年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地の祭日

2014年09月15日 | 築地市場にて

 

年寄りの日

 日本国民の25%が65歳を超えるという。しかし多様な高齢者をどのように捕えているか統計だけではわからない。築地に来る高齢者が何を期待しているか判らないが圧倒的に外国人は若く、日本人は高齢者が多い。

 市場の入り口には英語、中国語、ハングル表示で今日は休み、市場内のレストランも休みと書いてある。これからアジア諸国語の表示が増えるのだろうか。

 場内放送で迷子となってしまった人を呼び出す放送が色々な言語で放送されるので驚く。

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雪冤(せつえん)

2014年09月14日 | 宅老のグチ

 

  1. 無実の罪を晴らして、身の潔白を明らかにすること。

今日の日本経済新聞の書評欄で初めて、雪冤の読み方がわかった。幕末から明治にかけて、新政府寄りの人を除くと、旧幕臣は雪冤の気持ちが重く、生き方の重石となっていたようだ。しばしば雪冤という言葉が出ていて、大方汚名をそそぐという意味だろうと理解していた。

 大正のころ、大阪北浜銀行を追われた岩下清周のため築地の新喜楽で「雪冤」の会があった。無実の罪を晴らすという意味があったとは知らなかった。岩下清周を犯罪者に追い込んだねつ造記事が連日続くと、世間では事実と理解され始め、見逃していた行動も不信の目で見られるようになり、ついに犯罪者として仕立てられるようになってしまった。北浜銀行の経営者は見込みのある企業に融資する判断には博打のようなこともあった。近鉄の生駒山トンネルなどは冒険的事業だったといえる。大阪から奈良へ行くにはJRを利用しないで近鉄を使うのは岩下清周の判断が正しかったことを示している。JRは大坂から奈良行きの本数も少なく、時間がかかる。生駒山を迂回するためである。

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警察の車に囲まれて

2014年09月13日 | 築地市場にて

 

築地市場正門前の朝日新聞脇の車道に久しぶりに警察の機動隊の車が駐車している。築地に機動隊が出動するのは年末の買い物客が出る時期で見慣れているがどこかの大使館前と同じ警備となっている。

 世間では3連休となっているが築地ではたぶん押し寄せる観光客で連日忙しいだろう。その中で冷蔵庫の解体工事が進んでいる。今の進み具合だと10月いっぱいかかるのだろうか。浜離宮前の交差点直下のトンネル工事も着手したようで周囲の工事の激しさはオリンピック工事が控えているので遅らせるわけにはいかないように見える。豊洲市場の工事の報道があった。全部でコンクリ-トが47万立方メ-トル必要で既に3万ほど使用したという。普通の建設工事と比較するとどうなるのだろうか。広い豊洲市場の駐車場も地震の液状化を防ぐため地盤改良をしているのだろうか。コンクリ-トが多いか少ないかは素人にはわからない。

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静かになるのかな

2014年09月12日 | 築地市場にて

 

朝日新聞の記事訂正の謝罪会見で、築地市場前はようやく静かになるのだろうか。8月から連日のように街宣車が新大橋通りにやってきてワメイテいるがビルにこだまして何を話しているか職場では何もわからない。昔の街宣車は警察の護衛付だったと記憶している。築地市場の景気の勢いがよい時で市場関係者と右翼との交通の妨げとなるトラブルを恐れていたかもしれない。ある時街宣車が間違って市場に入ったことがある。市場の人達の抗議と顔色を見て、すぐに音を消した。

 昨年大きな刃物を築地市場内で振り回した事件があった。犯人が市場の人に囲まれていた様子が動画で記録されていた。築地の人は恐ろしい。タ-レ-は戦車のように最強である。

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戦時中の話で

2014年09月11日 | 築地市場にて

 

食べ物の話では戦時中の話は面白くない。配給だから品物を配るしかない。戦後の話のほうが話としては多数ある。

 戦後数年たった話だがまだまだ食品が十分に出回っていないとき、築地市場では小車から落ちたものやゴミの中にまだ食べられるものがあったという。既に築地は食品が余っていたという。米軍に築地市場の一部が占有されていた。戦後のひもじい状況はまだ生臭く話せないのだろうか。法律の従って生きていたら餓死する時でもあった。当時は農村部の人以外全ての日本人はやみ市場で食品を確保していて生きるため法律違反をしていたこととなる。

 戦後の生活は食料について苦労した話が多数ある。飽食の今、その話をどうしてドラマ化しないのだろうか。世界ではまだ一日の食料を安定してとれない人が多数あることを知るべきである。食料自給率の少ない日本は戦争になったらすぐに餓死の世界に接近する。

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ボツリヌス菌

2014年09月10日 | 宅老のグチ

 

