1月17日、阪神淡路大震災が発災してから25年目の日になります。兵庫県各地で、25年追悼行事が行われました。
私は、県立西脇北高校で行われた『阪神・淡路大震災25年追悼行事』に参加してきました。
「震災を風化させない!忘れない・伝える・活かす・備える」をスローガンに厳粛に追悼行事が行われました。生徒たちも、普段の自由な服装ではなく、追悼行事にふさわしい服装でした。
追悼行事では、最初に参加者全員で黙祷をしました。日野校長は、ご自身の体験を切々と語られました。自分が住んでいた神戸の自宅が被災し、さらに淡路島の北淡町の実家が全壊されました。その当時のことを、生徒に分かりやすく語りかけられました。今年3月末で退職予定の日野校長ですが、震災のことをしっかりと伝えようとされる強い意志を感じました。
その後、北はりま消防組合の和久井正人さんが、「災害時の備え-阪神淡路大震災から25年1.17は忘れない-」と題して講演をしてくれました。和久井さんは、震災当時、救急救命士の資格を取るために、神戸市に長期研修でおられたそうです。その経験談とともに、災害時にどう備えるかの大切さについて、話してくれました。歯切れの良い口調で、とても聴きやすく、説得力がありました。
私は、25年前のあの日を、今もよく覚えています。ドーンという突き上げるような地震に飛び起きて、子どもたちの部屋に飛び込みました。幸い、我が家や近所に被害はありませんでした。テレビから流れてくる映像を見て、驚きと同時に涙が止まりませんでした。黒田庄中学校のPTAの皆さんと炊き出しに行ったこと、生徒たちと継続してボランティア活動を行ったことが思い出されます。
「震災を風化させない」ことを胸に、私も自分ができることをしっかりとやっていきたいと考えています。
私は、県立西脇北高校で行われた『阪神・淡路大震災25年追悼行事』に参加してきました。
「震災を風化させない!忘れない・伝える・活かす・備える」をスローガンに厳粛に追悼行事が行われました。生徒たちも、普段の自由な服装ではなく、追悼行事にふさわしい服装でした。
追悼行事では、最初に参加者全員で黙祷をしました。日野校長は、ご自身の体験を切々と語られました。自分が住んでいた神戸の自宅が被災し、さらに淡路島の北淡町の実家が全壊されました。その当時のことを、生徒に分かりやすく語りかけられました。今年3月末で退職予定の日野校長ですが、震災のことをしっかりと伝えようとされる強い意志を感じました。
その後、北はりま消防組合の和久井正人さんが、「災害時の備え-阪神淡路大震災から25年1.17は忘れない-」と題して講演をしてくれました。和久井さんは、震災当時、救急救命士の資格を取るために、神戸市に長期研修でおられたそうです。その経験談とともに、災害時にどう備えるかの大切さについて、話してくれました。歯切れの良い口調で、とても聴きやすく、説得力がありました。
私は、25年前のあの日を、今もよく覚えています。ドーンという突き上げるような地震に飛び起きて、子どもたちの部屋に飛び込みました。幸い、我が家や近所に被害はありませんでした。テレビから流れてくる映像を見て、驚きと同時に涙が止まりませんでした。黒田庄中学校のPTAの皆さんと炊き出しに行ったこと、生徒たちと継続してボランティア活動を行ったことが思い出されます。
「震災を風化させない」ことを胸に、私も自分ができることをしっかりとやっていきたいと考えています。
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