遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

死んだ肉(脳のなかの身体)

2008-09-13 15:29:29 | Weblog
宮本省三著 「脳のなかの身体」
 第一章 脳損傷により身体に何が生じるのか
  5 失われる「私の身体」--ゼロになるからだ
  ●死んだ肉
 「ゼロになるからだ」は脳卒中片麻痺にも出現する。実は、リハビリテーション医療の臨床現場では日常的な現象なのである。
 まだ三十歳代のイタリア人女性アレッシアさんは小学校の音楽の先生だ。脳卒中を発症して右片麻痺となり、イタリアのサントルソ認知神経リハビリテーションセンターで「認知運動療法」と呼ばれるリハビリテーション治療を受けるために入院している。その彼女にセラピストが片麻痺を発症した頃の身体意識について質問した会話の記録がある。

セラピスト あなたに脳卒中が起きた時のことを話してくれる?どんなふうに起きたの?
患者    私の身体の調子は良かったの。九時か九時半頃、後頭部に水が下がってゆくような感じがしたの。それで私は倒れて、それから先はなにも覚えていないわ。
セラ  覚えていないのね。記憶が戻るのはいつから?
患者  病院に入ってから十日後。昏睡状態だったの。
セラ す、十日してからの記憶はあるのね?誰がいたかとか・・・・。
患者 ええ。
セラ 記憶が戻ってからだけど、自分になにか変なことが起きたた自分ね気づいたの?それとも誰かに言われたの?
患者 自分で気づいたの。話すことができなかったし、身体の半分が動かせなかったから。こちら側。右側がね。
セラ 動けなかったのなら、どうやって気づいたの?
患者 試してみたの。
セラ つまり?
患者 右側を動かそうとしたのよ。右の手。右の腕。右の足。全然だめ。できなかった。
セラ 全然ってどういう意味?
患者 全然っていうのは・・・たとえばこんなふうに手が動かせなかった。開いたりできなかった。(左の手を開いてみせる)
セラ その時どんな気持ちだった?何を感じた?
患者 「どうして?」「どうしてなの?」って思った。
セラ だけど理由はわかったのでしょう?
患者 ええ、すこしずつね。それから二日後、自分に言って聞かせたの。「わかったわ。脳卒中みたいなものが起きたんだ」って。
セラ ねえ、自分の身体の半分が動かないのはどんな気がした?何を感じた?
患者 半分の私。半分のアレッシア。
セラ どういうこと?
患者 半分は私ではなかったのよ。こちらの半分は存在していなかった。
セラ こちらの半分(健側)は?
患者 こちらは存在していた。だけどこちらはなかった。見えなかった。
セラ 見えなかった?どういうこと?
患者 こちらの腕は「死んだ肉」みたいに思えた。
セラ (身体の半分は)見えていたのでしょう?
患者 もちろん
セラ 目を向けていない時は、そちらの半分を感じていた?
患者 いいえ。すぐには駄目だった。
セラ なかったみたいだったわけね。
患者 その通りよ。
セラ かわりに何があった?何もなかった?
患者 あったわ。かわりに「肉」、「死んだ肉」よ。感じられなかったですもの。私のものじゃなかったの
セラ あなたのものじゃなかったのね。
患者 その通り。
セラ 誰か他の人のものみたいだったの。
患者 違うわ。私の身体なのだけれど、死んでいるの。

以上、「死んだ肉」の項の文章です。
私もブログで「脳の中を探しても見えない。いくら探しても左手や足が見つからない」と、書いています。この患者は、死んでいる、と言っています。私もそう思います。
 死んでいるものを生き返させる。これが、セラピストに課せられた仕事だと思います。ところが、セラピストには、患者の状況がわかっていない、また、わかろうとしていない(と、私には思えます)
 壊れたのは、脳なのに、そこに働きかけることはしないで、死んでいるような筋肉一生懸命働きかけているのです。筋肉は何も悪くありません。ただ、脳から指令がないため、死んだようになっているのです。
 死んだのは脳細胞。これは再生されます。が、動かすためのデータが入っていません。死ぬ以前の脳細胞には、生まれてからのデーターがぎっしりと保管されていました。それが全部消えてしまったのです。それを再構築しなければ動くようにはなりません。手足が悪いのではなく、脳のデータがないのですから、患者本人が努力しなければ脳にデータが蓄積されません。患者自身が死んでいる手足を認知する気がなければ、動くようにはなりません。
 セラピストは患者サポートの専門家ですから、最大限にサポートして患者を社会復帰させる義務があります。最大のポイントは死んだものをどうやって生き返らせるか?です。私は、社会復帰を果たした患者の話をたくさん聞くことが重要だと思います。個人個人それぞれ違うと言われますが、どこかに共通点があるはずです。健康な人は、脳卒中で片麻痺の状態を理解するのは大変難しいとは、思います。セラピストはそこに貢献するために飛び込んだ人ですから、それなりの努力は必要でしょう。
 医療制度も考える必要があると思います。長期間同じ病院で同じセラピストに治療を委ねられない制度は、いかがなものか?

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