遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

左手の親指

2008-09-28 12:11:48 | Weblog
9月28日
 9月も最後の日曜日になった。朝夕もめっきり涼しくなっている。
 身体の冷たさを強く感じる季節になりつつある。半身麻痺になった身体は元の健康だった状態に戻るのだろうか?他人は見えるところでしか判断しないが、当事者の私には半身麻痺になった身体のすみずみに影響が及んでいることを強く感じている。
あと二ヶ月で満四年になる。リハビリの毎日であった。歩けるようになり、走れるようにもなった。バドミントンも中級の下にはたどり着いたと思っている。いろんなことが、まがりなりにも可能になっている、が仕事に使える状態ではない。保持、継続、信頼性がないためなのです。それを回復するため、日々限界に挑戦しているわけです。限界に挑戦すると、不都合な箇所が露呈します。それを克服すると次の限界に自動的にぶつかるのです。これを又克服すると次の限界がに・・・
これの繰り返し。いつまで続くやら・・・
 最近左手親指の動きが気になった。親指は他の指とは違った動きが出来る。手が動かせるようになってからずっと他の指以上に動かしてきた。なのに、回復が芳しくない。動かないのではない、動きが鈍いのだ。動かした時の抵抗感が他の指よりも強いのだ。親指を外側へ開いた時やグット内側に曲げた時に、中手指節関節に強い抵抗感が現れてぐっと力を入れなければ状態を確保できない。つまりグーとパーを交互に連続して続けるには、それなりの力が必要なのです。それを指示しているのは脳ですから、脳に負担がかかるのです。一方で動かないぞっ、と脳が言っているのですから、頭の中で戦いが起こっているのです。この戦いは、強い意志を持っている方が勝ちます。こんな簡単で単純な事が、何故出来ないのか?やってられないや!!楽しくもないことを、毎日、毎日・・・毎日。何時まで?わかりません、抵抗感を感じなくなるまででしょう。でも、身体はそれを待っているのです。待っているのは私ではなくて、身体、私の身体が待っているのです。手首も肘も肩も、肩甲骨も背骨も骨盤も、親指が正常に動くようになることを。それぞれが最後のネジを締めないで待っています。身体は不完全という言葉を許さないようです。だからでしょうか、1つが終えれば「次はここだよ」と教えてくれるようです。私は何かに引かれ歩いたり、走ったりしているようです。
 親指に戻ります。右手の親指と比較しました。親指の筋腱が三本あることが、本(からだの地図帳)を見て解りました。外側のものは、見えにくいのですが、残り二本は親指を開いた時、はっきりと見えます。溝が出来るほどくっきりと。ところが左手は内側の一本しか見えません。しっかりと働いていないのです。脳からの指示が弱いのです。長母指外転筋腱が上手く働いていないようなのです。以前から一本しか見えませんでしたが、最近になって思いついたようです。長期間動かしているのに何故だろうと。それに、左手を使って細かな作業を行なうと疲れがひどい。その一因として親指の動きが鈍いのでは、と。
 それで、9月になって重点的に、意識的に親指を動かしました。すると、みるみる長母指外転筋腱が太くなり、はっきりと見えるようになってきました。右手に比べると、溝はできましたが、右手ほどではありません。開いた時の抵抗感は変わっていません、が続けていけば、きっと無くなると思っています。続ければですよ。
このように変化が実感できると、安心しますし、砂を噛むような作業も我慢できます。でもなんとか短期間で終わって欲しいものです。
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歩く・走る

2008-09-22 18:20:18 | Weblog
9月22日
 暑さも和らいできたので、散歩をしようと思い立ったのは一週間ほどまえのことだった。それから許す限り散歩を実行している。往復5k程度のさんぽである。散歩と言っても走ったり歩いたりである。走れるようになった頃の散歩とは、内容が随分と変わっている。以前は走れるようになったばかりで、ひたすら走りに慣れるようにと走りそして歩いた。長い距離を歩けるようにとひたすら歩いた。
 あれから三年が経って走りそして歩く。もっと上手に歩きたい、綺麗に走りたい、スムーズに走りたい歩きたい。バドミントンも上手くなりたい、いろんな思いが重なり合って、歩き走る。
 左足がどうしても弱い。弱い左足を重点的に鍛える歩きになっている。バドミントンでは前後左右に動くが、一番弱いのは後ろ方向だ。左足を後ろへ出した時、つま先が最初に着くのだが、そこで支えきれない。後ろ方向に上手く進めない。
 だから散歩では後ろ向きに歩く場所を設定している。左足つま先の力のなさを実感している。
 横向きに歩いても左足の弱さを実感する。実感すればするほど左足を集中的に訓練してしまう。いじめてしまうのだ。
 つまり、筋肉は力を持っていないのだ。力は脳からの指示なのだ。脳に必要な力の量を教えなければ、必要な力はでないということか。不思議!!脳に必要な力の量を教えるなんて。私が、脳に力が足りないからもっと力を出せ!と命令するんですよ、不思議。脳も練習しないと出せるようになれないんですよ。力の弱い人は、力を出せないのではなく、ださないんだ。
 散歩のメニューは、普通の歩き、小走り、早歩き、後ろ歩き、ジョギング、全力走(500m)、横歩き等等。 締めて5kmくらいです。
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小走り

