年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

相知(おうち)高菜

2012年01月16日 | 趣味としての漬物
佐賀県唐津市相知町付近では昭和30~40年代に盛んに栽培されていたが次第に作付が減少し、近年では全く市場に出回らず幻の高菜となっていた。相知町楠という集落で細々と栽培されていた種子が平成19年に発見され、地域特産の漬物を復刻させるため佐賀県漬物工業協同組合・JAからつ・東松浦農業改良普及センターなどの協力を得、さらに佐賀県の特産品推進支援事業の補助金を受けて、試験栽培3年めの平成22年製品化にこぎつけた。
相知高菜は三池高菜(福岡県)等の品種に比べると形状がやや小型で、肉質も軟らかいため1反(10アール)当たりの収穫量が少なく、また漬物加工業者も歩どまり等の問題で敬遠し、次第に栽培されなくなっていた。
 3月から4月かけて漬けこまれた相知高菜は乳酸発酵して漬けあがる。繊維が柔らかくおいしい。新しい佐賀の特産漬物となる。
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五千万のマグロ効果

2012年01月15日 | 築地市場にて
15日の日曜日昼前、築地市場は休みで場外市場は飲食店のみ営業している。五千万円のマグロ効果で『すしざんまい』本店は一気に行列のできる店と変化した。例年この時期は正月疲れでヒマなのだが初セリ効果でソコソコ賑わっている。しかし中国人の団体はまだ闊歩しているという状態にはなっていない。これは円高の事もあるだろう。
 暮れに蛍光灯が不調となり、築地市場の内の電気工事を専門に行っている業者がやってきて部品を交換した。先日の火事で場内工事が遅れているようである。来週から電気点検のための停電中のパソコンの起動の仕方を練習する。一年たつとやり方を忘れる。
とても古くて危険な築地市場で後3年間死者の出ない事を祈る。でも結構労働災害が多く、労災の講習会にでると棚の上にある発砲スチロールをとる時、ハシゴが外れて人が落下しケガをする人が多いという。
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汐留にあった磯辺焼きの屋台

2012年01月14日 | 築地市場にて
正月なので餅を焼いてのりを巻いて食べるとふと昔のことを思い出した。
記憶の中の年代はわからないが、今の汐留シオサイトができる前、汐留には貨物の駅があった。新橋から築地市場に向かうには貨物駅の周りを迂回してゆくしかなかった。築地市場と三井造船にゆく人しか利用しない広い歩道には多い時は十台以上の磯辺焼き屋台が放置されていた。今の銀座で磯辺焼きや焼き芋の屋台はあるのだろうか。殆んど見かけないような気がする。
昔は焼き芋のブランドは川越であったが今は種子島の密いもが銀座に送られているようである。
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中国の春節で欠品予告

2012年01月13日 | 築地市場にて
21日から中国の春節帰郷が始まる。この2~3年、春節明けの中国製造の漬物欠品が目立つ。労働者の賃金改定問題でどちらかといえば労働条件の良くない漬物製造から楽な綺麗な仕事に転職するので余程高賃金を提示しないと元に戻らない傾向がある。漬物に関してあと少しで中国製造のメリットは無くなるだろう。為替が元高となり、円安となればデフレが終息するかもしれない。電気料金、消費税等で物価が急上昇する可能性が出てきた。
既に他産地に変更の動きが見られ、ベトナム等に行くしかない。
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花吹雪岩井半四郎一家

2012年01月12日 | 築地市場にて
花吹雪岩井半四郎一家
岩井友見著 平成3年
福神漬を調べてゆくうちに岩井家(本名では仁科家)の事が頭の片隅に残っていて、昨年末岩井半四郎さんの葬儀が築地本願寺であって、調べる気になって中央区の図書館でこの本を借り出した。
 鶯亭金升の妻が花柳寿太郎の姉だった。その縁から仁科家とは何かがあるだろうと見当をつけていたが今のところ何も見つかっていない。ただ神楽坂界隈の芸者さんにはある程度何かがあると想像される。
 明治の10年代後半に創製命名された福神漬は缶詰入りであったため高価となり普及には当時のファッションリーダーである芸者さんの口コミ宣伝が必要であった。花柳寿太郎さんが花柳徳太郎さんに弟子入りした経緯はこの本では書いてなかったが何らかの縁で芸の道に入ったと思われる。この辺の事情については岩井友見さんの文には詳しい記述が無かった。
 明治の中頃で舞踊の道に男が入るということは余程の周囲の引き立てが無いと困難な時代だった。岩井半四郎さんは寿太郎さんの長男である。

マイナーな漬物の由来話など資料はどこにあるか解らない。ところで岩井流と花柳流はどこが違うのだろうか。さっぱりわからない。
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どこかで火事があったようで

