山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

今時の政治家は、「恥知らずで、社会バカの掃き溜めばかりなり」

2011-05-09 18:03:36 | Weblog
1946年に出版されたルース・ベネディクトの『菊と刀』は、日本文化を紹介した文化人類学の著作で、日本人の文化を「恥を基調とする(価値)」と述べている。
「恥知らずめ!」と投げ付けられる言葉に、誇りを持った者ほど胸に堪える罵詈雑言は少ないと思う。
ところがルーピー鳩には「鳩の耳に・・・・」で、まったく意に介さないご様子。
鳩が発する菅首相批判では、バ菅とて「(鳩山前首相)あんただけには言われたくないよ!」と意地でも辞めないだろう。
世界中に喧伝された「ルーピー首相」を恥とも受け留めずに、相変わらずの「離し飼い」状態では、民主党議員連の責任も同罪となろう。
国内どころか海外に出かけてまで「バカやってる」ものだから、日本国民すべてが「恥の文化」を喪失したようで実に滅入ってしまう。
「戦後最低の首相」の評価レッテルを貼られたルーピー鳩。いっそ、橋上から身を投げてくれれば、目出度く「ブリッジ(から)ストーン」のご臨終となるのだが。
武士道ニッポンの先人侍たちは、恥辱を受けては「名こそ惜しけれ」と自裁した。
代議士もサムライ(士)に擬せられたはずなのだが、今時の政治家は、「恥知らずで、社会バカの掃き溜めばかりなり」。
自民党のなかにも「アカとバカ」の同衾者がかなり隠れている。
いまやルーピー感染症は伝播蔓延し、永田町は愚かな恥のかき捨て場と化している。
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「八田與一記念公園」の完成式典で考えさせられる、福沢諭吉「脱亜論」の慧眼

2011-05-09 13:06:41 | Weblog
2011年5月8日(八田與一の命日)、台湾・台南市に建設中であった「八田與一記念公園」が完成。
馬英九総統や八田の故郷・石川県出身の森喜朗元首相らが参席、完成式典が挙行された。
八田與一が烏山頭ダム建設時に住んでいた宿舎跡地を整備、当時の姿に復元された4棟の木造住居は一般公開される。
この和風住居の復元工事に当初から、山形県内の建築家T、施工技術者が設計管理・技術指導役として協力支援し完成に導いてきている。
台湾では「(烏山頭)ダムの父」と呼ばれて尊敬され、地元民の手により銅像も建立された八田氏について、森元首相は「石川県民よりも台湾の人々の方が、八田氏を高く評価していることを(いまさらに)知った」と述べ、恩義を忘れない台湾人の真摯な民族性にあらためて気付かされたようだ。
東日本大震災の復興で、脚光を浴びることとなった関東大震災時(1923.9)の後藤新平内相兼帝都復興院総裁は、それ以前に台湾(1898.総督府民政長官)、満洲(1906.初代満鉄総裁)の両統治に中心的役割として取り組んできている。
後藤は反共産主義として「人間の本能に反する」と極めて単純明快に答えている。
風土や現地人の能力持ち味を活かした統治開発策が基本とされた。
それゆえに、台湾、満洲ともに分け隔てなく見合った統治行政を行って来たはずなのである。
日本は台湾に烏山頭ダム(1930)を造り、満洲(北朝鮮・鴨緑江)には世界最大級の水豊ダム(1944全体完成)を造った。
1941.9に水豊ダムの一部営業発電開始時に見学に訪れたフィリピンの外相は「フィリピンはスペイン植民地として350年、アメリカの支配下で40年が経過している。だが、住民の生活向上に役立つものは一つも作っていない。満洲は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか。」と日本による現地巨大投資に驚いている。
大学も京城帝国大学(1924・ソウル)、台北帝国大学(1928・台北)、建国大学(1938・満洲新京)と大阪帝国大学(1931)、名古屋帝国大学(1939)などよりも先に建設した。
内地と同様の公共投資、いやそれ以上とも言える財政支援をしながら五族協和に励んできたのに、同じ施しに感謝を忘れない台湾人と反日施設をつくり賠償を要求し続ける一部の大陸半島人がいる(それに与する反日左翼分子とメディア)。
このたびの東日本大震災に台湾では200億円超の義捐金が集まったとされている。
民族性の違いなのか。為政環境による違いなのか。
「八田與一記念公園」の完成式典から、またもや福沢諭吉の「脱亜論」の慧眼(1885.3)について考えさせられる。
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