月刊誌「WiLL」6月号に「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」と題した渡部昇一の寄稿がある。
ひとりの国民・政治家とすれば、自由と民主主義の国であるから、自論・思想を開陳することは当然なことである。
が、国際社会における独立国家として国防を司る責任者の発言としては如何なものか。
極東軍事裁判(東京裁判)で“国際法上の日本無罪論”を呈した唯一の国際法の判事だったインドのパール博士が、講和後の昭和27年10月に来日した折、真っ先に述べた「独立国に具備されなくてはならない四つの内容」を、石破防衛相(福田首相も)は知っているのか問いたいものだ。
博士は、「(講和発効で形式上)日本は独立したという。しかし、。一つは、自分達の基本法である憲法は、自分達の手で作られなくてはならない。与えられた憲法を『平和憲法だ、平和憲法だ』と喜び勇んで担いでいる、こんな国は独立国とは言えない。自分の国の基本になる憲法は、自分達が創案して書く、明治日本はそうした。それが独立国だ。」、「二つ目は、自分達の国は自分達国民が最後まで護るシステムだ。国民が自分の国家を守る、これがなくては駄目だ。今の日本はどうだ、アメリカに守って貰っている。それで独立国と言えるか。長い間には国家という観念すら薄れてしまう。」、「第三は、自分の祖先や自分達を守った英霊を祀れないことでは、独立国とは言えない。」、「最後に、自分の国の子弟に自分の国の歴史を正しく教えることが出来ない、こんな国は独立国ではない。この四つのことをよく覚えておきなさい。」 これが、パール博士が日本へ来られて(?講和独立の日本で)最初に言われた言葉だ。
憲法・国防・英霊祭祀・国史教育の4項、すべてこれまで日本が、お座なりにしてきたものだ。
政治家の発言は自由だ。 しかし、石波のような論者を国家としての責任ある立場には絶対に就かせてはならない。
博士が指摘された真の独立達成で具備すべき4項に反対する反日活動勢力に連なる国こそ、友好に疑念を持たざるを得ない、侵攻意図が懸念される“仮想敵国”と判断されよう。
侵された愚~閣僚を是認する国民の覚醒が求められる。
ひとりの国民・政治家とすれば、自由と民主主義の国であるから、自論・思想を開陳することは当然なことである。
が、国際社会における独立国家として国防を司る責任者の発言としては如何なものか。
極東軍事裁判(東京裁判)で“国際法上の日本無罪論”を呈した唯一の国際法の判事だったインドのパール博士が、講和後の昭和27年10月に来日した折、真っ先に述べた「独立国に具備されなくてはならない四つの内容」を、石破防衛相(福田首相も)は知っているのか問いたいものだ。
博士は、「(講和発効で形式上)日本は独立したという。しかし、。一つは、自分達の基本法である憲法は、自分達の手で作られなくてはならない。与えられた憲法を『平和憲法だ、平和憲法だ』と喜び勇んで担いでいる、こんな国は独立国とは言えない。自分の国の基本になる憲法は、自分達が創案して書く、明治日本はそうした。それが独立国だ。」、「二つ目は、自分達の国は自分達国民が最後まで護るシステムだ。国民が自分の国家を守る、これがなくては駄目だ。今の日本はどうだ、アメリカに守って貰っている。それで独立国と言えるか。長い間には国家という観念すら薄れてしまう。」、「第三は、自分の祖先や自分達を守った英霊を祀れないことでは、独立国とは言えない。」、「最後に、自分の国の子弟に自分の国の歴史を正しく教えることが出来ない、こんな国は独立国ではない。この四つのことをよく覚えておきなさい。」 これが、パール博士が日本へ来られて(?講和独立の日本で)最初に言われた言葉だ。
憲法・国防・英霊祭祀・国史教育の4項、すべてこれまで日本が、お座なりにしてきたものだ。
政治家の発言は自由だ。 しかし、石波のような論者を国家としての責任ある立場には絶対に就かせてはならない。
博士が指摘された真の独立達成で具備すべき4項に反対する反日活動勢力に連なる国こそ、友好に疑念を持たざるを得ない、侵攻意図が懸念される“仮想敵国”と判断されよう。
侵された愚~閣僚を是認する国民の覚醒が求められる。