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早起き鳥 

【未明混沌】今日も必ずお元気で…!

rakuten

親に虐待された子供が親に...?

2016年11月30日 04時15分15秒 | 読書







 仮にあなたが子供の頃に

両親から虐待されたからといって、

あなたも自分の子供を虐待する必要はない。

ところが現実には、

親に虐待されて育った子供は、

自分が親になって同じように

我が子を虐待する例が非常に多い。


しかし、あなたは主体的な人間なのだから、

自分からその脚本を書き直すことができる。

子供を虐待しないことを選択できる。

そして、子供を一人の人間として認め、

子供が前向きに生きていく脚本を

書いてやることができる。


あなたの家族に何世代にもわたって

受け継がれている悪い流れを

あなたの代でやめることができるのだ

あなたは流れを変える人となり、

過去と未来をつなぐ人となる。

あなた自身が変わり、流れを変えれば、

その後に続く何世代もの人々の人生に

大きな影響を与えられるのである。


  「七つの習慣」

          スティーブン・コビナー 著
     









 親に虐待されて育った子供が親になれば

同じように自分の子供を虐待するケースが

非常に多いと言うのはショッキングなこと

暴力は言葉の暴力も含めてあってはならない

と言うのが常識であり人が生きていく上で

大原則であろうかと思うが

そうではなさそうである


親に虐待を受ける、

これほど堪え難い仕打ちはないのだが

自分がいけないことや危ないことをした時に

きつい平手打ちを食らったことはあったにせよ

虐待などと言うことは経験がない

でも世の中にはいろんな虐待事例があるようだ

そして子供は傷ついて人生を棒に振ってしまう


その親の因果が子に報い

代々その因果は巡るのか・・・

なんとも悲惨なこと

誰かがどこかで断ち切らねば

その断ち切ろうとする行動は

とても辛いことであることは間違いない

きっと自分の子供の非行言動が

半端じゃないのかもしれない

自分自身が大きく人生観、価値観を変えて

臨まなければ到底なし得ることではないだろう・・・


しかし虐待が親子の間に存在するなどと言う

恐ろしい場面を

想定したくない気持ちでいっぱいだ


     早起き鳥




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強い絆で結ばれた家族には...!

2016年11月29日 04時36分16秒 | 読書







 世代を超えて

強い絆で結ばれた家族には

卓越した力がある。


子供達、両親、祖父母、叔父叔母、

いとこなどが良い例であり、

相互依存のしっかりした

結びつきを維持している家族には

自分が何者であるのか、

自分という人間を

形づくっているものは何なのか、

自分にとって大切なものは何かを

はっきりと気づかせてくれる大きな力がある。


子供達にとって、自分は何らかの

「一族」の一員であるという

意識を持てるのは幸せなことだ

例えばはるか遠くに住んでいても、

大勢の親類が自分を知っていて、

大切に思ってくれていると

感じられる子供は幸せであるし

親にとってもありがたいことである。


  「七つの習慣」

          スティーブン・コビナー 著
     









 「強い絆で結ばれた家族には...!」

何とも刺激的な言葉である

強い絆で結ばれているだろうかと

自分の家族を顧みれば

最小単位の家族であるからこそ

それはナーバスというか

何かあればあっという間に

崩れてしまいそうである


自分の両親はたくさんの家族に囲まれて

育っているから兄弟姉妹の

強い絆で結ばれていたことと思う

父親などは兄弟との付き合いを

第一優先にするし

自分より年少の兄弟には特別視して

付き合っていたように見える

家族肉親を大切にするという

親の姿を見てきた自分にとって

家族とは暮らしを共にするという

最も大切な組織体


お互いに何か悩みや困ったことがあった時に

最も信頼ができて相談できる

癒しの空間でありたいものだ

親には話したくない、

子供の気持ちはわからない...!

そんな摩擦や相互理解が取れないなどといった

そんな状況は何とか避けたいものであるが

なかなか骨が折れる問題である


そのためにも家族であるがゆえに、

相手を尊重して

親身に話を聞いてあげる姿勢だけは貫き通したい



     早起き鳥




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刺激と反応の間のスペース...!

2016年11月28日 04時16分57秒 | 読書







 朝早く砂浜をジョギングしたあと、

半ズボンに裸足の子供達二人を学校に送る。

それからサトウキビ畑の隣にあるビルに

借りたオフィスに行き原稿を書く。

そこはとても静かで、景色も美しく、

心休まる場所だった。

電話も会議も急ぎの用事もない。


ある日、オフィスからほど近くにある

大学の図書館に出かけて行った。

図書館の奥に山積みになっていた

書籍の間を歩いていて、

その中の一冊となんとなく興味をひかれた。

手に取って開き、読んでいるうちに、

ある一節が目に止まった。

そこに書いてある言葉が、

その後の私の人生を

大きく変えることになったのである。


私は何度もその文章を読んだ。

簡単にいえば、



刺激と反応の間にはスベースがあり、

そのスペースをどう使うかが

人間の成長と幸福の鍵を握っているということだった


  「七つの習慣」

          スティーブン・コビナー 著
     









 「刺激と反応の間にスペースがある」

この「七つの習慣」の本の

根幹をなす言葉なのかもしれない

この言葉に大きな刺激を受けたコビー博士...!

