年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

誤字で

2014年09月02日 | 築地市場にて

 

過去の記事が検索して出てくるとアップしたとき気がつかなかった誤字が目に付く。関東取締役出役は誤りで正確には関東取締出役が正しい。誤字を放置しているのはコピペを発見するは簡単である。間違いを直し正しいと他の人の記事も正しいので自分のをコピペしたか解らないが一部に誤字があるとすぐに解る。

 久しぶりに広尾の図書館へ行き、土浦の内田佐左衛門のことを調べるが土浦市史の古い本があるだけで資料は見当たらず、結局干潟町史(今の旭市)を読む。

 花香恭法は天保2年頃、花香家に養子(養子以前は弘一郎)にいったようだ。東千葉の和算家であった花香伝衛門(安精)天保13年(1842)(59歳)まで生きていた。この養子は安精の長子が早世したためである。高橋敏さんの本によると弘一郎となっているので大原幽学の事件当時はまだ弘一郎かも知れない。やはり土浦に行って内田佐左衛門を調べる必要があるのだろう。ここで高野長英殺害時、内田弥太郎が処分されなかった理由が判明する気がする。そして当時の治安維持の様子がわかる気がする。

 大原幽学は当時の治安維持機構に何の行為が狙われて意図的に犯罪者に仕立てられたのだろうか。

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