船橋市中央図書館郷土資料のところで千葉銀行10年史という本を読んだ。前に千葉銀行の社史を読んで銚子にあった花香恭法が頭取だった第百四十二銀行が詳しく書いてあった。千葉県にある銀行統合の歴史の変遷を見た。これは千葉銀行がいくつかの千葉県内の銀行を戦争前の統合の歴史であったので記述する必要性があったと思われる。
さて10年史だが初代の千葉銀行頭取古荘 四郎彦の自伝ともなっていて目次を見ていると、岩下清周とか帝国商業銀行とかの名前が出てきた。古荘 は10年史の刊行後まもなく失脚する。千葉銀行レインボー事件 といわれ昭和33年に検察の手入れがあった。この件で千葉銀行は信用を失い、最近まで日銀から頭取を迎える結果となったという。
古荘 四郎彦の銀行マンとして尊敬していた岩下清周の銀行運営方法を模倣したと思われる。今から思うと戦後の混乱が落ち着き始めたとき千葉県の融資の伸び悩みから岩下清周から阪急の小林一三の路線を真似したようだ。