僕なら心に止まるどころか、

読み飛ばしてしまいそうである

でもじっくりと何度も音読しても

よく理解できない言葉である


この本の随所に書かれているこの言葉の解説が

僕の頭の中に散らばっている


犬に餌を与えるとき、

音を鳴らして条件反射をさせるという実験

そのうちその犬は音を鳴らすだけで

唾液を出して餌を欲する

音を聞くだけで餌を連想するのである

音という刺激に対して餌として反応する

この刺激と反応の間にスペースはない


人間関係に戻せば

相手から、高圧的な言葉で意見を述べられたら

その相手の主張を迎え撃つ論理展開で

絶対に打ち負かす闘志をむき出しにして

その討論に挑む

この相手の主張という刺激に対する

自分の言動という反応にスペースなどない


でもこの刺激と行動の間に

スペースがあるというのである


相手を打ち負かす

相手の主張に服従する

相手の主張を参考に自分に対しても

相手に対しても有利な第三の考えを共に探す・・・


選択肢は必ず存在し、

どの選択肢を選ぶかはその人の自由

そして人はその自由を持っている

というのである

なんとも慈悲深く心温まるWIN-WINの世界...!



     早起き鳥




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己の中の野生が暴れるとき...!

2016年11月27日 03時46分25秒 | 読書







 ダグ・ハマーショルドは

次のように語っている。


「己の中の野生が暴れる時、

人は完全に動物になっている。

嘘をつくとき、

人は真理を知る権利を放棄している。

残酷な行為を働くとき、

人は知性の感覚を失っている。

綺麗な庭をつくりたいものは、

雑草の生える場所を残しておきはしないのだ」。



私たち人間は、いったん自信を持ったなら、

自分の人生を方向づける目的と原則を

選択しなければならない。

その努力を怠ったら、

刺激と反応の間にあるスペースは閉ざされ、

自覚を失い、

下等動物と同じになってしまう。


  「七つの習慣」

          スティーブン・コビナー 著
     









 己の中の野生が暴れるとき...!

自分を顧みれば、野生は暴れっぱなし、

とはいえ、暴力行為にまで至ることはほとんどないが

言動はといえばほとんど暴力行為と変わらない

まさに自分の心の中の野生は暴れっ放しである


人間であることを忘れ、感情のままに、

相手の言動に対して感情的に負けてなるものかと

闘争心をむき出しにする

それもである

相手が弱いと見れば

その攻撃力はとどまることを知らず

叩きのめすまで攻撃的である

でも相手が強いと見るや、手のひらを返すように

相手に従順にも変身するからタチが悪い


とことん、攻撃的で返り討ちにされればいいのに

そういう場面では人としての反応し

攻撃力は服重心にスイッチして保身

なんとも、下等動物と同じように反応的になるどころか

下等動物よりも劣るレベルで

存在しているのかもしれない


どんな刺激や環境にあっても人として

判断選択する時間と空間を使い

的確に知恵を絞り

より良い言動に望みたいものだ...!

日々の鍛錬が必要であることを思い知らされる



     早起き鳥




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小さく、か細い良心の声に従う...!

2016年11月26日 05時23分07秒 | 読書







 スポーツ選手にとっては

運動神経と肉体を鍛えることが

不可欠であり、

学者にとっては知力を鍛えることが

不可欠であるように、


真に主体的で

非常に効果的な人間になるためには

良心を鍛えなければならない。


しかし良心を鍛えるには、

より高い集中力、バランスのとれた

自制心が必要であり、

良心に誠実であることを

常に心がけなければならない。

精神を鼓舞するような書物を定期的に読み、

崇高な思いを巡らせ、

そして何よりも、

小さく、か細い良心の声に従って

生きなければならないのである。


  「七つの習慣」

          スティーブン・コビナー 著
     









 「小さく、か細い良心の声」

僕はこの良心の声がでかくて、

力強い声であって欲しいと

声を大にして訴えたい

なぜ良心とはそんなに小さくてか細いの?

と神に問いただしたい


アスリートがファーストフードばかり

食べていたら肉体の調子が

おかしくなるのは当たり前のこと

それゆえ、僕たちも

テレビばかり見てヘラヘラと

品のない番組に時間を取られていれば

心まで品がなくなってしまうような気がする

こんな時に大きな力強い良心の声があったら

そんなテレビなどに毒されることはないだろう



でも人は自分でこの小さく、か細い良心の声を

大きく力強くするために

日々、懸命に鍛える仕事を

神は与えて下さっているのかもしれない


だからこそ、その仕事を

貫き通すことができたものだけが

リーダーシップを持つことを許され

そして富を独占することができるのかもしれない


     早起き鳥




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