遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

5月ももうすぐ終わり

2008-05-30 12:18:15 | Weblog
5月30日
 光陰矢の如し、で5月も終わりを迎え6月に入ります。平成20年も半年になるのですね。本当に早い、とても早く感じます。
 毎日が日曜日で日々の行動は自己管理です。今週はいろんな都合が重なり、バドミントンが出来なかった。身体を目一杯に動かす機会のなかった一週間だった。時間も余裕のありすぎで、飲むのも増えたようだ。ここ二、三日の血圧が高くなっている。あわてて薬を飲んだり、昔やっていた「階段登り降り」を、思い出したように始め、凌いでいる。状況に慣れると人は怠ける。
 私に必要なことは、
 ① 明日を見つめた適度より少し過度な運動の継続
 ② 身体に必要な食事(最近、野菜や魚が少ないようだ)
 ③ 趣味を人前で披露できるまで向上させる(そのためにリハビリに励んでいる)
 上記を念頭に、毎日を過ごしている。が時として楽な方を選択することが、多々ある。が、それはそれで良い。楽しみたいことがあれば続けることができるだろうから。
 毎日の生活の中で、指の運動は続けている。ギターを弾いたり、笛を吹いたりしながら。指を動かすだけの事なのだが、指先だけの問題ではないことが、よーくわかりました。指はもちろんですが、肘、上腕部(肩の付け根側)、肩(腕側の前側)、そして肩甲骨の周辺の筋肉に鈍痛(多分神経的な)があります。まだ自分で感じられない箇所も働いている筋肉もあると思います。身体全体の筋肉を使って人は生活をしている。生まれてからずっと使っている筋肉ですから、意識していなくても必要な時に必要な筋肉を動作させています。一旦、私みたいに故障が発生すると、回復過程であれこれと感じるのです。その司令塔が脳なのです。子供の時には、脳を鍛えているなんて意識はなく、続けていればいつの間にか歩けるようになり、走るようになっている。どの筋肉が動いているなんていう意識は無い。あったとしても見えている筋肉だろうし、、どれだけの筋肉が動いているなんて知らないはずだ。現に私もこんな状態になっていろんな筋肉があることを知り、なかなか動いてくれない筋肉に叱咤激励をしているのだが、「ローマは一日にしてならず!」のごとく、はや三年半が経った。右側と左側の差は、今もって歴然としている。見た目は普通の人と変わりはないが、仕事をさせれば一目瞭然なのだ。医療側は何をしているのだろう?
 私は、医療の助けを借りながら、私の信じる方法で後遺症からの脱却を目指している。
 それは、私自身が後遺症に陥った身体を動かし続けることです、私自身の意思で。自分の身体に神経を集中させ、観察しつつ、今の極限状態の中で動かし続けることです。極限状態は変化していきますが、リハビリには終わりがないのです。
自分との闘いです。

脳が疲れたとき

2008-05-24 11:28:40 | Weblog
5月24日
 5月も残り一週間となった。気温も高くなり身体も動きやすくなった。
何もなっかたわけではない。身体、体調は、毎日変化の連続でした。毎日、毎日が昨日とは違った日々でした。身体の中でも脳の動きの変動がその日の生活に大きな影響を及ぼしている。そんな状況の中でも、毎日の予定をこなしている。変な感じの脳なのに、バドミントンをしても良いのかな?と思いつつ体育館に顔を出し、いつもと同じように動き回っている私がいる。そして、昨日より進化している自分を発見している。脳も何とかして回復させようと努力しているのだ。バドミントンをすると、細かなステップを踏んでいる、多様な動きに対応するため自然におこなっている。これを15分ほど続けると左足のふくろはぎは、何故か動きが止まる。休憩しても本日内には回復しない。筋肉の疲れではないのだ。それでも無理やり動きに付き合わせる。ますます動かなくなる、それでも最後までゲームをする、途中で絶対に辞めない。痛みは無い、ただ動きたくないようだ。これは脳の問題なのだ、こうして重要な情報を脳に送っているが、早くて激しい運動の連続に対応できないでいる脳もきっとパニックに陥っているのだろう。早く改善しなくてはと昼夜の別なく動き回っているようだ。日が変われば、ご主人様は昨日のことも忘れて動き回っている。
 左手の指の動きは、足よりも更に細かい動きの連続ですよ。脳も対応が大変。こちらは、前腕に痛みが発生します。肩甲骨の背骨側の下部分に痛みが発生します。当然、脳の抵抗も強いものがあります、が、お構いなく続けます。ですが、リハビリの時は兆候が現れると、もう少し行って辞めます。
 遊びの時は、相手がいるので止められません。ミスが多くなりますが、終わりまでやります。仲間は私の事をわかっていますから、少々の手抜きをしても最後まで付き合ってくれますから、私も最後まで力を振り絞ります。つまり、その時の限界のところで動かしているのです。一人の時は基礎的な動きの練習をします。単調で辛い練習です。笛を吹きます。左手が無いと音楽になりません。薬指の動きが今一歩(いいえ、もっとです)なのです。薬指だけの単独ならなんとか良いのですが、他の指とからんだ動きになると、よくないのです。元の位置に戻らないのです。元の位置に正確にもどらないので、ホール(穴)を完全に塞げないので音がでなくなるのです。そんな状態で次の音が出るわけないですね。早さもありますから、音に追随できません。音楽になりません、悲しいことです。それでも、続けていると、日々薄皮がむけるように進歩がわかります。この薄皮一枚の進歩は、最初の頃の進歩に匹敵する進歩(回復)なのです。この進歩がないと次に進めないからです。
 先日、仲間との合同練習がありました。練習は2時間です。薄皮何枚かの進歩の披露は15分程で終わり、後は元の悪い状態になり練習を続けました。指は、もう動きたくないと何度も訴えてきました。止めるわけにはいかないので、私は苦痛の色を顔に滲ませながら、そして微笑みながら練習を続けました。そして、約二時間半の練習が終わりました。脳は、疲れ果てたようです。私に休養を訴えてきました。車を運転していると、とてつもない睡魔が襲ってきました。目を開けてはいられないほどです。やっとのことで家に着き、ベッドへ直行です。バタンと寝たきり数時間は夢の中でした。夢の中で脳は何をしたのでしょう?

