ある大学で教えていた私の友人は
相性の合わない上司の欠点が
どうにも我慢ができなかった。
まるで取り憑かれてでもいるように
開けても暮れてもそのことばかりを考え、
ついに家族や教会、同僚との関係にも
支障をきたすようになり、
彼は結局その大学を辞め、
他の大学で教鞭をとる決断を下した。
私は彼に
「あの上司さえいなければ、
この大学に残りたいんじゃないのか?」と尋ねた
「そりゃそうさ。しかしあの人がこの大学にいる限り
僕の生活はめちゃくちゃだ。もう耐えられない」
と彼は答えた。
「なぜ君は上司を
生活の中心に置いているんだい?」
と私は聞いてみた。
彼は私の質問に驚き、否定した。
しかし私は続けて言った。
「たった一人の人間とその人の欠点が
君の人生の地図を歪め、
君が信じていることも、
愛する人たちとの大切な人間関係も
台無しにしている。
君自身がそれを許しているんじゃないのか」
彼は、上司が自分に
大きな影響を及ぼしていることは認めたが
自分がそのような選択をしたつもりはない、
自分の不幸は全て上司のせいであって
自分になんら責任はないと言い張った。
「七つの習慣」
スティーブン・コビナー 著
あの上司さえいなければ、
あいつさえいなければ・・・
一体何人の人がいなくなればいいのか
なんとも情けない自分の話し
この本に出てくる気に入らない人が
僕の場合には何人も存在するのだから
自分の稚拙さを痛感、悲しくなってくる
うまくいかない人間関係の原因を相手のせいにし
その責任を自分は取らないのである
この本でその指摘を痛切に味わった
でもどうしてもその責任を自分自身がとる
そんな自分の改革というのが
どうしても取れないでいる
自分にとってどうしても好きになれない
嫌な人を相手に
好きになるなんてことは到底できるはずない
とはいっても好きになる必要はなく
相手の存在を認めてあげる
だから仕事は一緒にするけれども
でも僕は好きにはならないよ
たったそれだけでいいのだが
その心の単純作業がなぜか至難の技なのである
まだまだ未熟さを痛感している今日この頃
早起き鳥
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