2008-09-19 11:00:14 | Weblog
9月19日
 9月も中旬を過ぎようとしている。早いものである。
 私は小走りが不得手である。私に限らず、私と同じような後遺症を持っている方々も同様だと思っています。横断歩道を渡っている時、信号が赤になる、急いで渡らなくてはと歩くスピードを上げる。これがスムーズに出来ない。
 どうして上手く出来ないのか考えました。
右足と比較しました。解りました。踵です。左足の踵が充分に着地していないのです。健康な人には理解できないと思いますが、踵を着く、そして踵に力を入れる。たったこれだけのことが、とても難しいのです。踵から着くためにはつま先を上げなければなりません。そのためには、前脛骨筋を動かす必要があります。リハビリの中でこの動作は初期からありました。今でもしています、私は4年になります。
これが出来るようになれば、歩き方もスムーズになります。
 長時間歩けるようになったり、走れるようになると、足の裏の筋肉が動き始めることが解ります。そしてつま先と踵が上手く動けばスムーズな歩きと走りが出来るようになるのです。毎日、毎日そして毎日、家で外で練習しています。走ったときの変な音や違和感がなくなりました。小走りもスムーズになりました。左足で拍子をとったり、踵でとったりも出来る様になりました。でも、つま先を上げる訓練は辛いものでした。この辛さ分って頂けますか?約4年かかりました。
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死んだ肉(脳のなかの身体)

2008-09-13 15:29:29 | Weblog
宮本省三著 「脳のなかの身体」
 第一章 脳損傷により身体に何が生じるのか
  5 失われる「私の身体」--ゼロになるからだ
  ●死んだ肉
 「ゼロになるからだ」は脳卒中片麻痺にも出現する。実は、リハビリテーション医療の臨床現場では日常的な現象なのである。
 まだ三十歳代のイタリア人女性アレッシアさんは小学校の音楽の先生だ。脳卒中を発症して右片麻痺となり、イタリアのサントルソ認知神経リハビリテーションセンターで「認知運動療法」と呼ばれるリハビリテーション治療を受けるために入院している。その彼女にセラピストが片麻痺を発症した頃の身体意識について質問した会話の記録がある。

セラピスト あなたに脳卒中が起きた時のことを話してくれる?どんなふうに起きたの?
患者    私の身体の調子は良かったの。九時か九時半頃、後頭部に水が下がってゆくような感じがしたの。それで私は倒れて、それから先はなにも覚えていないわ。
セラ  覚えていないのね。記憶が戻るのはいつから?
患者  病院に入ってから十日後。昏睡状態だったの。
セラ す、十日してからの記憶はあるのね?誰がいたかとか・・・・。
患者 ええ。
セラ 記憶が戻ってからだけど、自分になにか変なことが起きたた自分ね気づいたの?それとも誰かに言われたの?
患者 自分で気づいたの。話すことができなかったし、身体の半分が動かせなかったから。こちら側。右側がね。
セラ 動けなかったのなら、どうやって気づいたの?
患者 試してみたの。
セラ つまり?
患者 右側を動かそうとしたのよ。右の手。右の腕。右の足。全然だめ。できなかった。
セラ 全然ってどういう意味?
患者 全然っていうのは・・・たとえばこんなふうに手が動かせなかった。開いたりできなかった。(左の手を開いてみせる)
セラ その時どんな気持ちだった?何を感じた?
患者 「どうして?」「どうしてなの?」って思った。
セラ だけど理由はわかったのでしょう?
患者 ええ、すこしずつね。それから二日後、自分に言って聞かせたの。「わかったわ。脳卒中みたいなものが起きたんだ」って。
セラ ねえ、自分の身体の半分が動かないのはどんな気がした?何を感じた?
患者 半分の私。半分のアレッシア。
セラ どういうこと?
患者 半分は私ではなかったのよ。こちらの半分は存在していなかった。
セラ こちらの半分(健側)は?
患者 こちらは存在していた。だけどこちらはなかった。見えなかった。
セラ 見えなかった?どういうこと?
患者 こちらの腕は「死んだ肉」みたいに思えた。
セラ (身体の半分は)見えていたのでしょう?
患者 もちろん
セラ 目を向けていない時は、そちらの半分を感じていた?
患者 いいえ。すぐには駄目だった。
セラ なかったみたいだったわけね。
患者 その通りよ。
セラ かわりに何があった?何もなかった?
患者 あったわ。かわりに「肉」、「死んだ肉」よ。感じられなかったですもの。私のものじゃなかったの
セラ あなたのものじゃなかったのね。
患者 その通り。
セラ 誰か他の人のものみたいだったの。
患者 違うわ。私の身体なのだけれど、死んでいるの。

以上、「死んだ肉」の項の文章です。
私もブログで「脳の中を探しても見えない。いくら探しても左手や足が見つからない」と、書いています。この患者は、死んでいる、と言っています。私もそう思います。
 死んでいるものを生き返させる。これが、セラピストに課せられた仕事だと思います。ところが、セラピストには、患者の状況がわかっていない、また、わかろうとしていない(と、私には思えます)
 壊れたのは、脳なのに、そこに働きかけることはしないで、死んでいるような筋肉一生懸命働きかけているのです。筋肉は何も悪くありません。ただ、脳から指令がないため、死んだようになっているのです。
 死んだのは脳細胞。これは再生されます。が、動かすためのデータが入っていません。死ぬ以前の脳細胞には、生まれてからのデーターがぎっしりと保管されていました。それが全部消えてしまったのです。それを再構築しなければ動くようにはなりません。手足が悪いのではなく、脳のデータがないのですから、患者本人が努力しなければ脳にデータが蓄積されません。患者自身が死んでいる手足を認知する気がなければ、動くようにはなりません。
 セラピストは患者サポートの専門家ですから、最大限にサポートして患者を社会復帰させる義務があります。最大のポイントは死んだものをどうやって生き返らせるか?です。私は、社会復帰を果たした患者の話をたくさん聞くことが重要だと思います。個人個人それぞれ違うと言われますが、どこかに共通点があるはずです。健康な人は、脳卒中で片麻痺の状態を理解するのは大変難しいとは、思います。セラピストはそこに貢献するために飛び込んだ人ですから、それなりの努力は必要でしょう。
 医療制度も考える必要があると思います。長期間同じ病院で同じセラピストに治療を委ねられない制度は、いかがなものか?
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辛い練習

2008-09-10 23:15:47 | Weblog
9月10日
 私はギターを弾きたいがために、毎日練習をしている。練習すればするほど出来ない箇所が明確になり、辛い思いをしながら練習をしている。辛い連鎖のようだ。練習した結果、一時は良くなるが、次の日、他の箇所が上手くいかない、以前は出来たはずなのに。1つは全体に影響を及ぼし、全体は1つに影響を及ぼす。出来ない一つに集中してはいけないことなのか?しかし、そこが出来なければ音楽は停まってしまう。そこが出来た時、全体の品質は落ちている。どういう事ですか?絶えず全体を意識しながら、練習せよ、ということか。全体の練習をしながら、出来ない一つも練習する。練習すれば、肩に神経的な疼きの痛みが発生する。夜寝てしまうまで痛みは消えない。今日も練習しました、はい、痛みは今もあります。
 と言いつつも、遅遅として回復しているようです。
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9月になって

2008-09-09 00:04:12 | Weblog
9月8日
 9月に鳴ってしまった。今日は月曜日、リハビリの日だ。NHKの「Cool Japan]を見て家を出たので、病院にいつもより30分くらい遅く着いた。受付で血圧を測られ(いつもより高い、160-103)、ちょっと高いなと思いつつリハビリ科へと行く。着くと「大丈夫ですか?」と訊かれた。受付から既に連絡があったようだ。2階に上がるだけの短い時間だったのに、「ほう」と思った。なんとなく気分が乗らない、血圧のせいか。いつもよりゆっくりペース行くことにする。パワーリハは2種目減らした。OTのストレッチはいつものとおり。作業項目は好きなものを多少時間を少なくし、マッサージはいつものとおりで終了した。いつもより早く終わった。途中2回ほど血圧を測った。150-90だった。
 家に帰って昼食を取り、ぶらぶらしていたが、何となく気分が優れないので、血圧を測った。190-106あった。ありゃりゃ、と思いつつ血圧を下げる算段をしたが、上は多少下がるが、下が100を下がらない。ベッドで休むことにした。2時間ほどうつらうつらして、血圧を測ると、170-90。これから下がるだろうと勝手に予想して起きる。
 何故高くなったのかを考える。最近の自主トレは指先の細かいトレーニングが多い。今朝も30分ほどギターの練習をした。単音ならば何とか弾けるようになった。しかし、複数の音を同時に弾かなければギターの醍醐味はでない。特に練習が必要なのは薬指と小指、もちろん左手の。単音だと押さえることが出来るが、同時に押さえるのが難しい。一弦と六弦を小指と薬指で押さえるとなると、現時点ではとても難しい。以前は出来ていた、曲のリズムを損なうことなく。練習するしかないと思い、一生懸命していた。このパターンは曲の中で1,2度は出てくるのだ。これを克服しなければ曲は完成しない。他にも難しいことは沢山ある。1つ、1つやっつけなければと、がんばっていた。脳に負荷を掛けていた。脳もがんばっているのでしょう。微少ではあるが良くなっている。その結果の高血圧なのでは。
 肩は、毎日痛い(神経的な痛さ)。今も痛い。左手の指(小指を除く)の痺れが今日は強い。ただ、弦を押さえるという感触がよくなっている。だから、音楽が出来るという期待が強くなっている。だから、練習する時間が長くなっている。脳の負担が大きくなっている。嫌だというのを、押しのけて練習するから。
 手だけでは、ありません。足もです。特に前脛骨筋(足首を上に上げると動きます)。足裏もです。
 人間の身体の精密さには、いつも驚かされます。この精密さは最初からあったものでなく、生まれてから訓練をしてきた賜物なのにです。
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