東日本大震災と「文明の災禍」(3)-巨大システムの罠-
内山氏が考える「文明の災禍」には巨大システムの崩壊も含まれます。彼はそれを,「東日本の大災害をへて,私は次のように感じた。
それは,危機とはシステムの崩壊によって起こる現象だということだった」と表現します。
しかも現代文明においては,一つのシステムが巨大化しただけでなく,システムとシステムが相互に関連し合っており,一つのシステム
が崩壊すると,思わぬところに波及して,大きな危機を引き起こすのです。
たとえば,福島でひとつの原発システムが崩壊したとき,それは東京電力の電力システムの崩壊を作り出しました。
震災が発生してから翌日まで送電システムが崩壊し,電力不足から首都圏の電車はほぼ全面的に運行不能となりました。
これは人の移動と物流システムをも麻痺させてしまいました。
交通システムだけでなく,情報・通信システムも崩壊の危機に直面しました。あらゆる情報がコンピュータで処理される現代社会で,
停電は情報システムに致命的な打撃を与えます。
携帯電話は,電気で作動している中継アンテナも機能しなくなってしまうので,携帯電話が使えなくなってしまいます。
携帯電話もまもなくバッテリーが空になってしまうので,停電が続けば,やがて使用不能になってしまいます。
さらに,現代の工場生産は電気に支えられているので,発・送電システムの部分的な崩壊だけでも生産システムに大きな影響を与えます。
実際,昨年の大震災の際には東京電力管内で計画停電が適用されただけでも,生産機能がかなり麻痺しました。
加えて,東北地方では,地震と津波によって送電が止まり,生産の全面停止に追い込まれた工場もたくさんありました。
これらの工場は,国内向けだけでなく輸出用の,自動車や家電などの部品を作っていたので,その影響は日本だけでなく世界の生産
システムにも大きな影響を与えました。
つまり,福島の地震と原発事故によって,情報・通信,交通,物流,生産のあらゆる分野が影響を受けました。
これは,現代の生産システムが地球規模の強大な生産システムのネットワークに組み込まれているため,システムの一部の崩壊や機能不全でも,
それは直ちに巨大システム全体に多大な影響を与えるようになっているからです。
このようなシステムの巨大化は,生産や物流などの経済面だけではありません。
原発事故が起こった際の,福島の原発現場,東電本社,原子力委員会,経済産業省の原子力保安院,政府の各部門,官邸,首相の間でコミュニ
ケーションがうまくいっていなかったことが明らかになりました。
たとえば,前回書いた,海水注入問題にしても,東電は首相が注入の中止を指示したと言い,首相はそんな指示は出していないと主張しています。
実際には,現場の所長が本社の指示を無視して,個人の判断で注入を続けていたことを自ら公表しました。
あのような混乱状態の仲で,しかもそれぞれが巨大なシステムなので,短時間のうちに全体の意思統一を図ることは非常に難しいことがわかります。
しかも,そこに専門家の横暴と傲慢が入り込み,実際に注入を続けていたことを隠していたために,政府も国会もこの問題で,最初の2ヶ月間
もの貴重な時間を空費してしまったのです。
私たちの生活について考えてみましょう。私たちは,すっぽりと巨大化したシステムの中に飲み込まれているのですが,それが崩壊してしまった
とき,自分で修復することはできません。
昔の地震や津波も,地域の生活システムや労働システムを破壊し,その地域の人たちを危機に立たせたに違いありません。
ただ,その時代のシステムは人間と等身大だったので,システム崩壊が起こっても,人々は自分たちの手で,少しずつシステムを再建していくこと
ができました。
しかし,今日の巨大システムの崩壊ではそれができません。電気がなくなってしまうと,自分の手で電気を作り,電話やインターネットを再生させる
ことができないのです。
システムは巨大化すればするほど生活は便利になり,物事は効率的に処理されことは確かです。たとえばスカイプを使えば海外の知人とも,テレビ
