年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

藤岡屋日記から

2011年06月17日 | 趣味としての漬物
嘉永3年(1849年)
神田にあった漬物屋で事件があった。この年の8月終り頃、上州今の群馬県で捕まった国定忠治が江戸に護送され年末に処刑された。さらに逃亡生活を送っていた高野長英が10月末に江戸市中で捕り方によって撲殺された頃である。
 神田にあった漬物商に使われていない樽があった。そこに使用人が掃除をしようとしたら、樽にかけた梯子から樽の内部に落ちた。使用人を救助しようとして主人とその息子2人。もう一人の使用人、さらに近所の大工等が樽の中に入ったが次々と樽の中に落ちた。樽の中に落ちた6名の内、生き残ったのは主人だけだった。樽の中は酸素欠乏だったと思われる。
この後近所の婦女子は幽霊の仕業と考え、漬物屋の前を通行することを避けたという。
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