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脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

脳梗塞 入院初日

2006-04-27 21:35:40 | Weblog
2004年11月25日(金) 入院初日
 午前2時頃、ベットに入り布団を調整するため両足で上に軽く蹴り上げた。うぅん、何かおかしい。再度行った。左足の動きがおかしい。なんだろう?
 隣に寝ている妻を起こし、「何かおかしい、救急車を呼んで}起きた妻は、怪訝な顔をして見てたが、119番に通報した。その間私は着替えをし、車が来るのを待った。妻が着替える間、手短に状況を話した。やがて救急車がやってきた。自分で二階から降りて、歩いて救急車に乗った。座ったままでいけますと言ったが、隊員から寝てくださいといわれ、備え付けのストレッチャーに寝た。直ぐに血圧を計られた。「230あります」と言われた。やがて近くの救急病院に着いた。5分程度で着いた感じだ。病院の処置室へ、そこでどんな会話があったか、どんな処置がされたか記憶にない。ただ、既にに動けなかったようだ。そのままCTとMRIの検査となった。検査が終わって処置室に戻ると、手を上げてと言われ上げると上がった。ストレッチャーから降りて立つと万歳してと言うのでバンザーイをした。
医師は「一過性かな」と言った。「このまま帰ってもいいのですけど、もう遅いから朝になって帰ったら」と言うので念のため朝までいますと答えた。すぐにベットの用意ができないので、ICUで休んでてください。点滴の続きをしながらICUへ行った。妻は家に帰り、朝になって迎えに来ることになった。ICUの中には看護士(女性)がいた。点滴が終わりそうになったことを告げると、用意してあった別の点滴に交換した。新しい点滴が始まると睡魔に引き込まれるような感覚の中で左足に違和感を感じつつ眠ってしまった。
 眼が覚めた状況から病室のベッド寝ているまでの確かな記憶がない。それに病名を聞いた記憶もない。なのに脳梗塞というのは分かっていたようだ。
(私の感じ)
 場所は分からないが会社を休むので妻に連絡を頼んだ。誰に連絡すればよいか?の問いに総務の誰それと答えた。CTとMRIの検査をしたがICUから行ったのか、病室から行ったのか分からないが、午前中に行った。昼は食べたようだ。胃は、何だか重たいような感じで食べたが、食べたいと思いはなかった。午後になって、妻が来たと思う。病室で実家と兄と子ども達に連絡するように言った。それからストレッチャーに乗せられて高圧酸素機密室に移動し治療を受けた。
 午前中の記憶が定かでない。午後は結構覚えている。
(妻によると)
午前8時ごろ病院に着き、ICUの中で私と話した。私の会社に連絡するため連絡先を訊いた。ICUの中は朝の引継ぎミーティング中だったらしく人がたくさんいて、出て行くようにいわれた。会社へ連絡するため一旦家に帰った。家までは車で5分程度。この時はまだ元気に家に帰ってくるものと思っていた。ただ痺れていると言ってたそうだ。私の会社に連絡し、妻も働いているので、妻の会社に行って休む許可をもらい午後退院するものと思い、病院へ来た。すると、高圧酸素の治療の許可を求められた。びっくりしたそうだ。

それで、私は点滴を受けながら高圧酸素気密室(カプセル)に入って治療を受けました。この治療は空気中の酸素の濃度を高くしそれを2気圧の状態の中に患者を1時間置いて血中酸素濃度を高める治療法です。こうすることにより血管が拡がりやすくなり血液が通りやすくなるそうです。また、新しい血管を作る手助けになるそうです。血栓で詰まった血管を広げることにより血栓を流し去ったり、血液が行かなくなった細胞の所に新しい血管を作ったりするのに酸素が有効なのです。2気圧に上げるのに15分そして1時間それから下げるのに15分、1時間30分狭いカプセルの中に寝ているのです。終わると病室へ戻ってきました。脳梗塞の治療は点滴とカプセルと鼻に突っ込まれたチューブによる酸素吸入です。点滴は2種類です。血液をサラサラにするのと、梗塞によって被害を受けた部位の拡大を防ぐための薬だそうです。この治療が10日間続きます。梗塞の部位が固定化されれば治療は終わりです。後は、死んだ脳細胞が請け負っていた機能の麻痺が残るだけです。これを後遺症と言っているようです。私の場合は、被害を被った場所は、右脳の被殻というところ。機能は、前頭葉から運動の指令を受け、必要な筋肉に必要な運動量を指令するところです。私が今まで運動において蓄積してきたデーターベースが無くなったのです。手を上げると前頭葉が指令をだすと手を上げる動作は経験上、肩甲骨、上腕、肘、前腕、手首等々を同時的に動くよう筋肉に指令を出すわけですが、健常者の場合、何も考えずに行っているはずです。それは、生まれてから今までの経験してきたデータベースがあるからすんなり出来るのです。それが消えてしまったのです。ただ感覚はありました。部位が違ったので被害は免れたわけです。感覚も失くした人もいます。私は触れば分かりますが、動かそうと思っても手が見つからないのです。見えていても、触っていても、頭の中をいくら探しても手がないのです。こんな状況が脳細胞が死んだ場合の麻痺です。どこまで麻痺をしているかというと、身体を頭のてっぺん背骨を真っ二つに左と右に分けます。右脳がやられた場合は左側に麻痺が発生します。左脳の場合は右側ですね。私は右脳だから左半身麻痺です。麻痺の状態がよく見えるのはよく動いていた手足です。唇もですね。ごはんを食べると左側からポロポロと落ちます。本人は普通に食べています。でもこぼれるのです。左側の唇が正常に動かないので言葉も何を言っているのか聞きづらくなります。まぶたに麻痺があった場合はまぶたは閉じたままです。手で上げてやらないと見えません。舌も半分麻痺になります。喉も声帯も左半分麻痺です。要するに左半身が麻痺するのです。
 ただ、私の場合は被殻という部位ですが、生き残っている細胞もあるのです。当然死んだ細胞もありますが、各人それぞれ被害の状況が違うのです。微妙に違う。この微妙という差は麻痺の出方に大いに影響します。
 ここで言いたいのは「半身麻痺は内臓を含めてたの半身麻痺なんです。」ということです。

 さて、カプセルによりる治療が終わって病室にもどると、リハビリを担当する療法士さんがあいさつに来られました。明日からPTとOTの二人で行いますが、当面はOTが病室に来て実施しますとのことでした。PT,OT?何?まあ明日からリハビリ開始か。
若い時足にギプスを巻いたことが2,3度あるので動かさないと筋肉が落ちるなあと思った。何とかしなきゃ。どうしてこんなになったかなんて、これぽっちも過去は振り返らなかった。夜になりベッドで寝返りをすると困った子とが起きた。左足と手がついてこない、右手で左手をつかんでよいしょと移動させる。変な気持ちです。
 これで入院初日が終わります。

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