2012年01月11日 | 築地市場にて
築地市場で8日朝火事があった。ここ十年来の中では鎮火も早く、焼失面積も少なく大した火事ではないと集まった水産仲卸の人達は思っただろう。ところが8日昼ごろから東京都の市場内放送で電源復旧見込みが立たないのでドライアイス等を販売するという放送があった。詳しく事情を聴くと水産仲卸の店舗に供給する電源の配電盤が燃えてしまっているという。ど素人でも活魚はどうなるか。冷凍マグロは連休で解凍になってしまうとか考えられる。結局火事後36時間たって、9日午後5時5分頃電源が復旧したのだが既に真っ暗になっていたので心配だっただろう。
 翌日の10日は築地市場の火事の報道を知らない人にとっては普通の1月のヒマな築地市場と見えるだろうが電源復旧の工事に参加した人達のおかげでいつもの築地に戻っていたのでお礼を言わねばならないだろう。
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チンドン屋始末記

2012年01月10日 | 福神漬
チンドン屋始末記
-街頭のピエロたちにみる広告宣伝のパフォーマンス-
堀江誠二著
今から数年ほど前、朝築地に出勤するため電車に乗るのだが同じ電車に早朝から厚化粧した街頭宣伝員(昔風に言うとチンドン屋)の人がいた。
チンドン屋始末記は意外と面白い本で明治日本の広告事情と西洋を知った人(磯野計=明治屋創業者)が日本という国に帰ってどの様に西洋庶民の生活を,新しい知識を広めるか工夫したようすが解る。政府の上からの文明開化を鹿鳴館とか様々な手段を使って欧風化していたが一方では庶民の生活の中に西洋の便利なものを広めようとする商人の営業活動が見える。日本で街頭での広告活動の始まりは大阪で東京では広目屋という名前でチンドン屋営業活動をしていた。
明治のはじめの東京で広告活動の主流は引札配布(今のチラシ広告)であった。東京で引札の広告文を作っていたのが戯作者で相談したところ池之端守田宝丹を紹介されたという。守田は引札広告の広告が新発売の薬に効果が説明できないことを感じていて、大阪から来た街頭でパフォーマンスして人目を引き商品を宣伝することを利用することとなったという。
福神漬創製者酒悦は池之端で商売をしていて守田の宣伝活動を模倣したと思われる。
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築地市場の火事による電源喪失

2012年01月09日 | 築地市場にて
1月8日朝築地市場で火事があった。いつものことでびっくりしないが火事は火事。多くの水産関係者が火事現場に集まっていた。間もなく鎮火したのだが火事の規模がいつもより小さくほっとしていた。ところが昼頃から東京都による場内放送で電源復旧のめどが立たないという。今日の11時半現在電源は復旧していない。水産卸売場と青果部・附属商の電源は確保されている。つまり水産仲卸の要のところにある配電盤が燃えた。今日の夕方までに復旧しないと明日は仕事にならないだろう。冷凍したマグロは電動の機械で切断することで販売できる。
青果部でも一昨年12月、大雨によって排水出来ない水が配電盤に降りかかり青果仲卸部が午前中停電となった。雨漏りはいつものことで驚かないが電源喪失はこたえる。
 蓋架け駐車場にはNTT東日本も来ていたので電話回線も燃えたかもしれない。
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築地市場の火事の続報

2012年01月08日 | 築地市場にて
築地市場の火事で東京都の場内放送では水産仲卸の店舗の電源が遮断されていて、復旧の見込みが立たないという。
冷蔵庫の中のマグロはどうなるのだろうか。
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セリ場の火事で

2012年01月08日 | 築地市場にて
築地の上空でヘリがやたらとうるさい。外から電話連絡で築地市場が火事だという。どうりで電圧が下がりパソコンが不調となり再起動する。業務のパソコンはUPSを付けているので問題はない。
 水産仲卸の一番勝鬨橋寄りが規制されている。心配そうに築地市場の関係者が見守っている。
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あの日は土曜日だった

2012年01月07日 | 築地市場にて
今は成人の日が移転してきて今日から3連休となる人もあるだろう。築地市場の昭和の終わりの日が土曜日だった。(昭和64年1月7日)この日早朝からテレビのアナウンサーが喪服に近い服装で放送していた記憶がある。築地に出勤すると亡くなったことが知らされ会社の新年会か急遽中止となった。ドタキャンだが違約料なしで済んだ記憶がある。後にキャンセルの埋め合わせとして4月に新年度宴会を行った。
 あれから24年経った。今でもあの日までよく医者が持たせたことに感謝する。もし暮れに逝去して昭和が終わっていたら日本中が喪中となり年賀状等の問題から正月食材のキャンセル処理問題など震災並みの問題が生じていただろう。昭和63年秋から一晩中テレビ放送があって関係者は時間の問題と知っていて国民に心の準備をさせていたと思う。
平成24年、間もなく築地市場の移転工事が始まり、消える。そろそろ回顧の時期になってきたのだろうか。築地市場内にあった貨物駅は昭和59年まであったが今から思うと市場という施設が活気のあった時期の最後だったかもしれない。
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初物のパフォーマンス

