年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

墨田区立ひきふね図書館へ

2020年07月08日 | 宅老のグチ
またまた外出。コロナ感染が増えている状況で死の恐れも予想しつつ、外出決断。先の不明な高齢者は明日は骨となる。一休さんの描いた美人の影が骨の姿をしている絵を見たことがある。どんな美人でも一皮削げば骨であくまでも表面は仮面である。骨になり石となる。
 さて墨田区立ひきふね図書館は京成線ひきふね駅に近いが都営浅草線押上駅から歩いて10分の距離にあるので歩数のためで押上駅から歩く。いつも出るときは良いのだが戻るときは戸惑う。図書館の入り口で検温チェックされる。マスク着用確認。
 入口のカウンタ-でリファレンスサ-ビスの確認で郷土資料の利用ということで氏名を記入。表向きはクラスタ-管理。さて目的の資料は江戸東京博物館1999年3月に刊行されている明治初期の物産調査で上木下川村 と押上町81番地の位置関係を知りたかった。出された昭和初期の火災保険料算定のための地図には81番地は無かったが、今の地図に位置関係から京成押上駅付近の電車工場付近と思われる。さらに北十間川が地図上にはあった。大正期には鉄道と水運も押上駅付近にはあったと思われる。この件は東武鉄道の社史を調べればわかるだろう。業平橋駅に東武鉄道の貨物駅があって江戸川と隅田川の水運の便が良いところであった。これから野田付近の人脈が繋がる。
 大正年間の押上町の区域は狭く、京成電車の駅名が無ければ地名として残ることは無かったと思われる。今の押上は区域も広く震災・戦災で消えた墨田区の消えない地域との境にある。図書館の所在地は京島で周囲は昭和20年3月10日の空襲に遭わず、小さい建物の密集地域であり、徐々に整備されている。
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