(6.19予定の)自民党山形県連大会まで一ヶ月余りあるのだが、加藤紘一現会長の再任に国会議員間で合意と報道されている。
自民党の政権転落に見るように党勢退潮は全国的傾向であるのだが、保守王国(北陸3県と山形)のひとつとされた山形県連の国政選、県知事選における一部分裂による混乱敗因は、国政全区議席、県議会絶対多数を取っていながら、(2004年以降で)県民世論を踏まえて堂々と見える形での候補者選考を行わなかった、(県会・国会)議員個々の思惑迷走に起因している。
そのつど中心に位置してきたのが加藤である。
再任報道から推測できることは、遠藤利・岸の両議員は加藤を前に(吉村当選の)知事選での経緯もあり、互いに自薦できる状況ではないので、加藤の方から「遠藤君、しっかり支えるから頼むよ」と言えば済むことなのだが、それがでてこないから再任論などとなる(遠藤にも、秋の山形市長選での明確な戦略構図がないのだが・・)。
ここに「思慮に欠ける」、政界ピエロ・加藤紘一の器量の底が見えてくる。
対面相手や県連周辺の深読みができない(的確に助言・諫言する側近もいない)。
2000.11の、野党提出の森内閣不信任決議案に同調しようとした、いわゆる「加藤の乱」も、緻密な戦略無き自己思いが先行する勃起行動(もう、どうにも止まらない~!リンダ症候群)だけで頓挫した。
加藤は決起にあたり、(前会長の)宮沢喜一宅を訪れ行動計画を話している。
が、それは(宮沢にして見れば「報告を受けた」だけであって)了承(協力する)ではなかったのである。
1999.9の自民党総裁選挙、再選を果たした小渕恵三は、対抗出馬した加藤を人事で干した。
「あんたは、オレ(小渕)を追い落とそうとしたじゃないか」、次回狙いが(本音とした)加藤は「えッ、総裁選を、そう思ってらっしゃったんですか・・・」と温厚人物とされる小渕をも読めなかったのである。
超党派部会などと、社民党の(福島瑞穂・阿部知子)辻元清美などと連ねる議連や訪問団があるが、侮られて誘い合う腰軽な同衾者でしかない。
メディアなども党内反対論などを期待してマイク取材対象にするのも政界ピエロの所以であるのだが、それに気付かずにピエロが主役を張れると思い込んでるから始末に悪い。
自民県連復権の人事こそが、加藤自身の「思慮の度合い」に掛っていることをこれから気付くだろうか。
法眼晋作元外務次官の長男法眼俊作とは、東大同窓(日比谷同級)で共に外交官を目指した盟友、俊作は「オレは(日本外交の)ソ連をやるから、お前(加藤紘一)は中国をやれ」と誓い合った仲であった。
が、法眼俊作はドイツ(研修)勤務時に不慮の死を遂げる(?トラップによる自殺説)。
加藤はチャイナスクールの外交官から国会議員、現在も日中友好協会会長にある。
情報当局筋から、「加藤さんはどうしてあんなに中国に入れ込み過ぎるんでしょうね。」と聞かれたときに、「入省直後の(1964.8)台北大学に語学研修に行った時、北京虫に脇を刺されたみたいだね」と返した。
(自裁した)法眼俊作と加藤紘一に現代日本人の両極を見る思いがする。
自民党の政権転落に見るように党勢退潮は全国的傾向であるのだが、保守王国(北陸3県と山形)のひとつとされた山形県連の国政選、県知事選における一部分裂による混乱敗因は、国政全区議席、県議会絶対多数を取っていながら、(2004年以降で)県民世論を踏まえて堂々と見える形での候補者選考を行わなかった、(県会・国会)議員個々の思惑迷走に起因している。
そのつど中心に位置してきたのが加藤である。
再任報道から推測できることは、遠藤利・岸の両議員は加藤を前に(吉村当選の)知事選での経緯もあり、互いに自薦できる状況ではないので、加藤の方から「遠藤君、しっかり支えるから頼むよ」と言えば済むことなのだが、それがでてこないから再任論などとなる(遠藤にも、秋の山形市長選での明確な戦略構図がないのだが・・)。
ここに「思慮に欠ける」、政界ピエロ・加藤紘一の器量の底が見えてくる。
対面相手や県連周辺の深読みができない(的確に助言・諫言する側近もいない)。
2000.11の、野党提出の森内閣不信任決議案に同調しようとした、いわゆる「加藤の乱」も、緻密な戦略無き自己思いが先行する勃起行動(もう、どうにも止まらない~!リンダ症候群)だけで頓挫した。
加藤は決起にあたり、(前会長の)宮沢喜一宅を訪れ行動計画を話している。
が、それは(宮沢にして見れば「報告を受けた」だけであって)了承(協力する)ではなかったのである。
1999.9の自民党総裁選挙、再選を果たした小渕恵三は、対抗出馬した加藤を人事で干した。
「あんたは、オレ(小渕)を追い落とそうとしたじゃないか」、次回狙いが(本音とした)加藤は「えッ、総裁選を、そう思ってらっしゃったんですか・・・」と温厚人物とされる小渕をも読めなかったのである。
超党派部会などと、社民党の(福島瑞穂・阿部知子)辻元清美などと連ねる議連や訪問団があるが、侮られて誘い合う腰軽な同衾者でしかない。
メディアなども党内反対論などを期待してマイク取材対象にするのも政界ピエロの所以であるのだが、それに気付かずにピエロが主役を張れると思い込んでるから始末に悪い。
自民県連復権の人事こそが、加藤自身の「思慮の度合い」に掛っていることをこれから気付くだろうか。
法眼晋作元外務次官の長男法眼俊作とは、東大同窓(日比谷同級)で共に外交官を目指した盟友、俊作は「オレは(日本外交の)ソ連をやるから、お前(加藤紘一)は中国をやれ」と誓い合った仲であった。
が、法眼俊作はドイツ(研修)勤務時に不慮の死を遂げる(?トラップによる自殺説)。
加藤はチャイナスクールの外交官から国会議員、現在も日中友好協会会長にある。
情報当局筋から、「加藤さんはどうしてあんなに中国に入れ込み過ぎるんでしょうね。」と聞かれたときに、「入省直後の(1964.8)台北大学に語学研修に行った時、北京虫に脇を刺されたみたいだね」と返した。
(自裁した)法眼俊作と加藤紘一に現代日本人の両極を見る思いがする。