年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

チンドン屋始末記

2012年01月10日 | 福神漬
チンドン屋始末記
-街頭のピエロたちにみる広告宣伝のパフォーマンス-
堀江誠二著
今から数年ほど前、朝築地に出勤するため電車に乗るのだが同じ電車に早朝から厚化粧した街頭宣伝員(昔風に言うとチンドン屋)の人がいた。
チンドン屋始末記は意外と面白い本で明治日本の広告事情と西洋を知った人(磯野計=明治屋創業者)が日本という国に帰ってどの様に西洋庶民の生活を,新しい知識を広めるか工夫したようすが解る。政府の上からの文明開化を鹿鳴館とか様々な手段を使って欧風化していたが一方では庶民の生活の中に西洋の便利なものを広めようとする商人の営業活動が見える。日本で街頭での広告活動の始まりは大阪で東京では広目屋という名前でチンドン屋営業活動をしていた。
明治のはじめの東京で広告活動の主流は引札配布(今のチラシ広告)であった。東京で引札の広告文を作っていたのが戯作者で相談したところ池之端守田宝丹を紹介されたという。守田は引札広告の広告が新発売の薬に効果が説明できないことを感じていて、大阪から来た街頭でパフォーマンスして人目を引き商品を宣伝することを利用することとなったという。
福神漬創製者酒悦は池之端で商売をしていて守田の宣伝活動を模倣したと思われる。
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