年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

宮城集治監

2010年04月04日 | 福神漬
宮城集治監
今の宮城刑務所の前身。集治監とは国が管理する政治犯・国事犯などの長期の重刑者を収容するための監獄施設である。
明治16年9月東京高等法院で福島事件の判決が出た。河野広中ら6被告人は最初の数ヶ月東京の石川島監獄署に留置されたが翌年、宮城集治監に移動した。その宮城集治監に大久保利通を暗殺した時、斬奸状を起草した石川県人陸義猶『陸九皐(くが‐きゅうこう)』も刑に服していた。終身刑だった陸義猶は明治22年の憲法発布に伴う恩赦で出獄後、東京根岸にあった前田侯の敷地内にすみ、前田家の歴史の編纂をしたという。この前田侯の敷地内に陸羯南の建物があった。つまり正岡子規の隣とも言うべきところに「陸」という姓の人が2人住んでいた。
 鶯亭金升の叔父にあたる花香恭次郎も明治17年から明治22年2月の憲法発布の恩赦まで宮城集治監に収容されていた。この監獄の記録を読んでいると囚人同士の交流があって、福島事件の被告と陸義猶は刑務所内で知り合っていたのだろうか。
 根岸に縁のある人達かもしれない。

コメント (1)
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