遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

映画

2008-03-26 22:17:54 | Weblog
3月26日
 最近、映画を3本ほど観た。「歓喜の歌」、「マリア・カラス 最後の恋」、「ライラの冒険」
何の脈絡もない3本の映画だ。面白そうなで一本、どんな人生だったのだろうで一本、ファンタジーアドベンチャーで一本でしょうか。ポイントカード(映画の)が満杯になったので雨の中行きました。受付で提出して無料で見れると思ったら「有効期限が切れてます」と言われてしまった。最終ポイント日から三ヶ月と聞かされ、フニャ。折角きたのだからお金を払って一ポイント目をゲットしました。そして歓喜の涙を流して見ることができました。
 有名な人も外の名前でなく、内の名前を愛して欲しいのですね。
一番楽しく見れるのものは、これです。ファンタジーアドベンチャーです。主役は危機に直面しますがスペードのエースかはたまた最強のジョォカーが出て、めでたしめでたしで決着。ストリーと意外性が勝負です。
 フランス映画の「潜水服は蝶の夢を見る」が上映されている。この映画はフィクションではない。フランスの著名な編集者が脳梗塞になり、唯一左目だけが動く。この左目の瞬きでつづられた自伝を映画化されたものだ。予告編を2度見た。カンヌ国際映画祭監督賞受賞映画なのだが、悲しすぎて見ることは出来なかった。考えることができて、身体が動かない、動かせるのは左目だけなんて。感動させる映画だと言われても、私は悲しすぎて見ることは出来なかった。今も上映中。
 次に見る予定の映画は
    「魔法にかけられて」
    「ラフマニノフ ある愛の調べ」
です。
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腕?が痛い

2008-03-24 14:59:19 | Weblog
3月24日
 ここ二週間、腕?手?が痛い。当然左手、腕なのだが。
 最近、指を使う機会が以前に比べると数倍に増えた。それというのも、それだけ使えるようになったためだ。使えば、新たな使い方が増える、それも鼠算的に、使うバリエーションが増えれば、指だけでなく手首、肘、肩も自動的に使う回数が増える、また新規の使い方も増えている。それに対応するために脳もフル回転している。早く対応しようと軋みも増える。それで腕というか手が痛い。筋肉的な痛さではない。だから痛くても普通に動く、動くけど痛い。我慢できないほど痛い時もある、けど私はそれでも動かす。乗り越えるにはそれしかない、と思っている。
 一番痛い箇所は、前腕です。指を動かす場合、前腕の筋肉が動く。今、求められているのは指が独立して動くこと。薬指を単独で動くようにしたい。前腕は悲鳴をあげている。それでも私は止めない。それが、普通の使い方だから。指が動く時手首や肘や肩はサポートする中途半端な格好でするためそれぞれに負担が掛かる、それらも新規の格好だから、神経回路の作成を余儀なくされる。だから私の左手は痛いと言っている。ここは、どうしても超えなければならない大きな峠、向こう側に行かなければならない、戻ることは許されないのだ。どのくらい高い峠なのかもわからない、どのくらい長い峠かもわからない。深い森の中をロウソク一本の灯りをたよりに歩いているようです。誰も教えてくれません。私は冒険者!!どういう状況なのか誰も聞いてくれません、だから、どこを探しても回復過程の資料はありません。リハビリの療法士も知らないのです。
 先日、養老孟司氏の対談集を読んでいたら筋肉の話が出ていた。以下養老氏の説明「筋肉が収縮して力が出ることを説明しようとすると、どんどんわからなくなるのです。どうやって力になり、どのように伝わるのか。なぜ筋細胞がキュッと収縮しても、ほかのところと切れてしまわないのか。筋細胞の壁から外はどうつながっているのかと。踏み台からピョンと飛び下りたとき、身体のどこにどのような力がかかっているかでさえ、簡単には計算できない。ものすごい力がかかっているとなれば、こんな関節の細胞そのものはつぶれないのかとか。このように、力の伝わり方、わかったようようでわからないのですよ。」と、対談者と話をしている。
 わたしは、半身麻痺になり、麻痺した手や足を動かした時、筋肉が動かないのに手や足が動いた。ベットサイドに座って足を伸ばした、四頭筋が収縮するはずだが、四頭筋は全く動いていなかった。四頭筋を指で押すと、正常な右足は弾力があったが左側は弾力はない。ただ、肉があるだけだった。三年を過ぎた今では、左の四頭筋も筋肉になっている。しかし、筋力は同じになっていない。筋力が回復するには、大変な時間を要するのですね。左手も同様ですね。
 50cmくらいの棒を左手で振り下ろす。健康な人には簡単なことです。私も右手ではやれば簡単なことです。左手で行うと、振り下ろす途中でブレーキが掛かった感じになっていた。今では、ブレーキ感がなくなり、スーッと下まで降りおろせるようになった。まだ、真っ直ぐには振り下ろせない、どうしてもカーブを描くのです。進歩はしています。

 
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ハイキング

2008-03-17 20:12:29 | Weblog
3月17日
 日曜日、某鉄道会社主催のハイキングに参加した。一部対応の悪さはあったが、目的はハイキングなので黙認する。
 今回は500mくらいの山を二つ縦走するものだった。
 ハイキングとはいえ、道程は沢を登り、尾根を歩くというような山歩きだった。久しぶりに味合う山歩き、視界は樹木に遮られ、ただ足元に注意しながらひたすら歩いた10kmだった。一部(ほんの一部)視界が開けたところの眺めは抜群だった。自然の中での歩きは、リハビリには最高だった。より良い歩きに挑戦するには、このような自然の中での歩きがどうしても必要だ。山は登るより降りるほうが身体には難しいのを実感した(知らなかったわけではない)久しぶりに味わった。細い道、平坦でない道、滑りそうな道、林の中の細い道。バランスを必要とするような尾根の細い道。約3時間半歩き続けた一日だった。天気には恵まれた一日だった。
 明けて今日。尻の筋肉痛だ。筋肉痛は何年ぶりだろう。それほど自然に歩けた証拠だろう。骨盤運動をしながら、筋肉痛をまぎらした。このリハビリが効果を表すのは何時のことになるのだろう。
 それにしても疲れたようです、足が。
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お手玉初段(自主認定)か?

2008-03-13 10:29:47 | Weblog
3月13日
 三月も中旬になり、春めいてきました。光陰、矢の如しの感があります。
 麻痺のほうは、多少の回復感はあるものも、遅遅として進まずという感じがとても強く感じられます。少しずつ回復しているのですが、直ぐに次の出来ない事が判ってしまうので、出来たことを後ろに追いやってしまうのです。だから、絶えず新しい課題と向き合ってしまい、達成感を感じる間もなく、出来ない感に包まれ脳も心も疲れているようです。しばし、出来るようになった事を、数えましょう。
 ・お手玉 両手で2個 10回以上できることしばしば 初段、自主認定
 出来るようになった要素 左手でキャッチし、右手に渡す動作が円滑になったこと。 それは、キャッチした瞬間にお手玉をきちんと掴むことが出来て、右手に投げて渡すことが出来るようになったから。手のひらにお手玉がトンと入ると指先がスッと曲がり素早くお手玉を掴むようになり、右手に渡す動作が円滑になった。つまり、手のひらも動くようになり、軟らかくなって、お手玉を落とす回数が激減したことにより、連続回数が増加した。手のひらも動くんですね。意識してますか?
 二段にも挑戦します。二段は右手だけで二個のお手玉を使います。今は、一回しか出来ません。左手では、一個目は投げられても、二個目が投げられません。続ければ出来るようになると思います。
 初段の課題をもっと続けられるよう練習します。
ギターを弾く。
 メロディーだけでしたら何とか弾けるようになった。
 要求項目がたくさんあって、達成感が感じられないでいる。ただ、初心者と同じような練習が出来るようになり、練習をしているようになっている。練習する時間が増えた。
折り紙
 担当のOTさんから課題を与えられていたのだが、放っていたが数ヶ月ぶりに再開した。これは折り紙でパーツを作り組み立てるものだが、パーツを40個作る必要がある。このパーツを作るのが大変なのです。右手だけでは出来ない、左手がどうしても必要。左手は、微細な動きが上手く出来ない。それで放り出していましたが、一念発起して再開しました。大きさはレギュラーサイズの折り紙の四分の一の大きさで、細かく折る必要のあるパーツです。右手が主になるのですが、左手で押さえたり支えたりするのですが、この微妙さが左手では大変な作業なのです。OTさんはこの大変さをご存知なのでしょうか?課題を与えることは簡単ですが、達成するのはとても大変なことです。
 ここ一週間ほどやっていますが、まずパーツを10個を目標にしています。最初にレギュラーサイズの折り紙で作りました。手順をの確認と出来ることを確認しました。次に四分の三の大きさの折り紙で作って見ました。そして、課題の大きさの折り紙で作って見ました。疲れますが、出来ました。時間もかかります、どうでしょう、一時間くらいでしょうか。一個のパーツに掛かる時間ですけど、どうでしょう、短すぎますか、長すぎますか?一個のパーツ作成に掛かる時間ですけど、もちろん折り紙は一枚です。
 どこが疲れるのでしょうか?折り紙は指先を使いますが、指先は疲れません。疲れるのは、上腕部の付け根部分と前腕です。脳もイライラします。これらに打ち勝って続けて完成するのです。一番の大敵は脳です。一番の味方である脳が、一番の敵です。リハビリは、自分との闘いなのですね。そこをわかってほしい。黙っているけど、私、今日も闘っているのです、私自身と!私の敵、私信頼してます。
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顔(と脳)

2008-03-03 11:40:35 | Weblog
3月3日
 3月になった。月日の経つのがとても早く感じられる。
 脳梗塞による片半身麻痺による後遺症で顔の造作が右と左で違っている。顔にも筋肉があるので、神経が届いている方と届いていない方とが同じであるはずはない。笑っても半分は笑顔、半分は能面。他人にはどう見えているかは知らない。当事者は、半分が引きつった顔になっていることを強く感じている。
 口、一つしかないから半分の力でも正常に動いているように見える。内情は違う。物を食べると噛む動きをする。歯は片方の力でも動くが、頬が動いていないので、麻痺している方には食べたものが残ってしまう。麻痺が強いと唇も緩くなっているから、食べ物がこぼれ出る。すると介添えの人は「まあ、こぼさないで食べて!」と強い口調で言う。水を飲んでも同じようになる。唇もしっかりとつぶれないのだ。神経が届いていないのだから、力を入れろと言ったて入らないのに。患者?の状態を判っている人は非常に少ない。そして不思議には思っても、何故という疑問を持つ人は少ない。そして何故出来ないのだとイライラしている。私は、こうなんですよと、説明しても解かってもらえない、だから何があっても私は黙っている。多分、他の同じような状況の人も黙っていると思う。私の身体には、健常者とは違ったことが、たくさんのことが起こっている。どんなことがあったのか、今後どんなことが起こるのかは、どこにも記録は無い。いろんな本(医療関係の)があるが、患者の回復過程で発生する事象について書かれたものはない、また患者の状態を詳しく書いたものも皆無といってよい。医療側でないのだから、医療教育機関での教育も医療サイドからの思い込みで教育されている。患者のことが解かっていないので、患者サイドの教育はなされてはいないと思う。
 私の唇。正常に機能していないので、飲み物がこぼれたり、食べ物がこぼれたりする、以前より少なくなってはいるが。それに痺れもある、感覚はある。最近、痺れている場所が大きく変化した。以前からの痺れていた場所は、左端上部だった。それがここ一週間ほど前から、唇の左半分に広がっている。場所によって強弱の違いはあるが。この事は、何を意味しているのだろう?私が読んだ本で回復過程の状況が記されていた本はほとんど無かった。(身体は三ヶ月周期で大きく変化する、というのが唯一のことだった:どんな変化をするかは書いてない)
 口の中の左側の奥も強い痺れに変わっている。頬の筋肉にも神経が届いたのか、筋肉が動き始めたために、痺れが強くなったのか、それとも、本当に動かなくなる前兆なのか。正座をしていて解放された時、血液が流れて痺れがジンジンしますが、あれに似ている痺れですがあれ程強くはありません。患者は回復過程でいろんな状況に遭遇しますが、どこにも手本がないため、絶えず未知との遭遇になります。身体だけでなく脳もです。特に脳の動き?が患者を不安に陥れます。言っても聞いてもらえないので、黙っています。ピリピリ痛い、じわーっと押さえられた感じ、ムズムズとしている、何か違和感が、エトセトラ、エトセトラ。こんな感じで脳のあちこちで感じるのです。初めての場所の場合、不安になります。とても強い不安感です。「脳は何をしているのだろう?」脳の動きを説明している資料は少ない。素人が読めるものも少ない。読んでも、おののき、震えながら、じっとなすがままにされながら、その一時を過ごすのです。夜だと、「明日の朝は、来るのだろうか?」と思いつつ奈落の底への眠りに行くのです。
 目の周りも変化しています。左目の左端の痺れが強かったのですが、目の周り全体に拡散されてきました。当初は。左目でウィンクが出来ませんでした、今は出来ます。
 片半身麻痺になると、身体の半分の筋肉が麻痺します。普段動いていないところにも筋肉があります。顔にも、首にも、背骨にも、骨盤にも、見えないところにも沢山の筋肉があって、身体全体を支えあっています。リハビリはそれらを動かすことなのです。手足だけではないのです。
 私が今迄で一番嬉しかったのは、体幹の回復を感じたときでした。つまり、背骨といいましょうか、手足ではなく身体の幹、胴体です。一回ではなく、二回ありました。どちらも身体全体が急に軽くなりました。二回目の時は、見えるもの全てが光輝きました。患ってから二年が経っていました。
 患ったのは脳です。筋肉ではありません。だから脳を強く意識しました。脳の環境を整え(酸素、栄養等)叱咤激励をしました。脳に命令できるのは、脳の持ち主だけです。脳も一生懸命回復しようと努力しています。それには持ち主の強力が絶対に必要なのです。何もしなければ、脳も何もしません。持ち主が望んでいないからです。何をしたいか、脳に伝えなければなりません。初めてすることは、上手く出来ません。したいことをすることによって徐々に出来るようになります。途中で放棄すればそれで終わりです。患者は、以前簡単に出来たことが出来ないので苛立ちます。それは、今迄生きてきた間に蓄積してきたデータが消えてしまった結果なのです。だから、一からデータを入れないといけないのです。でも、簡単には入りません。絶えずデータを入れ続ける、三ヶ月の時間が必要なのです。これは本当に必要なデータなのだ認識して始めて脳が使うのです。
 赤ちゃんは、約三ヶ月で首が据わります。約一年で歩きます。歩くまでの順番があります。順番を飛び越すことはほとんどないと思います。
 リハビリも、同じと思います、経験上。
 手を上手に使いたければ、まず肩が動かなければなりません、次は肘、次は手首、そして指。それぞれ途中では完全ではありません。それぞれが、動くのを待っています。肩は肘が動くのを待っています、肘が動くと肩もそれに合わせて調整します。手首が動くと、肘も肩もそれに合わせて調整します。指が動くと、手首も、肘も肩も調整します。
 当初私は、指を早く動かしたいと思っていました。だから、指を早くから動かす訓練を自分でしました。その時ある患者さんに遭遇しました。其方は、指は動くのですが、手首から上は麻痺して動きません。それを観てから、指も大事だけど、手の方が大事なのだと思いました。
 それで、リハビリをしていて回復には順番があることに気がつきました。指が動くには指だけの筋肉で動いていないことも。見えないところでいろんな筋肉を動かす神経があることを。その筋肉を動かす神経に微細な信号を送る脳がいることを。微細な信号を送るには膨大な経験値のデータが必要なことを。そのデータベースを作ったのは他でもない私自身です。それを壊したのも私自身なのです。今迄は、無意識でデータベースを作ってきましたが、今からは意識して作らねばならないのです。意識すれば、出来ないという強固な反発力が立ち向かって来ています。それに打ち勝つ強靭な意志が必要なのです。そのため、行動をしているとき私の顔は苦痛で歪むのです。
 左手は今も鈍痛みたいなものがあります。指先を使うようになって強くなったみたいです。肩、前腕が特に強い。そんな中でも指を使うのです。痛みから解放されるのは、やりたいことが普通にできた時でしょう。
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