山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

独立国家を示威できない、福田康夫・石破茂は職掌を去れ!。

2008-05-15 20:17:52 | Weblog
月刊誌「WiLL」6月号に「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」と題した渡部昇一の寄稿がある。
ひとりの国民・政治家とすれば、自由と民主主義の国であるから、自論・思想を開陳することは当然なことである。
が、国際社会における独立国家として国防を司る責任者の発言としては如何なものか。
極東軍事裁判(東京裁判)で“国際法上の日本無罪論”を呈した唯一の国際法の判事だったインドのパール博士が、講和後の昭和27年10月に来日した折、真っ先に述べた「独立国に具備されなくてはならない四つの内容」を、石破防衛相(福田首相も)は知っているのか問いたいものだ。
博士は、「(講和発効で形式上)日本は独立したという。しかし、。一つは、自分達の基本法である憲法は、自分達の手で作られなくてはならない。与えられた憲法を『平和憲法だ、平和憲法だ』と喜び勇んで担いでいる、こんな国は独立国とは言えない。自分の国の基本になる憲法は、自分達が創案して書く、明治日本はそうした。それが独立国だ。」、「二つ目は、自分達の国は自分達国民が最後まで護るシステムだ。国民が自分の国家を守る、これがなくては駄目だ。今の日本はどうだ、アメリカに守って貰っている。それで独立国と言えるか。長い間には国家という観念すら薄れてしまう。」、「第三は、自分の祖先や自分達を守った英霊を祀れないことでは、独立国とは言えない。」、「最後に、自分の国の子弟に自分の国の歴史を正しく教えることが出来ない、こんな国は独立国ではない。この四つのことをよく覚えておきなさい。」  これが、パール博士が日本へ来られて(?講和独立の日本で)最初に言われた言葉だ。
憲法・国防・英霊祭祀・国史教育の4項、すべてこれまで日本が、お座なりにしてきたものだ。
政治家の発言は自由だ。 しかし、石波のような論者を国家としての責任ある立場には絶対に就かせてはならない。
博士が指摘された真の独立達成で具備すべき4項に反対する反日活動勢力に連なる国こそ、友好に疑念を持たざるを得ない、侵攻意図が懸念される“仮想敵国”と判断されよう。
侵された愚~閣僚を是認する国民の覚醒が求められる。

 
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中川秀直の“リベラルDNA”、不徳の致すところでは困る

2008-05-15 17:54:40 | Weblog
中川秀直自民党元幹事長の著作「官僚国家の崩壊」(講談社刊・5.26発売)が、発売前ながら永田町で話題になっているそうな。
「劣化したエリートは『安心できる社会』『弱者救済』の旗を掲げるだろうが、自らの身分保障と既得権益の確保の言い換えにすぎない」と、(官僚制度)霞が関改革の必要性を強調。
基礎年金の全額税方式化や道州制の導入などの政策提言を謳っている。
中川は森内閣発足の官房長官だったが、女性スキャンダルで辞任した経緯がある。
中選挙区時代から自身の選挙は、あまり強くなく途中落選したこともあるが、森喜朗の側近として忠勤に励んできたことから女房役の官房長官就任となった。
永田町では、政策・国対、人間性も含めてバランスのとれた部類の政治家である。
著書では、スキャンダル辞任の経緯にも触れ「すべては私の不徳の致すところである。
脇の甘さ、危機管理の甘さがあった」と記述している。
ただ、清和会(町村派)の実力者に伸し上ってきた中川だが、最も拭えないものは、彼の“リベラルDNA”である。
政界入りは、「新自由クラブ」であったのだが、そのことよりも、長い政治歴において、此れと言って“保守本流”を見出す発言・行動を目にしたことは無い。
むしろ「清和会」の潮流からは、外れた“(容共)リベラル議員”である。
今後、どのような国際情勢の変化があろうとも、隣国の対中外交は益々重要課題となってくる。
決して怯まず、阿ることなく毅然と渡り合える国益外交が求められるが、脇の甘い「リベラル」を狙い隙に取り入る共産主義(中国)の術は実に巧妙だ。
政権中枢を担う立場なら、“脇の甘さ、危機管理の甘さ”は、愛人女性の腕の中だけに止めて欲しい。
橋龍のように“不徳の致すところ”で、国を売ることになっては困りものだ。
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