もこの問題から
目を背けることはできないので、『失敗の本質』(2)を書くことにしました。
その前に、現状を確認しておきます。2020年12月31日時点で、新型コロナ陽性確
認者は23万8999人、重症者は716人、死亡4541人、退院19万3714人で
す(いずれも累計)。
日本におけるコロナウイルの発生源である東京都では、12月31日時点の陽性者はつい
に1377人と、これまでの最多を記録しています。これには、さすがに国民も東京都民
も衝撃を受けました。
日本医師会と東京医師会の会長が、年末には強い危機感を表明したことも当然でした。と
いうのも、現場ではすでに「医療崩壊寸前」ではなく、事実上「医療崩壊」が起きている
からです。
この事態は誰が見ても、安倍政権と、9月にそれを引き継いだ菅政権のコロナ対策の失敗
に他なりません。
前回の記事で旧日本軍の問題点について、著者たちの区分に従って、1.戦略的失敗要因
と、2.組織上の失敗要因に分けて整理しておきました。
今回は、これらの多数に及ぶ旧日本軍の失敗の要因と、具体的な戦闘作戦を念頭に置きつ
つ、安倍=菅政権のコロナ対策がなぜ失敗したのかを検証してみたいと思います。
『失敗の本質』の著作の中で、著者たちが指摘した戦略的問題一つは、短期決戦・奇襲作
戦が中心で長期的戦略を持っていなかったことです。
ハワイの真珠湾攻撃で日本軍は成功をおさめ、米軍の艦船に多大な損害を与えました。
この緒戦における成功体験により日本軍には、科学的・合理的な分析をすることなく慢心
と、戦う相手の能力を過小評価する楽観論を抱くようになりました。
その一方で、もし、相手(米国)が本格的に反撃出て、長期戦になった場合、日本はどう
対応するのかの長期戦略はありませんでした。
では、昨年の日本のコロナ対策はどうであったかを見てみましょう。
2020年1月、日本でクルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号」において、中国の武
漢発とみられる新型ウイルスの集団感染が発生しました。しかし、船という隔離された空
間での発生ということで、一般社会からの隔離がしやすかった、という状況に助けられて、
3月初めに一応の収束をみました。
しかし、この時、本当は新型コロナに対する長期的な戦略を立てておくべきでしたが、そ
の後、今日に至るまで、政府は長期的な戦略をもっていません。
これはコロナとの戦いにおける端緒、いわば“真珠湾攻撃”の成功にたとえられるます。
しかし、この成功体験は、次の大きな失敗の下地を作ってしまいました。3月になって首
相官邸はコロナ封じに自信を深めつつありました。国民の間にも、この新型ウイルスは大
した問題にはならないとの空気がただよい、「気のゆるみ」が蔓延していました。
実際、3月中旬まで、1日当たりの国内感染者は10~60人程度で推移していました。
当時官邸では、千人単位で感染者が出る日が相次いでいたイタリアなどヨーロッパの深刻
な事態は「対岸の火事」に映っていました。
官邸内の会合では「欧州はクラスター(感染者集団)対策が不十分。一体、何をしている
のかね」と、ヨーロッパ諸国での対応を揶揄する軽口も出ていまいた。
学生の卒業旅行などを通じたウイルスの侵入に対する警戒感は薄かったのです。
ところが、このころすでに、後に感染が急増するヨーロッパ経由とみられる「変異種」の
ウイルスがヒタヒと国内に侵入しはじめていたのです。
政府の中枢の「慢心」は国民に伝わり、3月20日からの三連休で全国の花見の名所は人
々でにぎわいました。この光景は何度もテレビで放送されました。花見客はもちろんマス
クをしていませんでした。
事態を心配した安倍首相は「緩んでいる」と周囲につぶやいていましたが、 菅官房長官
(当時)は「屋外は問題ない。花見はいいでしょう」と意に介していませんでした。
予想通り感染者は増え始めたため23日、小池東京都知事は「ロックダウン」(都市封鎖)
