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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

記憶の老化・3月10日を忘れた

2025年03月15日 | 宅老のグチ
前日に渋井清のことを書いたが、なぜ誰も知らない渋井のことを調べる事になったかを書いておく必要がある。それは関東大震災と1945年3月10日土曜日の未明の東京下町の大空襲である。
 戦前の3月10日は陸軍記念日で戦時中でも大企業は休日だった。時計の精工舎江戸川工場の従業員が行方不明になった人は東京の精工舎本社工場の人よりはるかに多い。なんでこのことを調べることになったかと言うと、特攻で戦死した叔父の遺品等が無いため、その理由を知らべることになった。春日部市の郷土資料館で南桜井戦後史と言う本を出してもらい、1時間ほど出かけている学芸員を本を読みながら待っていた。町村合併で春日部市と庄和町が統合したのだが、春日部市の財政状況が厳しく、庄和町の人の評判が悪かった。なぜ小さな庄和町が財政が春日部市より豊かだった。その理由は今の東武野田線(ア―バンパ-クライン)の南桜井駅前に東証の上場会社リズム時計の本社工場があって、庄和町が潤っていた。辺鄙な村に上場会社があると財政は豊かとなる。そのリズム時計の前身は戦前の時計の精工舎が軍の意向で東京の下町錦糸町から、工場の分散ということで開戦後に移転し、本格的に稼働したのが昭和20年頃であって、そこの従業員は地元採用と精工舎本社工場から疎開を兼ねて、庄和町の精工舎江戸川工場の宿舎へ転居していた人がいた。金曜日の業務終了後に、南桜井駅から東武線春日部駅で乗り換え、浅草方面に向かい、曳舟あたりで亀戸線で下町の家族のいる所に向かった様子がある。
 この記録は越谷市立図書館郷土資料で疎開地からの報告1 と昔庄和町に軍需工場があった と言う本に書かれている。著者は埼玉県立庄和高校地理歴史部でこの庄和高校に春日部市庄和図書館が隣接しているのに、郷土資料として蔵書していない。なぜだろうと思っていたら、庄和高校の部活動を監督していた教師と春日部市教育委員会との対立があって、市としての図書館の購入本として、何も検索では出てこず、出て来るのは郷土資料館の編集本である、春日部市史近現代庄和町編で参考文献として出て来る。
 時計の精工舎の社史は今のところ公式な本はないが会社の支援で創業者服部金太郎の伝記がある。その伝記で関東大震災の逸話がある。どうもそれと同じ準備が精工舎江戸川工場であって、敗戦後に江戸川工場を閉鎖し、使える機械等を船便で東京に持って行ったようである。しかし東京も敗戦後に住む家も無く食料の豊富な南桜井付近から動けず、キリスト教の香川豊彦の提唱する農村で精密工業を起こす案に従い農村時計と言う会社が設立された。スイスの農村と時計工業をモデルとした。しかし数年で破綻し、リズム時計となった。そのリズム時計の跡地がス-パ-となっている。
 東京の下町と江戸川水運で春日部は結ばれている。その下町の叔父の縁者を調べていて、震災後に渋井清という人物が三野村合名会社が厩橋付近の土地の所有者として出て来る。三野村は三井の明治維新後の重要人物で、小栗上野介の引き立てで名をあげた人でもある。

 3月は年度末で何かと行事が多い。時計のブランドは逸話によって維持されている。セイコ-の社史が無いのは残念である。
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