年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ヒストリアの中島三郎助

2011年07月07日 | 築地市場にて
福神漬の歴史に出てくる中島三郎助の謎が一つ解決した。天保の改革で西浦賀問屋が衰退し、中島三郎助が塩の中継地として浦賀に水戸藩の権利を回すように努力した。水戸藩は中島の造船知識を必要であったという。勝海舟との軋轢も納得がいった。その様な中島に行徳の漬物商人が北海道まで行って戦死したのだろうか。この点はまだ解決していない。
 幕府海軍は築地市場内で発足した。そして今でも海軍の痕跡が築地市場周辺に残っている。築地ガンセンターは海軍病院跡だし、国土交通省の施設が朝日新聞の隣にあって海図等を作成している。7月7日は波除神社で星祭りがあるが神社から銀座へ向かう通りは昭和通りからみゆき通りとなっていて昔明治天皇が築地の海軍を視察する時通った道から命名されたという。
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