という言葉を発して注意を喚起しましたが、感染者は増え続けが末、3月27日には、1
日当たりの感染者は100人を超えるようになりました。
首相は緊急事態宣言の発令を考え始めましたが、菅官房長官と麻生副総理は、「人口から
すればたいしたことはない」と周囲に繰り返していました。「経済優先」を主張する政権
陣容の偏重が、裏目にでました。
ただし当時、政府にはまだ緊迫感はありませんでした。ある政府高官は、「4月直前まで
(緊急事態)宣言なんて考えてもみなかった。日本が世界で一番うまく対処していると思
っていた」と振り返ります(『東京新聞』2020年12月22日)。
しかし、感染は止まらず4月1日ころにピークに達する感染の「第一波」が首都圏を中心
に勃発しました。そこで政府はようやく4月7日、7都道府県に、そして16日には全国
に緊急事態を宣言しました。しかし、この時はすでに感染者は減少に転じていたのです。
そして、5月25日、この緊急事態宣言を終了させた日の夕方、安倍首相は記者会見で、
新型コロナウイルスについて「日本ならではのやり方で、わずか1カ月半で流行をほぼ収
束させることができた。日本モデルの力を示した」、と言い「すべての国民のご協力、こ
こまで根気よく辛抱してくださった皆さまに心より感謝申し上げます」と述べました。
安倍首相は自慢げに「日本モデルの力を示した」と世界に向かって宣言したのです。しか
し、この時、感染が減少した原因を徹底的に分析したわけではありませんし、「日本モデ
ル」とは何なのか、中身については言及しませんでした。
いずれにしても、この時の一時的「成功」が、第二の“真珠湾攻撃”の成功体験となって、
安倍首相にこのような言葉を言わせたのです。
ところがその後、有効なコロナ対策が講じられることなく、「第一波」から2か月後の7
月から8月にかけて「第二波」が、そして、11月後半からは「第三波」が燎原の火のよ
な勢いで全国に拡大しました。
この間、政府は感染抑制をしつつ「経済を回す」と言いつつ実際には感染抑制に対して何
ら有効な措置を講ずることなく、「経済を回す」ことに熱中し、Go To キャンペーンを年
末まで続行しました。
以上、今年の春からの状況を見てきましたが、ここまでの政府の対応策にはすでに、日本
軍の「失敗の本質」のかなりの部分が出そろっていいます。
まず、緒戦の真珠湾攻撃の成功体験が、軍部に相手の実力を過小評価させたように、第一
波の抑え込みの成功体験が、新型コロナの本当の怖さを過小評価させたことです。
日本軍が、真珠湾攻撃以降の大きな戦闘では全て負けたのに、同じ戦法で負けを繰り返し
ました。著者たちは、これは日本軍には長期的戦略がなく、失敗の反省や学習をせず、同
じパターンの戦闘を繰り返したからだと指摘しています。
この点では、安倍=菅政権でも同様で、長期的戦略がなく、一貫性を欠いた場当たり的な
政策を繰り返してきました。
日本軍で、攻撃に慎重論を唱える軍人を左遷し、積極派を重用したように、菅政権でも人
事面で、経済優先の政治家で閣僚を固め、異議を唱える官僚などは「飛ばす」「移動させ
る」と脅して、口を封じてきました。
また、『失敗の本質』は日本軍の本質的なの問題として、自分たちの過ちを認めること(
「自己否定」)をしないまま自己革新する能力を失っていたことを挙げています。
この点も安倍=菅政権は全く同じで、自らの過ちを認め、戦略的・組織的な革新を行うこ
となく今日に至っています。
その顕著な例は、コロナ感染を抑えつつ「経済を回す」という、ブレーキとアクセルを同
時に踏み、問題が発生すると小出しの政策でその場をしのごうとしている姿勢に顕著に表
れています。
これは、現実には無理であることは最初から分かっているのに、精神力で突破せよと号令
をかけて惨敗を続けた日本軍とよく似ています。
コロナ禍に対する政府の対応については、まだまだ書ききれない問題がたくさんあります
が、一旦ここで止めておきます。