山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

「巨悪の塊」、いまさらの(汚沢)イチロー!

2009-03-08 20:18:19 | Weblog
小沢一郎民主党代表の政治資金担当の大久保秘書が逮捕され、西松建設の外為法違反事件は政局に絡む様相の展開となってきた。今後の進展を断定予測されるものではないが、長年の小沢ウオッチャーとしては、「やっと来るべき時がきたな」の思いをしている。ブログ子はこれまでも小沢代表の言行については、折にふれて本ブログで批判論を述べてきているが、基本的には小沢一郎は欠陥性人間であると見ている。田中角栄、金丸信の金権土建政治を最も直接継承しているのが小沢であるが、角栄、金丸には(良くも悪くも)人間の情愛性が窺えたのだが、小沢にはそれが見えない。だから、本人も認めているように側近重用のブレーンが次々と離反していく。(大学院)学生だった小沢が父佐重喜の死去により、市井(の労苦)を知らずにたったひとりの後継男児として遺影を掲げて政治家になってしまった。権力を欲しいままに君臨していた角栄(田中派・経世会・金丸信)のもとで、政治権力の為政者の視点でのみ見続けて人間の狭量さを脱しきれないままに、ただただ強面を演じ続けているに過ぎない人物像だけが強く映し出されているように思える。コメンテーターなどは(西松の献金受領者は)小沢民主党代表だけでなく自民党にもいる、自民も民主も不正献金問題は同じで政治不信がつのるばかりだと並列で述べている。表向きはまったくそうであるが、いささか経験則のあるブログ子の目線から述べて見たい。残念ながら、政治資金規正法はザル法である。まず、法律を作る立法府の国会議員が、がんじがらめの法律を作ることはない。それゆえに、仮に法的に順守していても国民有権者が理解しうる説明責任(道徳的行動)が必要とされるはずである。「法律に従ってキチンと処理・・・」は最低限の法律順守である。法律に定めてないから、国旗も国歌も認めない、歌わない。(子供が親に)礼儀正しくなんて法律にないからしないな~んて。まさに(秩序道徳無視の)国家解体勢力の日教組(左翼腐敗菌)のような論理展開の言い訳を重ねるのが、小沢の勝手な理屈である(自分勝手な開き直りを「オザワる」と言う)。もっとも(3.8)現在の状況で特捜の捜査が終わるようなことはないだろうから、メディアが触れない「巨悪の塊」、いまさらの(汚沢)イチロー!を、この西松事件を機会に、事件関連の話題として随時記していきたい。まず献金額についてだが、(1995.改正政資法施行の発端となった)1993.のゼネコン汚職発覚の際に、スーパーゼネコンのひとつ清水建設の会長が逮捕され、(清水社内の)政治献金のランク表の存在が表面化した。政治家56人に盆暮に贈る慣行として、SA・A~Dにランク付け、SAは1000万円で金丸・竹下の2人、Aは500万円などと期待する政治力に応じてそれぞれ盆暮に(献金)贈っていたとされる。当時は公共事業も活況で規正法も緩やかであったわけで現在と比較はしにくいが、区切りのいい100万は有り得る相場ではなかろうか。そうすると、献金の形態は違えど(現金・パーティー券購入など)、盆暮各100万円を総額枠と見れば、年間200万円献金枠、(捜査の時効年限から)このたびの3年間で総額600万円ぐらいの金額は有り得ることであろう。それ以上の金額受領のために献金元を操作しているとすれば、本来の政治資金規正法の主旨を歪めた脱法行為とみてしかるべきである。情緒論ともなるが、一般的な政治献金は“(懇願の)要請”に基づき、小沢的なものは“(恫喝的)要求”なるものと受取っていただければ解り易いだろう。なにより、報道されているような年2500万円の献金を多年に亘り継続的に受領することは、業界の時勢からも常識的にも(法律上も)国民理解を超えている異常で特殊な関係と見て当然である。
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