年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

下谷万年町

2010年04月06日 | 福神漬
下谷万年町
今の台東区北上野一丁目から東上野四丁目あたり。JR上野駅から線路沿いに北へ向かった地域に当たる。戦前、下谷万年町と言えば東京でも代表的な貧民窟で三遊亭円朝の死期がせまっていた頃住んでいた家があった。円朝の弟子は、師匠をだまし、無理やり転居させたという。この下谷万年町の家は以前キリスト教下谷教会の講義所だったとあった。下谷教会史より
 今の日本基督教団下谷教会は台東区東上野3丁目で下谷車坂町に当たる。最後の剣豪といわれた、車坂町は榊原健吉が明治になって剣道場を作った町でもあり、福神漬関連では根岸党の幸堂得知が生まれ、鶯亭金升の仲人をした小林清親も一時住んでいた。フーテンの寅さんで知られている渥美清は車坂町で生まれた。
福神漬に入っている(ナタ豆)について民俗学的に記述している山中共古はその『共古随筆』に書いた資料は下谷教会で牧師をしていた時、集めたのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする