近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

交野市の鍋塚古墳とは!

2010年04月01日 | 歴史
鍋塚古墳が属する森古墳群は、生駒山に源がある天野川流域の古墳だが、天野川中流域の交野市に入ったところ、JR学研都市線の河内磐船駅東側の山地部に立地する。





写真は、鍋塚古墳から望む交野市街地光景及び鍋塚古墳墳丘。

森古墳群は、今日までの発掘調査では6つの古墳から成り、第1号墳が全長約106mの前方後円墳の雷塚古墳、第6号墳が全長約67mの前方後方墳の鍋塚古墳。

交野市寺の山中、標高210mほどの高所に“南山弥生遺跡”があるが、当遺跡は昭和34年の大雨の際、崩れ出た土砂の中から多数の弥生式土器が出土したことにより偶然発見されたと云う。

河内を一望できる立地場所や出土遺物から当遺跡は、高地性集落として、監視や狼煙をあげる目的を持った通信基地と位置付けられていたらしい。

鍋塚古墳は4世紀初頭築造で、この弥生遺跡の西側の尾根に立地する、交野市最古の古墳。

本古墳は、全長約67m・後方部約34.2m・前方部幅約28m・くびれ部幅約16mの前方後方墳。







写真は、平成7年の発掘調査光景及び平成13年調査の竪穴式石室内部の出土状況と出土した葺石。

南山弥生遺跡は古くから遺跡として知られていたが、平成7年に阪神・淡路大震災後、府内各地の通信連絡網を確保するための、防災無線基地建設に伴い試掘調査の結果、弥生時代の土器を確認。

平成13年の発掘調査では、徳島県の吉野川流域のものと見られる、結晶片岩系の葺石・板石が発見され、叉本古墳主体部には竪穴式石室の周囲に配置された板状の割石や、後方部には造り出し部を確認したが、墳丘には埴輪は見当たらなかったと云う。

本古墳は、森古墳群の中で、最大規模の雷塚古墳よりも古いのではないかと考えられている。