日本コカコ-ラが4月から缶コ-ヒ-の容器を鉄からアルミに変えたようだ。牛乳入りの飲料にはボツリヌス菌の発生検査を受ける必要があったため、鉄缶を使用していたという。日本コカコ-ラは衛生管理の強化でアルミ缶を使用し始めたという。9月9日読売新聞記事より

 ずいぶん前、ボツリヌス菌の事故は漬物でも起こったことがある。真空パックされたカラシレンコンからボツリヌス菌が繁殖し、死者が出たこともあった。当時の記憶ではカラシから菌が繁殖したと聞いている。真実はどうだったのだろうか。食の事故は時間がたつと記憶が消える。また中国で豚足の報道があった。マクドナルドは不良中国材料でかなり打撃を受けているようだ。漬物も近隣国のことでかなり数字が悪いようだ。

 

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上天気

2014年09月09日 | 築地市場にて

 

小さな台風が東に過ぎ去って、今晩は満月の夜となる。日本では中秋の祭りは寂れたが中国では盛大な祭りのようだ。まちまちの祭日で国際間の金融の人達はどうしているのだろうか。1$が106円台になったがガソリン価格が夏より下落して1L158円ほどに下がった。一時は160円になっていた。郊外の量販店では車で来る客が減っているという。安い買い物を探すのに高価なガソリンを消費するには店舗に行く回数を減らすしかないだろう。アメリカのように大容量の食品が売れることになるのだろうか。対極に少量単位のコンビニがある。

 大きな月を見上げる人はどんな想いで見ているのだろうか。

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デング熱とか出血熱とか

2014年09月08日 | 築地市場にて

 

幕末まで遠隔地にて発生し流行した病気は日本まで来るまで時間がかかり、日本は比較的平穏だった。周囲の海が防御壁だった。江戸時代にイギリスがインドを統治下におくと、交易が東アジアに向かうと共に、エジプトの風土病だったコレラがインド、中国、日本にやってきた。安政の頃から全国的に伝染し、明治の頃は新聞報道で死者の数が報道されていた。自由民権運動家花香恭次郎はコレラで死んだ。5月頃からコレラが流行すると東京の衛生状況を監督する警察(当時は警察の管轄)市場を指導していたようだ。日本橋魚河岸がコレラのために休市したこともあった。

 戦後ではビキニの被爆で築地が大変になったこともある。浜離宮の蚊が築地市場まで飛んでくる。大丈夫なのだろうか。

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来年の話をすると鬼が笑うけれど再来年の話はどうなるか

2014年09月07日 | 宅老のグチ

 

9月4日来年の築地市場カレンダ-が発表されたが平成28年の築地市場カレンダ-は今年のように早く(もっとも十数年前は8月下旬に出ていた)でない気がする。平成28年は豊洲市場移転問題があるので築地のカレンダ-と都内の市場のカレンダ-が異なる気がする。青果は大田市場という巨大市場があるので問題はないが水産は代替市場がないのでどうするのだろう。

従ってカレンダ-作成がもめることが予想される。過去で一番カレンダ-発表が遅れた時は十月上旬だったと記憶する。どうするのだろう。

 

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築地市場平成27年カレンダ-

2014年09月06日 | 築地市場にて

 

のんびり福島事件の関係者のことを調べていた。もっとも福神漬の命名に隠されている比喩は福島事件も含まれていると見ているからである。福神漬の創製時期と思われる明治10年代後半に池之端付近で何があったかを調べていると様々な歴史が見えてくる。

 9月4日に配布された平成24年築地市場カレンダ-は最近の労働情勢から休市が二日増え、10月21日だけが水産部が開市で青果部は休み。毎月水曜日が休みになるのは間もない気がする。生産者、消費者、労働者の間の駆け引きで休みが決まる。東京の市場の休みが地方農水産関係者の休みに影響する。年中無休となってしまったス-パ-との間で流通業者が板ばさみとなっている。

市場カレンダ-に印刷は東京都中央卸売市場のホ-ムペ-ジを見てください。

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長井昌言の鉄道開業時の記録発見

2014年09月05日 | 福神漬

アジア歴史資料センタ- デジタル資料より

職員録・明治六年一月・袖珍官員録改

工部省 7等

大録 長井昌言

やっと明治の鉄道に鶯亭金升の父、長井昌言が鉄道関係の仕事をしていたという資料を見つけた。昌言は明治6年に死去しているので、明治5年の官員録を見たが掲載されてはいなかった。

幕臣だった長井昌言が鉄道関係の役人となったのは初期鉄道史には出てこない。鉄道開業時、鶯亭金升は見に行ったと書いてあったが事実だろう。どうして鉄道関係の仕事を得たかまだ不明だか高島嘉右衛門のコネだろう。そうすると花香恭次郎がやはり鉄道開業時に横浜に行ったのも長井の手引きと考えられる。長井が明治6年に死去し、花香恭次郎が横浜を去り、農業経営のほうに向かうが向上心のある恭次郎にとって田舎は我慢の出来ない生活だっただろう。やがて二本松藩出身の服部誠一(撫松)の経営する公益問答新聞に新聞記者として勤めるようになる。二本松藩は大垣戸田家と関係があって花香が採用されたと思われる。花香がそこで宮城県出身の佐藤清と知り合い、西南戦争が勃発すると新聞社の方針と異なり退社し東北に向かう。自由民権運動福島事件の被告人花香恭次郎が幕臣士族の出で、唯一東京出身の被告人で高等法院の公判が注目された理由の一つである。

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徐々に消えるのかも

2014年09月04日 | 築地市場にて

 漬物業界紙の記事を見ていると漬物が徐々に消えつつあることがわかる。中国の人件費等の上昇と為替の円安が以前利益を上げる元となった行為が逆に重石となり、業界全体が苦しんでいるようだ。先行きの暗さが元気さが消える原因となっている。

 消費税が3%ほど上がって、物価もそれに伴って上がったが景気はよくなりそうにもない。その原因として物価上昇にマイナス効果の高齢者が人口の30%をちかく占めているからと思う。年金収入しかない人にとって節約しか物価上昇に対抗できない。漬物のような安価な食品が消費税の駆け込み需要があるとは想像していなかった。当然落ち込み方が長い。節約して消費しているのだろう。

 これからの対立は物価上昇に対抗できる人と出来ない人に分けられる

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廃業勧告

2014年09月03日 | 築地市場にて

 

仕事柄同業の得意先の行く末を予想できる。人口が減りつつある日本では唯一東京だけが今のところ居住人口が増える見込みがあり、活況を示している。ところが地方や東京郊外では若年層が減少し、彼等の行動が目立たなくなると街が一気に寂れる風景と見える。

 東京の近郊に住宅が増え、市場がドンドン出来ていたときがあった。市場に買いに来る商店も競争で仕入れていた。活況があった。しかしバ-コ-ドが導入され、熟練したレジの人が要らなくなり、納入業者も売り値段をつけて納品する必要がなくなり、広域的に価格低下競争が始まった。時に自宅で料理をする人が減りつつあり、商店から食品を購入する人が増えたこともあった。そんな時から40年もたてば市況も変わり時代の先行きが見え得意先に廃業勧告した。今月2軒ほど静かに廃業する。無理して維持してもコンプライアンスの関係で取り立て処理しなければならない。健康な状況で廃業するのが好ましい。

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誤字で

2014年09月02日 | 築地市場にて

 

過去の記事が検索して出てくるとアップしたとき気がつかなかった誤字が目に付く。関東取締役出役は誤りで正確には関東取締出役が正しい。誤字を放置しているのはコピペを発見するは簡単である。間違いを直し正しいと他の人の記事も正しいので自分のをコピペしたか解らないが一部に誤字があるとすぐに解る。

 久しぶりに広尾の図書館へ行き、土浦の内田佐左衛門のことを調べるが土浦市史の古い本があるだけで資料は見当たらず、結局干潟町史(今の旭市)を読む。

 花香恭法は天保2年頃、花香家に養子(養子以前は弘一郎)にいったようだ。東千葉の和算家であった花香伝衛門(安精)天保13年(1842)(59歳)まで生きていた。この養子は安精の長子が早世したためである。高橋敏さんの本によると弘一郎となっているので大原幽学の事件当時はまだ弘一郎かも知れない。やはり土浦に行って内田佐左衛門を調べる必要があるのだろう。ここで高野長英殺害時、内田弥太郎が処分されなかった理由が判明する気がする。そして当時の治安維持の様子がわかる気がする。

 大原幽学は当時の治安維持機構に何の行為が狙われて意図的に犯罪者に仕立てられたのだろうか。

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鶯谷の本

2014年09月01日 | 築地市場にて

 

東京最後の異界鶯谷 本橋信宏著

根岸、鶯谷の情報確認をしていたら、この本に当たった。中央区に予約を入れると22人待ちであった。結局忘れた頃、半年かかって本を読む。

 204頁

鶯亭金升 の話が出てくる。この本は鶯谷の風俗を書いてあるホンで漬物の資料としては場違いな資料だが、今は夜鷹が昼から鶯谷周辺では徘徊しているようだ。平日子規の家に行った時、昔(といっても明治期)八石教会があったところが今はラブホテルだった。昼前にも関わらず出入りがあった。子規庵の隣である。鶯谷周辺がなぜ風俗最強となっているかこの本でよく理解できる。

 池之端という場所は江戸時期風俗が激しく発展し、それに伴い関連産業が発展した。(寛永寺)聖なるものとその反対のもの(池之端)が同じ場所で発展するのが日本の風俗のようだ。

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