遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

脳梗塞 入院2日目(麻痺からの回復)

2006-04-30 18:58:38 | Weblog
2004年11月26日(土)
注)入院中に見舞い等治療以外のできごともたくさんありましたが、ここでは治療やリハビリに対応して、私自身の身体に感じたことを記述していくことに、します。

この日の朝、眼が覚めた時は、手も足も動かなかった。
後から思うと重大なことが発生した。
それは「あくび」だった。誰もがする自然現象の「あくび」です。
あくびをする時、伸びもいっしょにする。
両手、両足を伸ばすでしょ。その時、私も両手両足を伸ばしました。
動かないと思っていた左手足が動いたのでした。そうか、普通の回路とは
別の回路があるんだ。それを使えば動くようになるかもしれない、どうやって
動かせばいいのか?
 他の脳梗塞で麻痺した人たちはあくびをした時、動かなかったのだろうか。
私だけがたまたま動いたのだろうか?脳梗塞の麻痺の度合いは、人それぞれだから。 
 看護士の定期巡回:体温測定、血中酸素濃度測定(指先を摘むような感じの器具で測定、痛くない、90%以上あればよい)
 朝食後薬(降圧剤、血小板の力を弱める薬)を飲む。
 点滴を開始。血液をサラサラにしておくもの。2時間くらいかかる。だから移動する時いっしょに持っていく。酸素吸入のためのチューブを鼻に突っ込んでおく。
点滴はもう1種類ある。こちらは30分くらいかな。あと高圧酸素機密室に入る。これが10日間:これが私の場合の脳梗塞の治療です。痛みはありません。

午前中に高圧酸素機密室にはいります。カプセルの中で1時間半過ごすのに、家からCDを持ってきてもらいました。ベートーベンの第5交響曲”運命”です。これを聞きながら治療を受けました。何度も聞いていますので盛り上がるところを知っています。
カプセルに入る前オペレーターの方に中で動いても良いか、と訊きました。答えは「良い」でした。誰にも私は足を上げることを話していないのです。CDを渡しカプセルに入ります。点滴はチューブを繋ぎかえて点滴を受けながら行います。これは、治療中に血圧が上がりすぎる時に降圧剤を点滴の中に投入するためだと思います。現に私2回ほど投入しました。加圧を開始します。2気圧になると血圧を測定します。以後15分毎に測定します。患者の要求があれば随時測定します。。あとはその中で1時間過ごすだけです。私は足を上に上げる準備をします。頭の中に左足はありませんが、とにかく左足を強くイメージします。そして精神を集中して全身の力を出して左足を上げてみようと思いました。曲が盛り上がるのに合わせて上げるのです。だんだん近づいてきました。きた・きた・きた:それー!!全身の力をイメージした左足に集中し上げました。なんと足が上がりました。その重かったこと!!片足1本がこんなに重いとは。この時、たまたま家族のものが見学をしていました。歓声が上がりました。私は足は動くと確信しました。オペレーターの方はびっくりしていました。こんな人は初めてだとか。午前はこれで終わりです。
 家族には主治医から状況の説明があったそうです。家族からは私には説明がありませんでした。私が早く会社に行きたいと言っていたので、動けないなんて言えなかったそうです。今日これを書くために確認していたら、ショックを受けると思うと悲しくてとても言えなっかたと。私のほうは早く回復するには、どうすれば良いのか?しか考えていなかった。とってもわがままな脳になっていたようです。
 午後になると、リハビリ担当者(OT:作業療法士)が来られました。さっそく、寝たまま左足を上げて見せました。えっ!すごい!!とびっくりしていました。足側のベッドサイドに行き、、「ここを触れるか?」と手をかざしました。私は重い足を上げてその手を足で押しました。場所を数回変えて同じことを行いました。自分の意志で動いていることを確認したようです。その後は麻痺している手足の可動範囲を動かすストレッチで終わりました。
 午前に高圧酸素機密室の治療、午後にリハビリ、この内容が10日間つづくのです。カプセルの方は、日曜は休みですが、リハビリは休み無しです。

 麻痺した手足はどんな状態か?
 ・痛みはありません。
 ・筋肉は、麻痺なりたてですから柔らかい。
 ・右と比べると全然力が入っていないので右よりも柔らかいし弾力がない。
 ・上半身を立てると左手はだらりとなる。ニュウトンの重力の法則通り、腕から垂直に垂れ下がる。動けばぶらぶら動き自分で止められない。右手はどんな状態でも筋肉が働いてバランスをとっていますが、麻痺すると肩から紐で腕をぶら下げた状態なのです。足も同じです。
 私は足を自分で上げたと言いました。つまり胴体と足を繋いでいるのは、紐ではないということです。頭の中で足と言うと足が見つかるのです。でも、膝とか足首はまだ見つかりません。
 脳梗塞による麻痺からの回復で最大の問題点は、いかにして見つからない手足を認識させるか、ということに尽きます。早く見つかればまだ筋肉があります。1年後となれば、筋肉が衰えています。PTやOTの療法士の努力をもってしても筋肉を維持することはできません。
 栗本 慎一郎氏ほ著書によると首を30度以上上げてはいけない中で、氏は電動ベッドだったので頭側を立てて立ったような状態にして下にずるずるとずり落ちる状態にし正常なほうの足で立ち麻痺した足側に体重を移して感覚を確認したと言っています(この私の記述は正確ではありません)何らかの方法で、早く認知できれば回復は早くなるのです。
 脳梗塞による麻痺は麻痺した手足が悪いのではなく死んでしまった脳細胞の機能が無くなったためです。機能を回復する手段(脳にいかなる刺激をあたえるか)
 ・脳に刺激を与えることができるのは自分です。
 ・脳に命令できるのは自分です。
 ・麻痺している手足を動かしてもらっているだけでは、効果が小さい。(他人負かせではでは効果がちいさい)

 発症して今まで未知との遭遇の連続でした。何度かの経験の中で分かったことや
いろんな本を読んでわかったことがあります。今からも未知との遭遇は続くでしょう。それを楽しみにして生きていくことにしています。
 
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脳梗塞 入院初日

2006-04-27 21:35:40 | Weblog
2004年11月25日(金) 入院初日
 午前2時頃、ベットに入り布団を調整するため両足で上に軽く蹴り上げた。うぅん、何かおかしい。再度行った。左足の動きがおかしい。なんだろう?
 隣に寝ている妻を起こし、「何かおかしい、救急車を呼んで}起きた妻は、怪訝な顔をして見てたが、119番に通報した。その間私は着替えをし、車が来るのを待った。妻が着替える間、手短に状況を話した。やがて救急車がやってきた。自分で二階から降りて、歩いて救急車に乗った。座ったままでいけますと言ったが、隊員から寝てくださいといわれ、備え付けのストレッチャーに寝た。直ぐに血圧を計られた。「230あります」と言われた。やがて近くの救急病院に着いた。5分程度で着いた感じだ。病院の処置室へ、そこでどんな会話があったか、どんな処置がされたか記憶にない。ただ、既にに動けなかったようだ。そのままCTとMRIの検査となった。検査が終わって処置室に戻ると、手を上げてと言われ上げると上がった。ストレッチャーから降りて立つと万歳してと言うのでバンザーイをした。
医師は「一過性かな」と言った。「このまま帰ってもいいのですけど、もう遅いから朝になって帰ったら」と言うので念のため朝までいますと答えた。すぐにベットの用意ができないので、ICUで休んでてください。点滴の続きをしながらICUへ行った。妻は家に帰り、朝になって迎えに来ることになった。ICUの中には看護士(女性)がいた。点滴が終わりそうになったことを告げると、用意してあった別の点滴に交換した。新しい点滴が始まると睡魔に引き込まれるような感覚の中で左足に違和感を感じつつ眠ってしまった。
 眼が覚めた状況から病室のベッド寝ているまでの確かな記憶がない。それに病名を聞いた記憶もない。なのに脳梗塞というのは分かっていたようだ。
(私の感じ)
 場所は分からないが会社を休むので妻に連絡を頼んだ。誰に連絡すればよいか?の問いに総務の誰それと答えた。CTとMRIの検査をしたがICUから行ったのか、病室から行ったのか分からないが、午前中に行った。昼は食べたようだ。胃は、何だか重たいような感じで食べたが、食べたいと思いはなかった。午後になって、妻が来たと思う。病室で実家と兄と子ども達に連絡するように言った。それからストレッチャーに乗せられて高圧酸素機密室に移動し治療を受けた。
 午前中の記憶が定かでない。午後は結構覚えている。
(妻によると)
午前8時ごろ病院に着き、ICUの中で私と話した。私の会社に連絡するため連絡先を訊いた。ICUの中は朝の引継ぎミーティング中だったらしく人がたくさんいて、出て行くようにいわれた。会社へ連絡するため一旦家に帰った。家までは車で5分程度。この時はまだ元気に家に帰ってくるものと思っていた。ただ痺れていると言ってたそうだ。私の会社に連絡し、妻も働いているので、妻の会社に行って休む許可をもらい午後退院するものと思い、病院へ来た。すると、高圧酸素の治療の許可を求められた。びっくりしたそうだ。

それで、私は点滴を受けながら高圧酸素気密室(カプセル)に入って治療を受けました。この治療は空気中の酸素の濃度を高くしそれを2気圧の状態の中に患者を1時間置いて血中酸素濃度を高める治療法です。こうすることにより血管が拡がりやすくなり血液が通りやすくなるそうです。また、新しい血管を作る手助けになるそうです。血栓で詰まった血管を広げることにより血栓を流し去ったり、血液が行かなくなった細胞の所に新しい血管を作ったりするのに酸素が有効なのです。2気圧に上げるのに15分そして1時間それから下げるのに15分、1時間30分狭いカプセルの中に寝ているのです。終わると病室へ戻ってきました。脳梗塞の治療は点滴とカプセルと鼻に突っ込まれたチューブによる酸素吸入です。点滴は2種類です。血液をサラサラにするのと、梗塞によって被害を受けた部位の拡大を防ぐための薬だそうです。この治療が10日間続きます。梗塞の部位が固定化されれば治療は終わりです。後は、死んだ脳細胞が請け負っていた機能の麻痺が残るだけです。これを後遺症と言っているようです。私の場合は、被害を被った場所は、右脳の被殻というところ。機能は、前頭葉から運動の指令を受け、必要な筋肉に必要な運動量を指令するところです。私が今まで運動において蓄積してきたデーターベースが無くなったのです。手を上げると前頭葉が指令をだすと手を上げる動作は経験上、肩甲骨、上腕、肘、前腕、手首等々を同時的に動くよう筋肉に指令を出すわけですが、健常者の場合、何も考えずに行っているはずです。それは、生まれてから今までの経験してきたデータベースがあるからすんなり出来るのです。それが消えてしまったのです。ただ感覚はありました。部位が違ったので被害は免れたわけです。感覚も失くした人もいます。私は触れば分かりますが、動かそうと思っても手が見つからないのです。見えていても、触っていても、頭の中をいくら探しても手がないのです。こんな状況が脳細胞が死んだ場合の麻痺です。どこまで麻痺をしているかというと、身体を頭のてっぺん背骨を真っ二つに左と右に分けます。右脳がやられた場合は左側に麻痺が発生します。左脳の場合は右側ですね。私は右脳だから左半身麻痺です。麻痺の状態がよく見えるのはよく動いていた手足です。唇もですね。ごはんを食べると左側からポロポロと落ちます。本人は普通に食べています。でもこぼれるのです。左側の唇が正常に動かないので言葉も何を言っているのか聞きづらくなります。まぶたに麻痺があった場合はまぶたは閉じたままです。手で上げてやらないと見えません。舌も半分麻痺になります。喉も声帯も左半分麻痺です。要するに左半身が麻痺するのです。
 ただ、私の場合は被殻という部位ですが、生き残っている細胞もあるのです。当然死んだ細胞もありますが、各人それぞれ被害の状況が違うのです。微妙に違う。この微妙という差は麻痺の出方に大いに影響します。
 ここで言いたいのは「半身麻痺は内臓を含めてたの半身麻痺なんです。」ということです。

 さて、カプセルによりる治療が終わって病室にもどると、リハビリを担当する療法士さんがあいさつに来られました。明日からPTとOTの二人で行いますが、当面はOTが病室に来て実施しますとのことでした。PT,OT?何?まあ明日からリハビリ開始か。
若い時足にギプスを巻いたことが2,3度あるので動かさないと筋肉が落ちるなあと思った。何とかしなきゃ。どうしてこんなになったかなんて、これぽっちも過去は振り返らなかった。夜になりベッドで寝返りをすると困った子とが起きた。左足と手がついてこない、右手で左手をつかんでよいしょと移動させる。変な気持ちです。
 これで入院初日が終わります。

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4月25日発病から1年7月

2006-04-25 22:46:37 | Weblog
今日25日は脳梗塞になって1年7月となった。
なった当初は、左半身はうごきませんでした。が、感覚はありました。
現在の状況を報告します。
左顔面。左目の左側に違和感がある。何かが目を開ける
のを邪魔している感じです。唇の左側の左上に痺れ感がある。
唇が左下がりになる傾向がある。以前より改善された。
左目でウィンクが出来るようになった。
舌、以前は左半分の動きが鈍かったが正常に近くなったが左舌先に
ちょっとだけ痺れがある。喉の左側、嚥下した時、左側に少し違和感がある。
食事には問題ありません。
下肢
 普通通りに歩いていますが、足底がスリッパ的です。
 膝に多少違和感があります。いつも一定ではありません。
階段の登りは普通には歩けます、が急いで上がれません。時々
左足先が引っかかります。転んだことはありません。
階段のくだり、前を向いて降りれます。ゆっくりだと正常?におりれます。
手すりなしで我家の階段を下りれます。
走ることも出来ます。ジョギング程度だと1Kmは大丈夫です。50mダッシュも可能です。因みに週2回バドミントンをしています。
公式リハビリはストレッチとパワーリハビリをやっています。
課題は速さにスムーズについて行くことです。左足がスリッパ的に
どうしてもなってしまいます。
 上肢
可動範囲動かせます。握力は15Kgあります。が瞬間風速です。
全体的に保持が難しい。最大の課題です。1年も使わないと筋肉が落ちてしまいます。右側と比べると良く分かります。やっと右手に添えて作業が出来るように
なりました。つい昨日、親指と人差し指の第一関節を動かして物を摘めるように
なりました。手を肩から上に上げるのにさっと挙げられません。ふにゃっていう感じです。
あれこれ動かしますので、筋肉痛になります。手はぶら下がっているので、午後になると疲れて重い。筋肉が全て完全に神経が繋がっていないので、負担が大きいのです。ここのところは健常者にはわかりづらいでしょう。例えると肩が腕を支えていますが、普通は5箇所の筋肉で支えているとすると、2本しか繋がっていないのです。物理的には5本あるのですが、指令で動くのは2本だけということです。
公式リハビリは、ストレッチと手のひらを裏・表にすること。肘を曲げて肘から先だけでする。腕を伸ばしてする。10回程度行います。5回を過ぎると遅くなります。作業療法もやっていますが、今日はここまで。
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4月24日  脳梗塞の治療

2006-04-24 22:59:43 | Weblog
脳梗塞の治療について私の場合
入院治療は30日間です。実質10日間です。
脳梗塞の治療は手術はありません。梗塞領域が広い場合
麻痺の範囲が広くなるため呼吸や食事が困難な場合
のどを切開し呼吸や食事を確保するために手術しますが、脳梗塞
自体の治療ではありません。
血管が血栓で詰まって血流がなくなるのが原因ですから
血栓を溶かす治療法があるわけですが、最近まで治療薬はありませんでした。
治療薬も発生してから3時間以内に投薬する必要があります。
梗塞が発生すれば、血流が止まります。その血流領域には栄養や酸素が
細胞に供給されなくなります。3分で細胞は死んでしまいます。
検査のためCTやMRIで写真をとりますが、CTでは5分くらい、
MRIでは20分程度かかります。その間治療は行われません。
梗塞部位が確認されます。点滴で何か投薬されますが、血液が
固まるのを弱めるのと梗塞が広がらないようする薬です。
あとは高圧酸素機密カプセルに1日1回1時間入る治療です。
強制的に酸素を供給し血管を広げたり、新たに血管を伸ばしたり
するのを助ける機能があります。このような治療を10日間行います。
以上が治療です。あとは麻痺という後遺症が残るだけです。
私の場合、発症した日からカプセルに入り、リハビリの療法士が付きました。
脳梗塞は痛みはありません。梗塞した部位により該当するところが
動かないだけです。
私の場合、右脳の被殻というところが死にました。
左半身が麻痺しました。痛みはありません。
見た目は、手と足が目立ちますが、本当は身体の真ん中に線を引いて
左側の全ての筋肉が麻痺しています。ただ血管がどのように
通っているかは個人で違うでしょうから、麻痺の度合いが千差万別なのです。
脳梗塞になった時、どのように麻痺が進んでいくかは「栗本 慎一郎」さんの
webか本を読んでいただけば、克明に説明されています。彼は私より
重症です。
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4月23日(日)

2006-04-23 23:44:10 | Weblog
土日は病院は休みのため公的リハビリはお休みです。
自主トレはもっぱら血管若返り法を実施。
何のことはない階段の上り下りです。
血管は筋肉でできている。筋肉が硬くなっているのが
動脈硬化で軟らかいのが普通。軟らかくするには、運動をして
血管も運動をさせるしか方法がないようです。
食事で血液をサラサラにして、血栓は、
血栓を溶かす酵素を絶えず血液中に滞在させておく。
あとは血管を若返らせるだけ。
血圧は、脳が必要に応じて上げたり下げたりするから
私の範疇外です。ということに、最近気がつきました。
私、毎日血圧と体重を測っています。
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初日

2006-04-21 22:54:30 | Weblog
今日は金曜日リハビリの日。午前中で仕事を休み、リハビリのため病院へ行く。
担当の理学療法士(PT)はお休みのため、主任さんみたいな人がやってくれた。
たまに別の人がやってくれると、いつもとは違った刺激があって有効だ。
 昨日、血圧が高くなって(170-100)なかなか寝付かれず、リハビリ中眠くて仕方がなかった。パワーリハビリは眠りながら行った次第だ。
今日は、早く寝ようと思っていたが、懸案だったブログの開設を思い立ったため、
いつもと同じになってしまった。初日はこれまで。
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