渋井清と言う人物が気になって、文献の調査で大方のことは判って来た。明治の23年ころ、今の神田川添いに江戸時代に籾倉の跡地と言うのがあって、軍から払い下げを受けた。向柳原1-1と言う住所だった。明治9年の地図だと陸軍用地だった。この土地を渋井清の曽祖父・近江屋鉄五郎が購入した。質屋業を営んでいたという。そこから地主となって、今の感覚では不動産業と営んでいて、付近の土地を購入していた様子が見える。関東大震災の年に慶応大学の美術史学科を卒業し、浮世絵版画のコレクタ-をしている様子が見える。
都内の図書館で渋井清と入力し、出て来る本が数冊ある。そこで目立つのは清長・歌麿・写楽を集めていたようです。裕福な家庭でさらに早くから相続したため、遊里の世界に出入りしていて、学者と言うより浮世絵のコレクタ-と見ていて、今NHKの大河ドラマの蔦屋重三郎が育てた人物の文献には鳥居派のことは出てこない。なぜだろうと調べると鳥居の浮世絵は蔦屋の地本屋が江戸での力のある本屋で、鳥居の地本屋は力のない本屋で今でも鳥居の浮世絵はあまり知られていない。そのことから渋井清の名前を文献に出している本がまだ見つからない。渋井清は関東大震災後に転居し、駿河台袋町に住み、そこで戦災に遭い、戦後には目黒区上目黒に住んでいて、彼の著者の後書きから1964年の東京オリンピックまでは生きている。
向柳原は今の千代田区の岩本町あたりで、さらにネット情報だと籾倉は台東区浅草橋付近も出て来る。そこで千代田区の郷土資料館と検索すると、日比谷公園内にある日比谷図書館文化館が出て来る。これはどんな施設なのだろうか。日比谷図書館へは数回訪問しているが郷土資料館らしき施設は気がつかなかった。日比谷図書館へ入って、トイレを利用するため一階にいた人に尋ねると奥の方だと知らされ、行くと途中に郷土資料らしい展示室があって、トイレ後にのぞいた。当たり前だが千代田区を郷土とする人がいる。多くは旧神田区の人だろう。
そうなると学問と本屋の世界となり、絵草紙屋の店があった。戦後の駄菓子屋の風景を思い出す。
図書館の二階の司書さんに明治期の向柳原の地図を出してもらったが、見ると中身の消えた本だった。仕方なく千代田区の郷土の本を探す。そこには江戸城関連、皇居、靖国神社の本が目立つ。そこに本多静六の本が何冊か開架の所にあった。本多は日比谷公園の設計者で知られている。移植の問題で対立した銀杏の木は今日比谷公園のどこにあるのだろうか。
帝国ホテルと帝国劇場は今再開発の工事。また数年で風景が変わる。
都内の図書館で渋井清と入力し、出て来る本が数冊ある。そこで目立つのは清長・歌麿・写楽を集めていたようです。裕福な家庭でさらに早くから相続したため、遊里の世界に出入りしていて、学者と言うより浮世絵のコレクタ-と見ていて、今NHKの大河ドラマの蔦屋重三郎が育てた人物の文献には鳥居派のことは出てこない。なぜだろうと調べると鳥居の浮世絵は蔦屋の地本屋が江戸での力のある本屋で、鳥居の地本屋は力のない本屋で今でも鳥居の浮世絵はあまり知られていない。そのことから渋井清の名前を文献に出している本がまだ見つからない。渋井清は関東大震災後に転居し、駿河台袋町に住み、そこで戦災に遭い、戦後には目黒区上目黒に住んでいて、彼の著者の後書きから1964年の東京オリンピックまでは生きている。
向柳原は今の千代田区の岩本町あたりで、さらにネット情報だと籾倉は台東区浅草橋付近も出て来る。そこで千代田区の郷土資料館と検索すると、日比谷公園内にある日比谷図書館文化館が出て来る。これはどんな施設なのだろうか。日比谷図書館へは数回訪問しているが郷土資料館らしき施設は気がつかなかった。日比谷図書館へ入って、トイレを利用するため一階にいた人に尋ねると奥の方だと知らされ、行くと途中に郷土資料らしい展示室があって、トイレ後にのぞいた。当たり前だが千代田区を郷土とする人がいる。多くは旧神田区の人だろう。
そうなると学問と本屋の世界となり、絵草紙屋の店があった。戦後の駄菓子屋の風景を思い出す。
図書館の二階の司書さんに明治期の向柳原の地図を出してもらったが、見ると中身の消えた本だった。仕方なく千代田区の郷土の本を探す。そこには江戸城関連、皇居、靖国神社の本が目立つ。そこに本多静六の本が何冊か開架の所にあった。本多は日比谷公園の設計者で知られている。移植の問題で対立した銀杏の木は今日比谷公園のどこにあるのだろうか。
帝国ホテルと帝国劇場は今再開発の工事。また数年で風景が変わる。