年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

鶯亭金升日記から

2011年07月30日 | 福神漬
明治42年7月1日より
横浜開港50周年祭
戸田伊豆守氏栄は余のためには祖父、亡父昌言は氏栄3男にて桂三郎は長井家に養子となり筑前守と称す。4男銕弥(てつや?)は亡父に養われて、余が縁深き、千葉県香取郡万歳村の農、花香伝右衛門の養子となり、花香恭次郎と呼ばれしが、成長の後、政界に身を投じ、河野広中と共に、福島事件を以って、名を世に知られる。

この日の日記からやはり花香家が花香恭次郎の行く末を親族と相談した親族とは長井桂三郎昌言だったのではないのだろうか。「長英逃亡」を書いた故 吉村昭 氏がこの日記を読んで書いたら小説はどの様に変わっただろうか。内田弥太郎は嘉永3年の時浦賀奉行であった戸田伊豆守と西丸留守居役筒井伊賀守によって、保護されたと思う。戸田の3男が長井家に養子に行ったのは筒井政憲の斡旋であった。長井家の領地が今の船橋にあり、花香家の千葉万歳とは比較的近い。高野長英が一時逃亡先として行った花香家は内田弥太郎の弟子であったからだと思う。
コメント
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