遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

2015年の終わりに

2015-12-30 23:55:32 | Weblog
2015年(平成27年)12月30日
 今年を振り返ってみると、身体的には「不調」の一年だった。部分的に
良くなったものもあるが、それが全体のシステム変更を起こし、出来ていたものが
できなくなってしまった。左手は、指の動きが独立すると、今までサポートしていた
部位がサポートを止めてしまう。これは私の意志には関係なく辞めてしまう。また、
どこがサポートしていたのかも明確にわかっていない。サポートが無くなると、独立した部位は
筋力「ゼロ」の状態になっている。動くのは動くけど持続させる力が無い。すぐに疲れて続けられない。
動かさなければ、新たなサポートも受けられない。動かせばどんなサポートが必要なのか、身体(脳)が
勝手に判断してサポート体制を構築してくれる、それまで動かさないといけないのだ。サポートを
受けてよい調子でやってると、完成したところで突然サポートが終了し、身体はいやおう無く
次のステージに強制的に移ってしまう。そして新たな試験が始まる。この試験は拒否してもよいのです、が
そうすれば、私の回復は未完に終わってしまうのです。後は、退化があるだけです。
脳梗塞による麻痺のリハビリは、絶えず挑戦し続けなければならないのです。現状維持するにしても
多少の挑戦を続けていなければならないのです。
 今年は手や足の変化が実感できましたが、動きが見えない部分もあるのです。つまり変化が実感できない
部位もあるということです。半身麻痺というのは、本当に身体の半分なのです。腹筋も背筋も背骨の真ん中で
線を引いた半分なのです。どこがどこに関係しているのか、良く分かりません。歩いていても脚だけの筋肉で
動いているのではないのです。手を動かしても、手だけの筋肉だけではないのです。
 6月、私は時速6Kで歩こうと思いました。それで毎日6kの距離を一時間で歩く挑戦を始めました。
歩き始めて3ヶ月が経過したある日突然、時速6Kが実現出来たのです、それも軽やかに!万歳!と思いました。
でも、それは、その時だけでした。それは、今までネックになっていた箇所が動くようになったからでした。
次の日から、ネックになっていた箇所のサポートが無くなりました。それとネックだったところが、ネックで無くなると
それに伴って新たに動くことになる箇所が出てきます。そこに、今まで以上の負荷が急に掛かってきます。
準備も無く動きを命じられても対応出来ません。ネックから開放された箇所は全開で動こうとします。
身体のあちこちで悲鳴が上がってしまいました。それから1っヶ月は体調不良でした。最初の1,2週間は
横になると体中が痛くて、座ったままで寝たこともありました。日中は身体の動きも悪くて、とても疲れました。
このときは、体中のシステム変更をしていたのでしょう。一月ほど掛かったようです。
 このとき、私を支援してくれたのは、「TDE」というエネルギーでした。相当痛みを和らげてくれました。
興味のある方はネットで検索してみてください。私は一度脳が壊れました、おかげで古い脳(脳幹)が動いて
脳を再生してくれました。この世に「エネルギー」なるものが存在することを知りました。つまり神通力が
あるということを。だから10年ほど付き合っています。仲間たちは、私が話す脳のことを聞いてくれました。
脳は何かをしていると、私は分かるのです。部位まで。
 それから、再発防止のため,栗本 慎一郎氏が見つけて来て製品化した「ルンブルクスベルス」の製品
「クリールペール」愛用している。血管をきれいにしておけば再発しないだろうとの思いで10年来愛用しています。
運動もたいせつです。バドミントンを週3回しています。歩くことも常に心がけています。
そして、お手玉を2個使ってやっています。左手には良い運動です。けん玉も毎日やっています。
膝を使うので脚には良いでしょう。
 諦めたら、そこで終わりだと、私は思っています。するのは自分、そして、させるのも自分。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする