山形の森 保守醒論

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中曽根康弘大勲位が、生あるうちに解決すべき、対中「靖国神社参拝断念」の撤回

2011-05-08 19:09:10 | Weblog
毎年訪れる憲法記念日(5.3)に寄せるマスメディアの各種談話として、中曽根康弘大勲位のライフワークのひとつである憲法改正論が、どこかのメディアで必ずや掲載される。
本年も産経新聞のインタビューとして載り、東日本大震災における菅民主党政権の危急存亡事態に、俊敏に対処できない統治能力不足と(法制度論)相まって、早期の改正論を強く述べている。
中曽根大勲位の憲法改正論については、ブログ子に特段異論を挟む点もなく中曽根個人に帰する事案でもないので、ここで記述することは控える。
失礼ながら大勲位は齢92歳を迎えているようであるが、中曽根個人が惹起した負の問題として、1985~6、中国(当時・胡耀邦総書記)の外交筋要求に譲歩した「日本国首相の靖国神社参拝断念問題」がある。
国内腐敗勢力(社共及び容共親中派)との連携もあるが、中国共産党内の権力闘争(胡耀邦民主派と守旧体制派)に巻き込まれ、(中曽根自身が著書に記しているが)胡耀邦総書記の政治的立場に配慮した結果として、自らの「靖国神社参拝断念」を決断した経緯がある。
権力闘争の結果、胡耀邦は総書記の座を追われ、(胡耀邦に引き立てられ今日ある)胡錦涛・温家宝体制になった今でも、胡耀邦(と趙紫陽)の名誉回復には至らず、2007.6の中曽根訪中時での故胡耀邦元総書記の墓参希望(江西省共青城)さえも許可されない中国共産党支配の異常な自由制限現状にある。
この中曽根政治判断が、小泉純一郎首相のような(?独立自尊の)勇気ある為政者を除いて中国側の対日外交カードとして残り、(国家)国民主権に愚かな金縛り状況をもたらしている。
多くの首相経験者は論評するにあらずであるが、大勲位の犯した「靖国神社参拝断念」が外交カードとされていることは大きな負の問題(世情解釈)として現在も継続中である。
中曽根大勲位が、生あるうちに解決すべき問題として、自身の結果責任の発言行動として「靖国神社参拝断念」の明確な撤回を求めたい。
併せて読売グループの老害「渡辺恒雄」に引退を諭すのも、大勲位ならではの国民に向けた最後の御奉公ではないのか。
NHKでもドラマ化された「大地の子」を執筆した山崎豊子は、取材訪中時(1984~87)に胡耀邦総書記と3度の会見を果たしている。
1986年秋の3度目の会見のとき、胡は「今後は、おそらくお会いする機会はないでしょう。来年、山崎さんが訪中した時には、私はここにいるかどうか分かりませんが、作品が完成したら一部送ってください」と中国政情の苦悶を示唆し述べている。
翌年初(1987.1)に予期されたように守旧派から辞任要求され、民主友好派の胡耀邦は実質失脚、1989.4.15に失意の中で死去、学生らによる追悼集会は「第二次天安門事件」として歴史に残る強硬派による弾圧、戒厳令を発する騒乱事態となった。
山崎豊子が完成本(大地の子)を持って訪中、胡耀邦の墓前(江西省)に黙祷を捧げたのは1991年6月、胡の死後2年余、最後の会見時の約束から5年近く経過していた。
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