<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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先週末のこと、週刊朝日の吊り広告に「篤姫は大河ドラマを救ったか」というキャッチが記されているのを目にした。

宮崎あおいが主演したNHK大河ドラマ「篤姫」は近年にない高視聴率をマーク。
昨年、展開された朝日新聞との醜い争いやプロデューサーの不祥事などで信用が失墜していたNHKに追い風となったことは間違いない。
当初から、
「あんみつ姫かホームドラマかわかならい」
と言われた「篤姫」。
大河ファンの心もつかんだのか、今もなお話題を提供し続けている。

しかしながら、人気と平行してドラマとしての質も高かったかといえば、そうとはいえないもの事実で、先述の悪評ではないが、
「大河」
というにはいささかスケールの点で小さすぎた点は否めない。

例えば、ホームドラマといわれるスケールは従来の大河ドラマにはないミミッチさである。
たいていの場合、大河ドラマの主人公は主役であっても脇役であっても日本史に燦然と輝く人物が取り上げられるのだが、「篤姫」はいかにも小さい。
ドラマでは篤姫が歴史の大きな影響を与えたように描かれていたが、事実とは異なり「歴史にある程度は忠実なNHK大河」というセオリーも逸脱していた気配がある。

かつて司馬遼太郎は「ドラマ化すると作者の意図が捻じ曲げられる」という意味合いのことを述べ、「花神」のあと「飛ぶが如く」までの約20年、著作をドラマ化することを許さなかった。

篤姫の場合、書き下ろしなのだそうだが、書き下ろしのために受ける為には何でもやった、という気がしないでもないのだ。

正直、大河ドラマという点では土曜ドラマやスペシャルドラマのほうがよっぽど大河ドラマらしく、本家がただのドラマバラエティになってしまっているように思えてならない。

ということで、視聴率至上主義が生んだ大河ドラマ「篤姫」は、視聴率の上ではドラマを救ったが、質の上では「????」というところではないだろうか。

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