2012年01月06日 | 築地市場にて
消費税が10%になると5日のマグロの税額は565万円となる。通常のマグロ価格以上かもしれない。築地市場協会の人の年始挨拶を聞いているとどうやら豊洲に移転する築地市場の名前が「豊洲市場」となる雰囲気である。以前予想されていた新築地市場という命名は消えたようである。
 喜代村のパフォーマンスに見られるように築地市場の新興勢力が古い築地の仲卸の度肝を抜く高価格を付けた。都内で消えつつある魚屋・八百屋から飲食店チェーンの力で築地の価格が決まる時代になったということである。来年は回転すし業界の人達が参加するかもしれない。低価格から徐々に食品インフレに向かって来ていて今月の終りにある春節以後中国の人件費高騰で安い加工食品が日本に入らなくなりつつある。中国漁船が韓国漁場に乱入しているのは中国魚場の魚資源が枯渇している事を示していて、いずれ日本にやって来るだろう。
5日夕刊の築地のマグロ価格報道で朝日新聞のみが完全に無視している。何か初物騒動に見解があるのだろうか。もし今年の喜代村が好調な結果となれば来年は規模の大きい回転寿司チェーンが築地の初セリに参加することが予想される。江戸時代の初物騒動の再来である。
 いかさまを伝えられている口コミネットより築地のセリ報道が効果があると知ったら恐ろしい初セリ価格となる。東京市場へ一極集中となる。
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年始の挨拶 五千万円

2012年01月05日 | 築地市場にて
紙袋に年賀タオルを入れて、年始の挨拶に多数来る日。昔と言ってもホンの数年前までお神酒を飲ましていたが近年の飲酒運転の罰則が強化され電車で来客した人しか酒を出さない。ところが築地の銀行ではいきなり酒が出てきてびっくりする。これも新年の風景かもしれない。
初セリのニュースが全国的に放映される日で昨年は香港とマカオの人達で競ったため、3000万円の値がついたが国内で昨年の記録を超える業者が無いとみたが喜代村さんが5000万円以上の値段を付けた。どうやら木村社長のパフォーマンスが好調のようである。昨年羽田へパリから貨物便が就航した時1番機に載った貨物のマグロは築地市場に降りることなく喜代村店舗(すしざんまい)に直行した。ニュースとなった。これで味をしめたのであろう。安い宣伝費である。
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築地市場始動へ

2012年01月04日 | 築地市場にて
いつもの休市なら午後の入荷となるのだが昼前より初セリのための入荷が多い。世間では売れ行きが良さそうだが実際はどうなんでしょうか。
 豊洲新市場の空調が水冷になるのでどこか適当なところを見学させてもらい検討する事となった。エアコン掃除の業者からあるところで水冷による空調システムを導入したが今は使われていないという。どの様な欠陥があったのだろうか新年早々調査を依頼する。豊洲新市場の中では飲食店以外はガスの使用が禁止となるので、節電の今オール電化となるようで困ったものである。事務所の暖房はもちろん給湯も電気となるようである。タ―レ、フォークリフトも市場内売場を走行するには電気でないといけないので容量計算を今月中に提出する事となっている。
 環境面で遅れていた築地市場が豊洲へ行くとかなり変化する気がする。何か病院の中の市場のような気がする。
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銀座福屋書店が消えて

2012年01月03日 | 築地市場にて
銀座福屋書店が消えて
過日銀座9で会合があった。会合に少し時間が余ったので8丁目の福屋書店を探したら、消えていた。ネットで事情を調べると既に2年ほど前に消えていた。
 銀座の人の流れの変化と駅周辺にできた大型書店とネット販売によって銀座では書店が成立しないと思われる。デジタル化の波は音楽映像業界に中間の流通業者を排除することを加速している。
 アメリカでは新聞がデジタル配信となって地方新聞がどんどん消えている。日本は宅配があるからまだ残ってゆけそうだが地域のチラシ広告の量が減ればあっという間に新聞販売店が消えるだろう。
 福屋書店があった所は明治9年から10年頃、服部誠一(撫松)経営の公益問答新聞社があった所に近い。短い時間だったが公益問答新聞記者だった花香恭次郎は銀座でどんな記事を書いていたのだろうか。
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