1月21日
1月も下旬に入った。本当に光陰矢の如しの感だ。
今年になって1番変化があったのは、左手の指先の感覚だ。
以前は親指と人さし指の痺れ感が強く感じられていたのが
最近では薬指、小指も同じ感覚に時々なることだ。特に
朝目覚めた時に感じる。これは何を現しているのいるのか?
新たな未知との遭遇か?それでも日常をそのまま過ごす、
他に手立てがあるというのか。手本はどこにもない!
そして、肩の付け根にもあの神経的な痛みも伴って現れている。
脳もあれこれと何かをしている。左脳は静かなのだが、右脳は
騒がしく何かをしている。頭頂部全体にベールが被さった様になったり、
梗塞になった箇所に痛みが走ったり、ジーンとするような感じになったり、
いろいろしている。私の許しを得ないで。失礼だ!!!
その度に不安になる。良いことか、悪い兆候か。
どちらにしても、なす術も無く、傍観するしかない。
なるようにしかならないのだから。そんなことはほっといて、やりたい
ことをやるだけだ。脳が騒いでも身体は普通に動く、ならば普通の生活を
するだけだ。いろんな痛みを伴っていても身体は普通に動くのだから。
ギターの練習は初心者程度になった。少しづつだけど、左手の指先が
動くようになってきている。その微妙な動きができると、以前に比べて多くの
事が可能になる。すると、以前にまして多くの出来ない事が判ってくる。
出来るようになるにしたがって、今迄、手に届かなかったものに手が届くようになると、次のものをどうしても思ってしまう。それに挑戦していくと出来ないものが
明確になる。その数が鼠算のように増えてくる感じなのだ。特にギターは、昔、
決行弾けていたのだから、ギャップは特に大きく感じる。地道にコツコツと毎日練習するしか、方法は無い。それに伴って私の脳も騒がしくなる。脳が騒がしくならなければ、回復もないことなのか。
出来ないものが見えれば、それを一つ一つ克服していくしか道はないのだ。
途中で諦めれば、何も手に入らないのだ。
1月も下旬に入った。本当に光陰矢の如しの感だ。
今年になって1番変化があったのは、左手の指先の感覚だ。
以前は親指と人さし指の痺れ感が強く感じられていたのが
最近では薬指、小指も同じ感覚に時々なることだ。特に
朝目覚めた時に感じる。これは何を現しているのいるのか?
新たな未知との遭遇か?それでも日常をそのまま過ごす、
他に手立てがあるというのか。手本はどこにもない!
そして、肩の付け根にもあの神経的な痛みも伴って現れている。
脳もあれこれと何かをしている。左脳は静かなのだが、右脳は
騒がしく何かをしている。頭頂部全体にベールが被さった様になったり、
梗塞になった箇所に痛みが走ったり、ジーンとするような感じになったり、
いろいろしている。私の許しを得ないで。失礼だ!!!
その度に不安になる。良いことか、悪い兆候か。
どちらにしても、なす術も無く、傍観するしかない。
なるようにしかならないのだから。そんなことはほっといて、やりたい
ことをやるだけだ。脳が騒いでも身体は普通に動く、ならば普通の生活を
するだけだ。いろんな痛みを伴っていても身体は普通に動くのだから。
ギターの練習は初心者程度になった。少しづつだけど、左手の指先が
動くようになってきている。その微妙な動きができると、以前に比べて多くの
事が可能になる。すると、以前にまして多くの出来ない事が判ってくる。
出来るようになるにしたがって、今迄、手に届かなかったものに手が届くようになると、次のものをどうしても思ってしまう。それに挑戦していくと出来ないものが
明確になる。その数が鼠算のように増えてくる感じなのだ。特にギターは、昔、
決行弾けていたのだから、ギャップは特に大きく感じる。地道にコツコツと毎日練習するしか、方法は無い。それに伴って私の脳も騒がしくなる。脳が騒がしくならなければ、回復もないことなのか。
出来ないものが見えれば、それを一つ一つ克服していくしか道はないのだ。
途中で諦めれば、何も手に入らないのだ。