三年半経過

2008-05-13 00:23:47 | Weblog
5月12日
 脳梗塞になり左半身麻痺となりリハビリを始めてから、この五月で、三年半が経過した。今では日常生活も普通に出来るようになった。が、完全に元の状態にはほど遠い。外から見れば普通の人と代わりはしないだろう。内から見れば出来ない事だらけだ。医療関係者は言うだろう「麻痺は残る」と。だけど、私は完全復活を目指している。好きなことをしたいために。好きなことが出来るようにするのが、「リハビリ」なのです。生きる価値はどこにあるのか?ただ生きてりゃ良いというものじゃないでしょう。楽しく生きたい、ただそれだけ。そのためにリハビリをしています。
 外から見ると、90%以上回復していると見えるかもしれない。走れます。10k以上も連続して歩けます。バドミントンも中級の下くらいでやれます。右手袖のボタンも留められます(左手が不自由だと、留められないのです)。だから、90%以上になると思う。
 内から見ると、左足は素早い動きについてこれない。バドミントンでラリーが続くと動きが鈍いのです。左足が動かなくなるのです。某筋肉のある部分に神経が伝わらない空白部分を感じるのです。そこが動かないのです。だけど鈍いながらでも動かします。そうしないと動くようにならないから。
 左手は、トーンチャイム(ハンドベルのスティック版みたいなものです)で音階をします、一人で両手を使って。握って、振って、置いて、次のを握って、振って、置いて・・・・ こんな単純な動作なのに長くは出来ない。手の動きは、握って、振って、置く。単純です。振られたチャイムの音は美しいメロディーになります。この動作をするとどうなるか、最初は簡単に出来ます。続けるうちに、個々の動きが悪くなり、メロディーを維持しようと必死になり、左手が硬直してきます、そして左肩が上に上がってくるのです。そうなると音楽はストップです。ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド。たったこれだけをしただけで、このざまです。だから、リハビリに行きます。指先だけを使う作業をしても同じような状況です。だんだん肩が上がっていきます。すると、左手全体に変な力が入ってきます。簡単な動作でも、変な所に力が入って動きずらくなります。動かないわけではないけど、大きな力が必要になり、本来の動きではなく、偏った動きになるので作業は中止です。
 10日の午前、脳が遊び始めた。頭に鉢巻をしたような感じになった。何が起こったのか?初めての経験だ、つまり未知との遭遇。結構強い鉢巻だ。鉢巻が強いからといって、考えることができないわけではない。バドミントンもした。強い鉢巻感は夜寝る時もあった。不安もあったが、なす術は泣く、朝目が覚めることを祈って寝た。前頭葉の右部分と左側頭部の後ろ側を強く感じている。左脳で感じるようなことは、普段は無い。だから不安になるのです。朝目が覚めた時、鉢巻の状況をチェックした。無くなってはいない、あるけど前の日よりは軽くなっていた。後ろ側の鉢巻が無くなっている。前頭葉はまだ何かをやっている。何をやっているのだろう。
 脳梗塞は脳が壊れたのであって、身体(筋肉)は正常なのです。脳からの指示がこないので動かないのです。脳は他人の指示で成長はしません。持ち主本人の指示しか受け付けません。やりたいと思えば出来るようになれる。やらなければ出来るようにならない。死んだ脳細胞は再生されます、が、今迄努力して集めてきた情報は再生されません。新しい細胞で再生されるからです。筋肉を動かす情報が消えてしまっているから動かないのです。
 そして三日目の朝には、鉢巻感は消えていた。リハビリの日だった。ある作業療法の項目を始めた時、以前より簡単に作業をこなしているのに気がついた。今までの努力の一部が報われたのだ。うすーい皮が一枚むけたのだ。だけど終わったわけではない。新たに出来ない事が見えるのだ。以前より難しい課題が見えるのです。もうやり続けるしかないのです。自分が納得できるまで!中途半端だと結局は出来ないのと同じなのだ。