電話のようにお互いの顔を見ながら無料で通話ができます。
また友人と待ち合わせをする時,あらかじめ厳格に時間と場所を決めておかなくても,携帯電話を利用すれば,移動しながら楽に会うことができます。
私たちが携帯電話で遠く離れた人と通話することができる背後では,巨大なシステムが動いているはずなのに,それを認識することなく便利さだけを
利用しています。
しかし,それが突然機能しなくなると,今更ながらのように困惑してしまうのです。たとえば昨年の3月11日,大震災が発生した直後に携帯電話が通じ
なくなったとき,多くの人がパニックにおちいりました。
あるいは平常時でも,私の周辺の学生は,家に携帯電話を忘れてしまったときなど,名実共にパニックなってしまいます。便利さに慣れてしまうと,
まるで中毒患者のように私たちは携帯電話のような「文明の利器」の依存症になってしまうのです。
問題が,携帯電話システムの崩壊ならまだ被害はそれほど深刻ではありません。しかし,原発システムの爆発という形での崩壊となると,もはや他人は
いうまでもなく自分自身の身を守ろうことさえ困難になってしまいます。
原発事故のような巨大システムの崩壊に直面すると,私たちは何もできずに,ただただ遠くに逃げるか,放射背物質を浴びる恐怖を感じつつ留まるより
ほか対応する術がありません。
現代文明が生活のあらゆる領域で巨大システムによって取り込んでしまっているので,私たちはこのシステムから逃れることは事実上不可能です。
しかもやっかいなことに,この巨大システムの中にいると,私たちはその全体像を,知性によっても身体感覚によっても認識することはできなくなって
いるのです。
そして,今回の原発事故のようなシステムの崩壊が生じたとき始めて,私たちは巨大システムの一旦をかいま見ることになるのですが,残念ながらそれは
ほとんどの場合,不孝な事故や災禍として私たちに襲いかかってきたときなのです。
これこそが,巨大システムの罠なのです。東日本大震災は,このことをいやというほど教えてくれました。
内山氏が考える「文明の災禍」には巨大システムの崩壊も含まれます。彼はそれを,「東日本の大災害をへて,私は次のように感じた。
それは,危機とはシステムの崩壊によって起こる現象だということだった」と表現します。
しかも現代文明においては,一つのシステムが巨大化しただけでなく,システムとシステムが相互に関連し合っており,一つのシステム
が崩壊すると,思わぬところに波及して,大きな危機を引き起こすのです。
たとえば,福島でひとつの原発システムが崩壊したとき,それは東京電力の電力システムの崩壊を作り出しました。
震災が発生してから翌日まで送電システムが崩壊し,電力不足から首都圏の電車はほぼ全面的に運行不能となりました。
これは人の移動と物流システムをも麻痺させてしまいました。
交通システムだけでなく,情報・通信システムも崩壊の危機に直面しました。あらゆる情報がコンピュータで処理される現代社会で,
停電は情報システムに致命的な打撃を与えます。
携帯電話は,電気で作動している中継アンテナも機能しなくなってしまうので,携帯電話が使えなくなってしまいます。
携帯電話もまもなくバッテリーが空になってしまうので,停電が続けば,やがて使用不能になってしまいます。
さらに,現代の工場生産は電気に支えられているので,発・送電システムの部分的な崩壊だけでも生産システムに大きな影響を与えます。
実際,昨年の大震災の際には東京電力管内で計画停電が適用されただけでも,生産機能がかなり麻痺しました。
加えて,東北地方では,地震と津波によって送電が止まり,生産の全面停止に追い込まれた工場もたくさんありました。
これらの工場は,国内向けだけでなく輸出用の,自動車や家電などの部品を作っていたので,その影響は日本だけでなく世界の生産
システムにも大きな影響を与えました。
つまり,福島の地震と原発事故によって,情報・通信,交通,物流,生産のあらゆる分野が影響を受けました。
これは,現代の生産システムが地球規模の強大な生産システムのネットワークに組み込まれているため,システムの一部の崩壊や機能不全でも,
それは直ちに巨大システム全体に多大な影響を与えるようになっているからです。
このようなシステムの巨大化は,生産や物流などの経済面だけではありません。
原発事故が起こった際の,福島の原発現場,東電本社,原子力委員会,経済産業省の原子力保安院,政府の各部門,官邸,首相の間でコミュニ
ケーションがうまくいっていなかったことが明らかになりました。
たとえば,前回書いた,海水注入問題にしても,東電は首相が注入の中止を指示したと言い,首相はそんな指示は出していないと主張しています。
実際には,現場の所長が本社の指示を無視して,個人の判断で注入を続けていたことを自ら公表しました。
あのような混乱状態の仲で,しかもそれぞれが巨大なシステムなので,短時間のうちに全体の意思統一を図ることは非常に難しいことがわかります。
しかも,そこに専門家の横暴と傲慢が入り込み,実際に注入を続けていたことを隠していたために,政府も国会もこの問題で,最初の2ヶ月間
もの貴重な時間を空費してしまったのです。
私たちの生活について考えてみましょう。私たちは,すっぽりと巨大化したシステムの中に飲み込まれているのですが,それが崩壊してしまった
とき,自分で修復することはできません。
昔の地震や津波も,地域の生活システムや労働システムを破壊し,その地域の人たちを危機に立たせたに違いありません。
ただ,その時代のシステムは人間と等身大だったので,システム崩壊が起こっても,人々は自分たちの手で,少しずつシステムを再建していくこと
ができました。
しかし,今日の巨大システムの崩壊ではそれができません。電気がなくなってしまうと,自分の手で電気を作り,電話やインターネットを再生させる
ことができないのです。
システムは巨大化すればするほど生活は便利になり,物事は効率的に処理されことは確かです。たとえばスカイプを使えば海外の知人とも,テレビ
電話のようにお互いの顔を見ながら無料で通話ができます。
また友人と待ち合わせをする時,あらかじめ厳格に時間と場所を決めておかなくても,携帯電話を利用すれば,移動しながら楽に会うことができます。
私たちが携帯電話で遠く離れた人と通話することができる背後では,巨大なシステムが動いているはずなのに,それを認識することなく便利さだけを
利用しています。
しかし,それが突然機能しなくなると,今更ながらのように困惑してしまうのです。たとえば昨年の3月11日,大震災が発生した直後に携帯電話が通じ
なくなったとき,多くの人がパニックにおちいりました。
あるいは平常時でも,私の周辺の学生は,家に携帯電話を忘れてしまったときなど,名実共にパニックなってしまいます。便利さに慣れてしまうと,
まるで中毒患者のように私たちは携帯電話のような「文明の利器」の依存症になってしまうのです。
問題が,携帯電話システムの崩壊ならまだ被害はそれほど深刻ではありません。しかし,原発システムの爆発という形での崩壊となると,もはや他人は
いうまでもなく自分自身の身を守ろうことさえ困難になってしまいます。
原発事故のような巨大システムの崩壊に直面すると,私たちは何もできずに,ただただ遠くに逃げるか,放射背物質を浴びる恐怖を感じつつ留まるより
ほか対応する術がありません。
現代文明が生活のあらゆる領域で巨大システムによって取り込んでしまっているので,私たちはこのシステムから逃れることは事実上不可能です。
しかもやっかいなことに,この巨大システムの中にいると,私たちはその全体像を,知性によっても身体感覚によっても認識することはできなくなって
いるのです。
そして,今回の原発事故のようなシステムの崩壊が生じたとき始めて,私たちは巨大システムの一旦をかいま見ることになるのですが,残念ながらそれは
ほとんどの場合,不孝な事故や災禍として私たちに襲いかかってきたときなのです。
これこそが,巨大システムの罠なのです。東日本大震災は,このことをいやというほど教えてくれました。