山形の森 保守醒論

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マッカーサー道路(新虎通り)開通で、青春の記憶が甦る。

2014-04-04 21:09:34 | Weblog

   雑居ビルはいまはコイン駐車場、右手100mほどに「マッカーサー道路(新虎通り)」 

去る3.29、終戦直後の1946年に都市計画決定された「マッカーサー道路(新虎通り)」が、68年かかってこのほど開通した。
30有余年前になる、わずか一年足らずの期間であるが、「マッカーサー道路」から100mほどの近くに住んでいたことがある。
6月11日に開業予定の「虎ノ門ヒルズ」にも150mほどの距離か。
それ以前には六本木よりに居たのだが、森ビルが再開発で買収にかかり、余儀なくされて虎ノ門2に転居したのだった。
以前の雑居ビルは現在のアークヒルズになっている。
六本木通りを挟んだ向い側に銭湯があり、地下道を潜って通ったものである。
この頃に友人Nと、生まれて初めての海外旅行(ハワイ)にいった。
先月でラストフライトになったジャンボ機B-747だったかは覚えていない。
一週間で16万円ほどだったと記憶する。ハワイでの滞在はシェラトンワイキキの27Fだった。
ちょうどこの旅行期間中に、二つの大きな事件が起きていた。
(1974.10)巨人軍長島茂雄の引退、過激派による三井物産館爆破事件である。
ファンとして長島引退の新聞記事を目にしたら、自然と涙があふれてきた。
三井物産館爆破事件についても大きな衝撃であるが、夜になると三井物産館(当時の物産本社)の裏通りに屋台のラーメン屋が開かれていた。 事件後に屋台の火は消えた。
ラーメン通には背脂豚骨醤油でよく知られている老舗「ホープ軒」がそれである。
深夜になるとタクシーのドライバーが列をなして並んでいた。 一杯200円位だったと思う。
この事件を機に、翌年「ホープ軒」は千駄ヶ谷(国立競技場前)に移って新店舗を開いたものである。
ホテルオークラに短時間仕上げのクリーニング店があった。 宿泊者用には当然であろうが。
Tシャツ、短パン、サンダルの恰好で、霊南坂教会の横を通り、オークラの本館正面から入って別館地下のクリーニング店に何度も通った。
若気の至りか、臆せず堂々として行ったので一度も制止されることはなかった。
よく通った焼き鳥屋の「八ちゃん」は、先に六本木よりに移転開業していた。
昨年、上京の折、「マッカーサー道路」「虎ノ門ヒルズ」周辺の工事状況を観察しながら、記憶を頼りに辿ってみた。
ビルが立ち並んだ狭間に、昔住んだ雑居ビルはいまはなく、コイン駐車場と化していた。
マッカーサー道路(新虎通り)開通で、青春の記憶が甦る。

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