幕末まで遠隔地にて発生し流行した病気は日本まで来るまで時間がかかり、日本は比較的平穏だった。周囲の海が防御壁だった。江戸時代にイギリスがインドを統治下におくと、交易が東アジアに向かうと共に、エジプトの風土病だったコレラがインド、中国、日本にやってきた。安政の頃から全国的に伝染し、明治の頃は新聞報道で死者の数が報道されていた。自由民権運動家花香恭次郎はコレラで死んだ。5月頃からコレラが流行すると東京の衛生状況を監督する警察(当時は警察の管轄)市場を指導していたようだ。日本橋魚河岸がコレラのために休市したこともあった。
戦後ではビキニの被爆で築地が大変になったこともある。浜離宮の蚊が築地市場まで飛んでくる。大丈夫なのだろうか。